現在から過去、まだ見ぬ未来まで飛び越える体験をもたらした一夜
寺尾紗穂、伊賀航、あだち麗三郎によるバンド〈冬にわかれて〉が、2026年10月10日に〈『forgotten』リリースツアー 東京公演〉を大手町三井ホールで開催した。それは、3人の優れたプレイヤーが至高のアンサンブルを聴かせ、寺尾の美しい歌声とともに、現在から過去、そしてまだ見ぬ未来まで、時間軸を飛び越えていく体験を聴衆にもたらした一夜だった。
冬にわかれては、今年5月にアルバム『forgotten』をリリース。今回のツアーでは、すでに名古屋、京都でもライブを行っており、11月には福岡公演も予定されている。東京・大手町三井ホールは満員となり、寺尾のローズ、伊賀のエレクトリックベース、あだちのドラムによる“東京レイン”とともにライブは始まった。寺尾の透き通ったボーカルとともに、ゆるやかなグルーヴが紡がれ、それはライブの全編を貫いていく。“東京レイン”のアウトロで、寺尾は「こんばんは、冬にわかれてです」と挨拶をした。

寺尾がエレクトリックピアノを離れ、グランドピアノを弾く“rain song”では、伊賀のベースが大きなアクセントになり、3人による緊密なアンサンブルが展開されていった。“夜半の火の子守歌”はジャジーにしてブルージー。伊賀のベースの動きが一瞬抑えられる場面もあったほか、寺尾のピアノとあだちのドラムも、演奏の最後の最後まで聴く者に予断を許さないものだった。寺尾がローズを弾く“揺れる”では、あだちのドラムのダイナミックさに驚かされる瞬間もあった。
“高度200m”からの3曲では、伊賀はウッドベースを演奏。“高度200m”もまたジャジーであり、演奏と寺尾のボーカルが緊迫感を生んでいく。モンゴル民謡の“可愛い栗毛”では、あだちはサックスを吹き、その妖艶な演奏の最後では、掠れるような音も響かせた。“水面の天使”の5拍子のリズムも新鮮だ。
伊賀がエレクトリックベースに戻り、寺尾がローズを弾いた“ペパーミント・タイムズ”は、冬にわかれて流のシティポップのようでもある。やはり寺尾がエレクトリックピアノを弾いた“君の街”では、演奏が不意にドラマティックになる場面もあり、油断ができない。
MCであだちは、自身がプロデュースしたアロマスプレーが物販で売られていることを紹介。「匂いは記憶に直結する」と述べ、今日のライブを20年後に思い出せると語ると、寺尾が「そんな先?」と笑う一幕もあった。絶版になっていた寺尾の著書「原発労働者」の復刊版も売られるなど、物販に音楽関連ではないものが置かれているのも冬にわかれてらしい。
“なんにもいらない”は寺尾のピアノと歌から始まり、そこに伊賀のウッドベース、あだちのサックスが続いていく。特に歌とサックスの呼応はスリリングで、バンドの演奏は広大なイメージを描いていった。“彷徨い”では、寺尾の凛とした歌声と、バンドのアンサンブルが聴く者を魅了する。

「3人だとスカスカだよね」「よくやってるね、我々」
ここで10分ほどの休憩を挟んで後半に。“素粒子のダンス”でも、3人の個がぶつかり合うアンサンブルを聴かせ、ステージは青い照明に照らされた。
MCで寺尾が、今までにない大きな会場だと言うと、伊賀が「挙動不審になるぐらい」と笑った。後半ではギターの細井徳太郎が参加することに触れて、寺尾が「3人だとスカスカだよね」と言うと、あだちが「よくやってるね、我々」と返す。そして寺尾は、冬にわかれてが来年で結成10周年であることにも触れた。
冬にわかれてが中国を訪れたときの光景から生まれた“シーフー”では、寺尾がローズ、伊賀がウッドベースを演奏。“風のうわさ”では、寺尾のローズに加えて、雄弁にして剛健な伊賀のベース、躍動的で大胆なあだちのドラムが響いた。

細井徳太郎と変幻自在な世界を表現、特攻隊の〈彗星〉に思いを馳せて
“幼い二人”は、もともとは寺尾のソロの楽曲。その演奏が、寺尾のエレクトリックピアノを含めて始まると、ステージ背後の幕が開き、大手町の夜景が広がった。そして、細井が登場。ステージ上のいくつもの小さなライトがオレンジに輝いた。やはり寺尾のソロの楽曲である“迷う”は、ローズで始まり、せつなく甘い楽曲でありながら、伊賀のベースは強靭だ。そして、細井のギターはエレクトロニカを彷彿とさせる瞬間もあり、エレキギターへの先入観を裏切るかのようなプレイだ。
“もしも海”は、疾走感に満ちた演奏にして高揚感もはらむ。インストゥルメンタルの“tandem iii”では、伊賀がウッドベースを弾く一方、細井のギターが原曲にはないニュアンスを加えながら前面に出た。“Siren Syrup”は、(((さらうんど)))の楽曲を寺尾がリミックスしたものだ。溌剌とする瞬間もあれば、穏やかにもなり、まさに変幻自在。その終盤では、メンバーの背後に置かれたライトが強い光を放ち、ダイナミックな曲世界を盛り上げた。

