Photo by 植本一子

生まれては死んでいった彼らの、生まれては死んでいく誰かの、忘れられたたましいたちの、聞こえにくいけれど確かにそこここに彷徨う声の、たまたま私の耳に届いたざわめき。――寺尾紗穂「取り戻せないことの上に」

『余白のメロディ』の購入特典として頒布された、寺尾紗穂によるエッセイ「取り戻せないことの上に」のこの一節を読みながら、果たして、〈ざわめき〉というのは〈たまたま〉耳に入るものなのだろうか、ということを考える。まして、寺尾紗穂という人は、この世の中で、時の流れの中で、忘れられそうな、見過ごされそうな、無視されそうな、ともすれば疎んじられ、軽んじられそうな、有形無形の〈ざわめき〉に能動的に耳をすましてきた人ではなかっただろうか、と。

2007年にフルアルバム『御身 onmi』でメジャーデビューして以来、彼女は15年という月日をかけて、数々の作品を世に送り出してきた。その楽曲群に記録された〈ざわめき〉の数々は言うに及ばず。文筆家として寺尾が著した「原発作業員」(講談社現代新書)や「南洋と私」(リトルモア)など、アクチュアルなイシューの当事者に話を訊き、丹念に調べ上げた書籍を読めば、彼女がいかに真摯に〈ざわめき〉と向き合ってきたかがわかるはずだ。

『余白のメロディ』の9曲目、“歌の生まれる場所”は〈歌の彼方 耳に届くざわめき/気づかぬふりはしない〉という決意にも似た力強い言葉で締め括られる。自らが〈歌〉を紡ぎ・歌うその理由をあらためて宣言するかのような、この楽曲を語る時に〈余計なお世話〉という言葉を寺尾は使った。

〈ざわめき〉が〈たまたま〉聞こえてくる、その理由。それは寺尾紗穂にとって、〈ざわめき〉を聞くことは、生きることそのものだからなのではないだろうか。冗談めかして(でも、半ば本気で)自らが〈歌〉を作ることは〈余計なお世話〉で〈衝動的〉なものだと言う彼女にとって、〈ざわめき〉は聴き取ろうとするものではない。それは、柔らかに降り注ぐ雨のように、苛烈に辺りを照らす太陽のように、当たり前にそこにあるもので、あくまでもごくごく自然に、たまたま届くものなのだ。

誰かの〈ざわめき〉があなたの耳に届く時、あなたの〈ざわめき〉もまた誰かの耳に届く――今、この鬱屈とした息苦しい時代においては、奇跡のようにも思える、どこまでも真っ直ぐな〈希望〉を、寺尾紗穂の10枚目のアルバム『余白のメロディ』は、てらいなくリアルなものとして描き出す。

寺尾紗穂 『余白のメロディ』 こほろぎ舎(2022)

 

河童と香害――目に見えないものを受け入れる〈余白〉

――『余白のメロディ』は〈音楽にできること〉を明確に宣言している作品だと思ったんです。いかにもロックジャーナリズムっぽいインタビューの始まり方で恐縮なんですが。

「ははは(笑)。それは“歌の生まれる場所”のことですか?」

――そうですね。でも、アルバム全体がそういう作りになっていると思ったんです。各曲で描かれる物語や風景が最後の“歌の生まれる場所”と“Glory Hallelujah”に収斂していく感じがある。

「なるほど。“歌の生まれる場所”が出来たきっかけっていうのは、毎回MCで喋っているので知っている人もいると思いますけど、河童なんですよ」

――妖怪の河童ですか。

「そう。結構な数の河童が福岡のライブに来てくれたことがあって。筑後川の近くの会場だったんですね。その日一緒に演奏した歌島昌智さん(音楽家、民族楽器奏者。寺尾のアルバム『わたしの好きなわらべうた2』に参加)と、もう一人お客さんとして来てくれてた人が、視えないものが視える人で。その二人の言うことを総合すると〈今日のライブに河童が来てたかも!〉ってことになって」

2022年、福岡・うきはの杉工場でのライブ動画

――河童は何をしに来てたんですか?

