坂本慎太郎が3年半ぶりのニューアルバム『ヤッホー』をリリースした。Mikikiは同作についてのインタビューを掲載したが、今回は坂本の全ソロアルバムのレビューをお届け。2010年のゆらゆら帝国解散後、2011年に『幻とのつきあい方』でソロデビューしてから15年、坂本の音楽や歌詞をいま改めて振り返ろう。 *Mikiki編集部
いつまでも幽霊の気分で生きるわけにはいかない
by 野田 努
物事には相応しいはじまりがあるのだろうけれど、震災で制作が中断されたこのアルバムが3.11からおよそ8か月後という、依然として特殊な状況だったなかリリースされたことを思えば、〈広い通りを死んだ つもりでさまよった〉という歌をどう受け止めて良いのかそのとき君が迷っていたとしてもぼくは責めない。なにせTVをつければ〈日本を元気に〉と〈絆〉で溢れ、街頭では反原発デモがシュプレヒコールを挙げていたあの時代、人の心に寄り添うことをしなかった日本人がいっせいにそうすべきだとまくしたて、他方では翌年の安倍政権誕生へと助走をはじめたあの時代、〈さてどこに行こう 何になろう/幽霊の 気分で〉と歌うこの歌ほど当時の無力感をポップに表現した曲はなかった、とぼくは思っている。と同時に、“君はそう決めた”という歌ほど、生きることを肯定している曲もなかった、少なくともぼくにとっては(この曲はいまライブで聴くと数十倍切実に聴こえる)。
“ずぼんとぼう”のような、ゆらゆら帝国の『空洞です』を引きずった曲もありつつ、感傷的な“思い出が消えてゆく”の次曲“仮面をはずさないで”や“傷とともに踊る”、そして冒頭の“幽霊の気分で”における脱力的なファンク、あるいは“何かが違う”におけるレトロポップ歌謡へのアプローチは、その後の作品においてバリエーションを増やしている。表題曲“幻とのつきあい方”は、ゆらゆら帝国のギターのように特定の楽器がその曲のサウンドを肉付けすることのない(そしてドラムとベースがミックスのなかでクリアに聞こえる)坂本作品の特徴を端的にあらわしている。アルバムを締めくくる“小さいけど一人前”に関しては、彼も子供にはこうも実直に愛を表現できる、ということなのだろう。結局のところ、ひとはいつまでも幽霊の気分で生きるわけにはいかないのだ。
踊りながらぶちこわす
by 柴崎祐二
かつてこの国には
恐ろしい仕組みがあった
君のパパやママが
戦ってそれを壊した
――“未来の子守唄”
ここで言われている〈君のパパやママ〉とは、誰を指すのだろうか。発話者が未来にいるのだとしたら、それは現在(2014年)を生きる私達のことなのかもしれない。否、ひょっとすると、もっと昔――1945年頃のことを言っているのかもしれない。だとすれば、〈恐ろしい仕組み〉を壊したのは私達自身ではなく、〈彼ら〉であったのではないか。〈恐ろしい仕組み〉は、密かに温存された。だから、亡霊はいつでも蘇る。自らが殺めたと思っていたものは、実は自らの裡に抑圧されながら、生き続けている。〈スーパーカルト〉は、私達の裡にずっと存在していたし、今もなお、繰り返し誕生し続けている。おそらく未来にも。それを取り除くためにもう一度〈彼ら〉に頼るなどはできない相談だ。なぜなら〈彼ら〉はまもなく、赤ん坊のような独裁者を戴かんとしているから。
では、どうすればいいのか。私達はさしあたって、亡霊のようなスチールギターとコンガの音に抱かれながら〈ナマで踊〉るしかない。何年か後には、〈ロボットにな〉ることを日本の過半数が賛成するようになるだろう。だからこそ、もう一度〈ナマで踊ろう〉。ディスコだ。キャバレーだ。ダンスホールだ。ぶちこわすことは、踊りながらでもできる。いやむしろ、踊りながらでしかできない。〈この世はもっと素敵なはず〉じゃないか? そう、〈この世はもっと素敵なはず〉と体中で感じながら踊り、ぶちこわすのだ。何も恐れなくていい。そうすれば、私達はもう一度、音楽のかかる場所で、いきなり恋とかすることもできるだろう。真剣に……。

