iPodや着うたフルが生まれた2000年代

2020年以降、身近だと思っていた1990年代が歴史の一部として振り返られるようになった。昭和レトロが更新される形で〈平成レトロ〉なるワードが生まれ、当時のトレンドを懐かしむとともに、その歴史的価値を再評価する流れが続いている。そして2020年代が後半に突入した今、次のディケイドである2000年代もその対象として見直されはじめている。

Mikikiでも短期連載〈Back to 2000s J-ROCK〉で2000年代の日本のロックシーンを総括した。当然ロック以外のシーンでも様々なムーブメントが巻き起こっていたわけだが、ここでは〈女性シンガーソングライター〉に焦点を絞っていく。当時デビューしたアーティストたちの活躍は、現在の音楽シーンに一体どのような影響を与えたのか探っていきたい。

まず触れておかなければいけないのが、2000年代は音楽の視聴環境や録音用メディアが大きく変化した時代でもあるということだ。特にAppleが開発したiPodの誕生とiTunes Storeのローンチ、さらに着うた/着うたフルがポピュラーなものとなったことは、作り手の意識や音楽シーンそのものを一変させたと言ってもいいだろう。

初代iPodが日本で販売されたのが2001年10月。筆者は当時中学生で、iPodが販売が開始された当初はそこまで世に浸透していなかったと思うが、2005年にiTunes Storeが日本でもサービスをスタートさせて以降は皆がiPodを持っていたように記憶している。着うたは2002年、着うたフルは2004年ごろからサービスが開始されたことも踏まえると、音楽を携帯すること自体がこれまで以上に当たり前のものになっていったタイミングでもあるのだ。

 

ギタ女ブームにも影響を与えたYUI

そうした時代に登場した女性シンガーソングライターのなかでも、YUIの登場は特に衝撃的だった。福岡の音楽塾ヴォイスに通い、ストリートやライブハウスでの活動を経てソニーミュージックのオーディションに見事合格した彼女は、2005年に“feel my soul”でメジャーデビューを果たす。同曲はフジテレビ系の月9ドラマ「不機嫌なジーン」の主題歌に抜擢され、大きな注目を集めた。

翌年にはビートルズの曲名をタイトルに冠した1stアルバム『FROM ME TO YOU』をリリースし、映画「タイヨウのうた」で主演と主題歌を担当したことも彼女の大きな転機となった。

YUI 『FROM ME TO YOU』 ソニー(2006)

そして2007年、YUIは2000年代のJ-POPを象徴する1曲“CHE.R.RY”を発表する。auが展開する音楽配信・電子書籍の総合サービスLISMO!のCMソングだった同曲は、小気味よい16ビートのギターストロークとドラムのフィルインが印象的なイントロにはじまり、〈恋しちゃったんだ 多分 気づいてないでしょう?〉というキラーフレーズが着うた/着うたフルを利用していた当時の10代、20代を中心に深く刺さったのだった。

等身大の歌詞と万人の心を掴むメロディーを生み出すソングライターとしての才能を持ち、そしてその時代を物語るコンテンツの顔となったことが、当時のYUIを特別な存在として輝かせていたように思う。彼女の成功がなければ、miwaや片平里菜などに代表される2010年代の〈ギタ女(ギター女子)〉ブームはなかったかもしれない。

 

絢香のデビューと音楽塾ヴォイスの功績

今年2月にデビュー20周年を迎えたばかりの絢香も、2000年代のJ-POPシーンを語る上で欠かせないアーティストだ。YUIと同じく音楽塾ヴォイス出身の彼女は、2006年に“I believe”でメジャーデビュー。ソウルやゴスペルの要素を含んだ太く力強い歌声で、不安や迷いを抱きながらも〈自分を信じること〉を肯定するこの曲は、今に続く彼女の音楽活動の原点と言えるナンバーだ。“I believe”はCDリリース前に着うたが先行配信され、のちに100万ダウンロードを突破している。

“I believe”と同様に絢香の代表曲の1つである“三日月”はLISMO!のCMソングに起用され、多くの人が彼女の歌声を認知するきっかけとなった。“I believe”と“三日月”、彼女が人生で初めて作った曲“message”などを収録したデビューアルバム『First Message』がミリオンセラーとなったことも、当時の彼女の人気を表していると言えるだろう。

絢香 『First Message』 ワーナー(2006)

