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なんとしても愛を
by 岡村詩野

坂本慎太郎 『できれば愛を』 zelone(2016)

坂本慎太郎のある種のニヒリズムが言葉における抽象度を増してどんよりとした空気を纏った。当時、このソロ3作目に対してそんな、歯切れの悪い印象を受けてしまったのは、前作『ナマで踊ろう』が現代社会/政治の卑近で理不尽な状況を前に思い切り踏み込んだ、表現としても卓越した、しかも肉体的体温の高い作品だったから。というのがもちろん一番の理由だが、リリースから10年近く経った今聴いても、坂本自身、『ナマで踊ろう』での問題提起に絡め取られてしまったままのアルバムのように思えてしまう。だから聴いていてもちょっとつらい。けれど、手に負えない状況に自ら落ちて喪失し、あるいは自棄してしまったかにさえ思える坂本が感じられる、彼のキャリアの中でもかなり稀有な1作として捉えることもできるだろう。こういう坂本もいる(た)のだな、と、今も不思議な気分で受け止めている。

ギター、スチールギター、鍵盤などを受け持つ坂本、ドラム/パーカッションの菅沼雄太、ベースのAYAという基本布陣に、サックス/フルートで西内徹が、コーラスで中村楓子、佐々木詩織、沼田梨花が、そしてマリンバで石橋英子が参加。重くも軽くもない乾いたグルーヴは当然申し分なく、バンドというフォルムの中でここまでバウンシーな音色なのに汗を全然かかない(ように聞こえる)演奏も本当に珍しい。だが、地球上であらゆる生命体が平等でいられるのはもはやフロアくらいしかないのではないか?という落胆のようにも思える“ディスコって”や、血の通った生き物であることの自負に一縷の望みを繋いだような“動物らしく”の歌詞に象徴される、諦観と溜息とが飄々とした作品を支配する。だから、『ナマで踊ろう』ほどではないが、適度なスチールギターが南国風味を引き連れてくるにもかかわらず、風通しがいいようで、これがちっともよくない。ムンとした生ぬるい空気がなんともエグい。

このアルバムの制作~発売の時点で、坂本はまだライブ活動に積極的ではなかったが、この翌年のドイツでのパフォーマンスを境に日本国内でもライブを再開させていく。ステージで大勢の人々にただ眺められることに抵抗を見せていた坂本だが、人前で体を動かしでもしないと心身ともにもたなかったのではないか。〈できれば……〉なんて控えめなタイトルだが、本心は〈なんとしても〉だったような気がしてならない。

 

この時代に前を向く、そんなギリギリの場所に響く歌
by 松永良平

坂本慎太郎 『物語のように』 zelone(2022)

前作から約6年のインターバルが空いたが、その間のコロナ禍もあり、ブランクとは感じなかった。何より2017年から開始したバンドでのライブ活動が、コロナ禍中で制限されていたとはいえ継続していたし、重要なシングルリリースもあった。そして、ライブとレコーディングは別物とはいえ、バンドでの演奏活動は良い影響を本作に与えている。定期的な生演奏(ツアー)がもたらした均整と、そこにあえてスタジオで持ち込まれる音像の崩しの共存が、これまでになく理想的だ。ソロではありそうでなかったストレートなロックンロールスタイルの曲(“君には時間がある”“悲しい用事”)の、しなやかなグルーヴも、そのひとつ。音源でのコーラスもベースのAYAの声を活かし、このバンドでの音楽であることを印象付けている。

かたや、冒頭の“それは違法でした”での、リズムボックスのエラーでレゲエの拍が壊れてしまったかのような音作りは、密室的、脱力的でありながらめちゃくちゃ実験的。高速ボサノヴァのリズムパターンから発展したという“愛のふとさ”にも新境地を感じる。

また、近しい人物との別れ(“悲しい用事”や“スター”)、無理解との向き合い方(“浮き草”)など、これまでよりも坂本自身に接近しているとも思える歌詞が、ディストピア的な空虚や諦念とは違った余韻を残す。あえていえば、それは〈前向き〉だ。この時代に前を向くことが絵空事になるのかならないのか、そんなギリギリの場所に揺れながら響く歌が、このアルバムのタイトル曲だといえるんじゃないか。

アルバム発表後のツアーでは、アルバムから全曲が演奏された。それはソロ活動開始以来、初めての出来事だった。