「普通に音楽を聴きに来てたみたい。せっかく来てくれてるんならと思って、MCで河童について話したら、かれらは〈ひゃ~!〉ってすごく喜んでくれたみたいで(笑)。河童もいないものと思われてるから、寂しかったんでしょうね。〈俺たちまだいるのに……〉みたいな感じかも」

――そりゃ、河童もステージで歌っているアーティストからマイクを通してメンションされたらテンション上がりますよね。普段いないものにされてるわけだし。

「確かにね(笑)。でも、その話を東京に帰って色んな人に話したんですけど、面白がってくれる人と〈えっ?〉みたいな反応をする人がいて」

――確かに突飛な話かもしれないけど、信じられなくても〈ふーん〉ぐらいに聞いておけばいいのに。

「でも〈それって結局どういうことかな?〉って考えてみたんですよ。つまり見えないものは〈いない〉ってその人たちは思ってるわけですよね。目の前の現実はもちろん、自分の想像を超えるものはいないだろうって思っている。そういう人たちと、自分には見えないけど〈いる〉のかもって思う人の現実の捉え方には、結構な距離があるって気づいて」

――なるほど。

「それって、妖怪や幽霊の話だけじゃなくて。例えば、最近気になってるのは、〈香害〉のことなんです。柔軟剤や化学物質の匂いに敏感に反応してしまって、体調が悪くなる人がいる。そういう人たちって行ける場所も限られちゃうんです。子どもの場合、他の子が使ってる柔軟剤のせいで、教室に入れなかったりとか。決して、マジョリティーではないですけど、少なからず困っている人たちがいる。

でも、ほとんどの人は問題なく暮らせてるじゃないですか。そういう人たちが、自分は感じないことで苦しむ人たちを〈気にしすぎ〉とか〈神経質〉だとみなす、そういう視線ってあるなと思って」

――自分にはわからない、他者がリアルに感じているものに共感できないってことですよね。

「〈そんなのないでしょ〉って言い切れてしまうのは自分の想像を超えた部分を認められないってことじゃないですか。〈自分にはわからないし、理解を超えているけど、あるかもしれない〉ということを受け入れられるのが〈余白〉だと思うんですよね。そういう心のあり方と、現実の捉え方をやっぱり大切にしなきゃいけないんじゃないかって思ったんです」

――“歌の生まれる場所”の〈この世界の何も信じられない/そう言うあなたに 一番綺麗な夕焼けをあげよう〉という歌詞はそういう部分とリンクしていますね。〈視えている人〉たちを歌ってきた寺尾さんが、この曲で〈視えない人たち〉に向けて意思を表明したところに〈音楽にできること〉を今、言おうとしていると感じたんです。

「『天使日記』(スタンド・ブックス/2021年)にも書いたんですが、この世は目に見えるものがすべてで、今あるシステムを熟知して、その中でうまく生き残れた人たちが勝ち組だっていうのは〈おかしくない?〉って思うんです。もっといい、みんなが幸せになれるシステムだってあるんじゃないの、今はないけど作り出せるかも、とか。現状を容認するだけじゃなくて、夢を見ることだって、本当はできるわけで。

見えないものを信じることって、音楽や愛や夢と繋がってると思うんです。そのどれもが実際には目に見えないものですし」

 

夢を見る、理想を思い描くことを取り戻す

――ずっと寺尾さんに訊きたかったことがあって。他者への眼差しを踏み込んで歌にすることへの逡巡ってないんですか? 例えば“アジアの汗”“家なき人”などは日雇い労働者や路上生活者について、“私は知らない”では原発作業員について歌っていますが、寺尾さんは当事者ではない。そこに葛藤はあるのかな、と思ったんです。

「なかった。なかったですね。……偉そうなのかな(笑)」

2010年のEP『放送禁止歌』収録曲“アジアの汗”

――いや、長い時間をかけて、そういう人々からじっくりと話を訊いて、著作なども書かれている寺尾さんの作品を〈偉そう〉だと感じたことは全くないです。

「単に自分の中から出てくるんですよね。そんなに考えて歌詞を書いたりする方じゃないんです。だから、ただ伝えたいなとか誰かと共有したいなっていう気持ち。〈こうじゃない?〉ってみんなと話し合いたい気持ちはいつもあるかな」

――なるほど。楽曲で、話し合うきっかけとしての視点を提示する感覚。

「『天使日記』でも引用したんですが、(ルドルフ・)シュタイナー(19~20世紀に活動したドイツの神秘哲学者・教育者・建築家)も〈理想が消えかけている〉って言ってるんですね。近代化以降、夢見るとか、理想を描くっていうことが稀有になってきている、と。彼は〈それを取り戻さなきゃいけない〉って書いてるんです。シュタイナーの生きた時代から100年ぐらい経ちましたけど、彼の時代でそうだったんだから、今はなおさらですよね」

――今の自分の実感からすると、明るい未来やよりよい社会って想像しにくくて。毎日を生きるのに必死だから、理想を考えること自体、億劫になっちゃうんですよね。どうせ良いことないし……みたいな。

「個人の人生で考えると、なんていうか、それこそ答えが出なくて行き詰まる感じがあるんですけど、もう少し大きなものについて考えたいってことなんです。しんどい人が少しでも減っていく社会がどうやったら実現できるのか、そういう夢ですね。でも、確かにみんな〈夢〉ってどんなふうに思い描いてるんでしょうね?」