YUIと絢香を輩出したことで一躍その名が全国に広まった音楽塾ヴォイスは、2010年代には家入レオやchay、2020年代にはVaundy(デビューは2019年)、Chilli Beans.、OddRe:など、その後も多くの逸材を世に送り出している。ヴォイスの主宰である音楽プロデューサーの西尾芳彦は残念ながら昨年5月に亡くなってしまったが、この先も彼が築いた学び屋からどんなアーティストたちが出てくるのか非常に楽しみだ。

そのほか、2000年代前半には大塚愛や、役者と並行して音楽活動もしていた安藤裕子らの躍進も見逃せない。2003年の2ndシングル“さくらんぼ”が着うたでもヒットした大塚は、“黒毛和牛上塩タン焼680円”“ネコに風船”など独自のワードセンスや世界観で脚光を浴びた。

一方の安藤は2005年に“のうぜんかつら (リプライズ)”が月桂冠のCMソングに起用されたことでブレイク。同曲を収録した2006年リリースの2ndアルバム『Merry Andrew』がオリコンチャートで10位を記録し、シンガーソングライターとしての活動にも一層力を入れていった。

安藤裕子 『Merry Andrew』 cutting edge(2006)

 

J-POP史に残る名曲を生んだアンジェラ・アキとSuperfly

また、今ではミュージカル音楽をも制作するアンジェラ・アキも2005年にメジャーデビューし、『Home』『TODAY』といったヒットアルバムをリリース。2008年にNHK全国学校音楽コンクール 中学校の部の課題曲となった“手紙 〜拝啓 十五の君へ〜”は、未来の自分に宛てた歌詞と大らかなメロディーでかつて学生だった大人たちの心にも響いたのだった。

アンジェラ・アキ 『Home』 エピック(2006)

アンジェラ・アキ 『TODAY』 エピック(2007)

現在は越智志帆のソロユニットであるSuperflyは、2007年のデビュー当初は多保孝一(ギター)との男女ユニットであった。松山大学の軽音楽サークルからはじまり、ライブハウスなどでの下積みを経てシングル“ハロー・ハロー”でメジャーデビューした直後には、いきなり「ミュージックステーション」の特番に生出演したことも当時話題となった。初期の作品はブルースロックやソウルなど洋楽からの影響が色濃く反映されていた一方で、カノン進行を用いた“愛をこめて花束を”のようなJ-POPの王道とも言える名曲も生み出している。

ちなみに〈女性シンガー〉にまで範囲を拡大すると、中島美嘉(2001年デビュー)、一青窈や元ちとせ(共に2002年デビュー)も2000年代を象徴するアーティストとして数えることができる。またユニットではあるが、2006年に“SAKURA”でデビューしたいきものがかりも、現在まで続く日本の音楽シーンの豊かさを表す意味でも重要な存在と言えるかもしれない。

 

系譜からはみ出たあいみょんの存在

2000年代は、1990年代末にデビューした浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、aikoらが引き続きチャートを席巻していたなかで、ここまで名前を挙げたアーティストたちが台頭していった、まさに女性シンガーソングライターたちのスクランブル交差点とも言えそうな賑やかな時代だった。今の音楽シーンと大きく異なるのは、オリコンチャートが人気を測る最大の指標となっていたことで皆がアーティスト同士を比較しやすかったという点、そしてまだ平成以降の恋愛観やユーモアのようなものが比較的オーソドックスな形で表現されていたという点だろうか。後者については、時代毎に変化があって当然なので現在と直接比較するのはナンセンスかもしれないが、前者については動画サイトやサブスク毎で人気のバロメーターが違うため、逆に今ではヒットやブレイクといった言葉が乱用されているようにも感じられる。

また、こうしたテーマではあいみょんの名前を出したくなるが、彼女は吉田拓郎や浜田省吾といった男性シンガーソングライターからの影響を公言しているためか、その音楽性や表現において女性シンガーソングライターの系譜には連ねにくいところがある。むしろその系譜からはみ出した部分こそが彼女のオリジナリティーであり、それが2020年代的な在り方とも言えそうだ(一応補足としてあいみょんのメジャーデビューは2016年なので、本稿においては2010年代のアーティストとして括ることができる)。

こうして振り返ってわかったことだが、YUIや絢香らが今の音楽シーンになにか直接影響を与えたというよりも、彼女たちを見出しブレイクさせたメソッドこそが、その後の新たなシンガーソングライターたちの発見と育成に大きく貢献したということ。そうした才能の原石を見逃さない環境作りが、tuki.、TOMOO、乃紫といった新時代の女性シンガーソングライターたちの活躍に繋がっているのだ。