リハーサル中のアーノンクールとウルマーナ
Photo by Heimo Binder

没後10年に蘇る巨匠の生々しいライヴ

 没後10年と言われてもピンとこないのは、アーノンクールのライヴの記憶がまだ私の身体のどこかに活き活きと残っているからだろう。豊富な経験と知識からもたらされる構築性だけでなく、演奏会においての即興性も重要視していたはずの彼の演奏は、常に音楽を新鮮なもの、生まれたての感動で息づかせていたから。

 今回リリースされるこの嬉しいアルバム『ライブ・イン・グラーツ 1999』はアーノンクールの育ったグラーツの街で開催されていたシュティリアルテ音楽祭の1999年のライヴ録音。なかでもアーノンクールが生涯にただ一度だけ演奏したワーグナーの音楽が収録されていることは驚くべき出来事と言える。ヴィオレッタ・ウルマーナをソリストに迎えた「トリスタンとイゾルデ」の“前奏曲と愛の死”、そして「タンホイザー」のパリ版“序曲とバッカナール”が収録されており、改めてアーノンクールの音楽性を知る上で絶対に欠かせない音楽的資料だろう。

NIKOLAUS HARNONCOURT, VIOLETA URMANA 『ライヴ・イン・グラーツ 1999 ~生涯唯一のワーグナー~』 Sony Classical(2026)

 演奏は当時、様々な形で共演を続けていたヨーロッパ室内管弦楽団が担当している。名手揃いの彼らがアーノンクールのタクトによって作り出す音楽は、もちろん濃厚なロマン性を持ちながら、どこかパースペクティヴのはっきりした透明さを持ち合わせており、細部の音型まで丁寧に掬い上げられている。〈ああ、アーノンクールがこの全曲を演奏していたら、どんな名盤が出来ただろう〉とつい思ってしまうのだが、それは無いものねだりだね。

 その他に収録されたメンデルスゾーンの“美しいメルジーネの物語 序曲”、最後に置かれたシューマンの“ミニョンのためのレクイエム”を加えると、どこか〈死〉というものに向き合っているアーティストの想いという印象が強い選曲ともなっている。当時のアーノンクールには何かそうした体験でもあったのだろうか?とちょっと疑ってしまうが、もちろんそれは思い過ごしだろう。メンデルスゾーンの“序曲”の力強さにはアーノンクールらしい活気が感じられるし、最後のシューマンの叙情性も心を撃たれる。

 さらに興味深いのは、当日のコンサートで行われたアーノンクールの解説も収録され、付属QRコードからは彼が実際に使ったスコアを見て、その書き込みをつぶさに読むことが出来るというスペシャルなご褒美付きアルバムであるという点。20世紀を駆け抜けて、古楽から近代の作品まで優れた演奏を残したアーノンクールの足跡をもう一度たどってみたい。