MCで細井は、冬にわかれてのファンだったので胸がいっぱいだと語った。寺尾は、譜面のないバンドに参加してくれたことに感謝。そして、続く“君の旅”について語りだした。
寺尾には、亡くなった父について書いた「二つの彗星」などを収録した著書「彗星の孤独」がある。その後、長野県の浅間温泉の芸術祭に参加した縁から、その歴史を調べていくと、松本飛行場から出撃した特攻隊についても知ることになった。そこからさらに、特攻について調べていく中で、特攻機には〈彗星〉という名の機体があったことを知り、エッセイで人の人生を彗星に例えて描写していたこともあり、驚いたという。寺尾は、特攻隊の犠牲は国の失策であり、なかば強いられた死だったと述べ、そうした被害者が、聞き心地のよい言葉で簡単な物語にまとめられてしまっていると語った。そして、ひとりひとりの言葉に耳を傾けなければいけないと述べ、歴史をひとつの語りの中に押し込めてはいけないと話して、演奏が始まった。“君の旅”である。
“君の旅”では、「彗星と言う名の飛行機に乗って/君はあのとき 熱になった」と歌われる。ステージから3本の光がミラーボールを照らし、その光は会場の人々をも照らしだした。さらに、再び3人で演奏された“みらい”では、「ときをこえ わたしたちは つながる」と歌われ、伊賀のウッドベースが、現在から未来に向けて演奏されるかのようだった。

歴史や社会への視点、たしかな時代性をもつ比類なきバンド
本編終了後にアンコールが起き、再登場した寺尾が「ふだんヒューヒュー言ってもらえないので嬉しい」と言うと、さらに聴衆から歓声が飛んだ。
寺尾がオルガンを弾く“もうすぐ雨は”、伊賀がウッドベースを弾く“君が誰でも”ではあだちのサックスの小粋さも印象的だった。最後の“朝焼け”には細井も再び参加し、その淡い余韻とともに〈『forgotten』リリースツアー 東京公演〉は幕を閉じた。
寺尾、伊賀、あだちによる演奏は、本人たちの言うような「スカスカ」どころか、極めて豊潤だ。今回は、そこに細井が加わって贅沢な演奏を聴かせた。さらに、冬にわかれての音楽は、ラヴソングなどパーソナルな感情も描けば、歴史をも直視して想像力を働かせる。歴史を振り返るのは、現在の社会への問題意識があるからだろう。音楽的な高度さとともに、声高でこそないが、たしかに時代性が配置されている。そうした独自の美意識に貫かれているからこそ、冬にわかれては特異であり、他に類を見ないバンドなのだ。そのことを再確認した一夜だった。
SETLIST
1. 東京レイン
2. rain song
3. 夜半の火の子守歌
4. 揺れる
5. 高度200m
6. 可愛い栗毛(хөөрхөн халиун)
7. 水面の天使
8. ペパーミント・タイムズ
9. 君の街
10. なんにもいらない
11. 彷徨い
12. 素粒子のダンス
13. シーフー
14. 風のうわさ
15. 幼い二人
16. 迷う
17. もしも海
18. tandem iii
19. Siren Syrup(寺尾紗穂 Remix)
20. 君の旅
21. みらい
22. もうすぐ雨は
23. 君が誰でも
24. 朝焼け
RELEASE INFORMATION
■CD
リリース日:2026年5月6日(水)
品番:KHGCD-006
価格:3,410円(税込)
■LPレコード
リリース日:2026年8月6日(水)
品番: KHGLP-006
価格:4,950円(税込)
TRACKLIST
1. somewhere
2. 夜半の火の子守歌
3. ペパーミント・タイムズ
4. シーフー
5. 風のうわさ
6. 東京レイン
7. 素粒子のダンス
8. tandem ⅲ
9. 君の旅
10. みらい
プロデュース:冬にわかれて
レコーディングスタジオ:STUDIO Dede/藤野芸術の家/あだちさんち
レコーディングエンジニア:飯塚晃弘(studio Chatri)/あだち麗三郎/伊賀航
ミキシングエンジニア:あだち麗三郎、伊賀航
マスタリングエンジニア:風間萌(studio Chatri)
アートワーク:鯵坂兼充
デザイン:TAKAIYAMA inc.
■“君の旅” MV
監督:山野英之/玉田伸太郎
撮影:玉田伸太郎/谷浦龍一
編集:玉田伸太郎
ドローイング:鯵坂兼
充協力:大村夏
菜ヘアメイク:AOKI
衣装:武田久美子
衣裳アシスタント:熊絢音/服部くみ
PROFILE: 冬にわかれて
全国の古謡の発信を続けるとともに、『余白のメロディ』『しゅー・しゃいん』などリリース毎に作品が名盤と注目される寺尾紗穂(ボーカル/ピアノ)と、細野晴臣を始めとし、吉澤嘉代子、持田香織など、さまざまなアーティストのサポートを務めてきた伊賀航(ベース、lake)、片想いやHei Tanakaの一員でもあり、のろしレコードや東郷清丸といったアーティストのサポート、その他プロデュースやレコーディングからソロ活動までこなすマルチプレイヤー、あだち麗三郎(ドラムス/サックス、あだち麗三郎と美味しい水)の3人から成るバンド。2017年、7インチシングル“耳をすまして”でデビュー。2018年にファーストアルバム『なんにもいらない』をリリース。収録曲の“君の街”(伊賀航の詞曲)は、J-WAVE〈TOKIO HOT 100〉に3ヶ月連続でランクインした。2021年、セカンドアルバム『タンデム』、2023年、サードアルバム『flow』をリリースし、世界各地にリスナーを広げている。2026年、3年ぶりの新作『forgotten』をリリース。