――個人の総体が社会だって考えると、それぞれの思い描く夢や理想が未来だと言えると思うんですが、僕の実感としてはそれが明るいものだとは思えないんです。人生相談みたいになっちゃって恐縮ですが。

「つまり自分が動いても何もならないだろうって思ってるから、夢を見られないわけですよね。その無力感や孤独感、いわば閉じている状態の人たちと繋がりたいっていう思いがあるのかもしれないです。余計なお世話かもですが」

――〈余計なお世話〉って良い言葉ですね。拒絶されたり、差し出がましいと思っても、手を差し伸べずにはいられない。〈余計なお世話〉がない社会はあまりにも辛いし、キツすぎる。

「それだと世の中、ただの地獄ですよね。言い換えると、社会のあちこちで起きている問題を〈個人の問題でしょ〉って言って、誰も何もしなかったらどうなるんだ、って話で。〈何とかしなきゃ〉って声なき人の声を聞いて動く人がいるから、物事は動き出す。社会問題に関して、自分は例えば、NPOの最前線で働いている人たちとかに比べたら全然動けてはいないけど、意識の上では共鳴しているつもりでいます。自分はそれを音楽でやってるのかな」

 

作品を手放し自分以外の要素を入れる〈余白〉

――『余白のメロディ』は10作目ですね。キャリアをこの機会に総括する意味も込められているのかなと思ったのですが、いかがですか? 大学時代からやっていたバンド、Thousands Birdies’ Legsの曲“ニセアカシアの木の下で”や、初のワンマンライブで演奏した“Glory Hallelujah”も収録されていますが。

「正直なところ〈10周年だから〉みたいな意図は無いんですよ(笑)。そう受け取られるのは、面白いなと思います。“ニセアカシアの木の下で”を作った時の私と今の私は、経験している物事もものの見え方も違っているので。過去の自分と今の自分が作品の中で自然と響き合ってるんだとしたら、面白い」

――なるほど。

「ただ活動を始めてから、今年で15周年なんですね。11月にはMIDI時代のLPボックス(『寺尾紗穂 EARLY YEARS LP BOX 2006-2012』)も出るんですよ。区切りといえば区切りなので、結果的にこれまでの歩みの中で転換点になった曲を入れてもいいかな、と思ったんですね」

――じゃあ、気合を入れて集大成を作るぞ、みたいな気持ちではなく、これまでのように日々のバイオリズムの中で出来上がった曲をまとめて出したと。

「そうそう。私にとって、曲を作ることって日記を書くみたいなものなので。インタビューで話すこととかも正直、後から意味を考えているところが多くて(笑)」

――そうなんですね(笑)。

「このアルバムが今までと大きく違うのは、他の人に関わってもらった曲が多く入っているところですね。今までは自分のオリジナルを揃えて、アルバムとしてまとめることを長くやっていたんですけど、だんだん曲が出来るペースも空くようになって。だから、大事にしてきたカバーや共作の収録が増えたのは、そういうタイミングだったからなのかな」

――『余白のメロディ』というタイトルの意味は?

「そのものズバリっていう答えはなくて。ぼんやりしてるんですが、さっき言ったように自分以外の要素を入れて成立させていくことが〈余白〉というか。そうすることは作品を少し自分の手から放すことだと思うんですよね。〈これが自分なんだ〉と、訴えたいわけではなくて。他の人に参加してもらったり、カバーを入れることによって、風通しを良くしたかったんですね」

 

(左から)寺尾紗穂、松井一平
Photo by 植本一子

戦争や災害で当然だったものが無くなる。しかし人は必ず立ち上がる

――収録曲について訊かせてください。まずは1曲目“灰のうた”ですが、芸術家の松井一平さんが作詞を担当されていますね。〈参加と不在が交わされ/列から消えても/倒れなかった/この街〉という歌詞が、特に心に残りました。

「そのフレーズ、私もすごく好きです。

一平さんから詞をもらった時には、サビは繰り返す構成じゃなかったんです。でも、どうしても繰り返したいと思って、付け足しました。1回目のを歌った後の間奏はマイナーコードで始まるんですけど、2回目はメジャーで明るい軽やかな感じで終わっていくんです」

『余白のメロディ』収録曲“灰のうた”

――音楽的な効果で違った印象を持って響いてきますね。この街では悲劇もあったけど、希望も生まれくる、という経過が見えてくるようです。

「戦争とか災害があって、それまで当然だった確かなものが無くなる。それ自体は悲劇なんですけど、必ずまた人は立ち上がって、新しい時間が流れていく――それを2回繰り返すサビで表したかったんです。〈取り戻せないことの上にも/僕ら立っている〉も印象的ですよね。取り戻せないものはあるけど、新しい何かがまた生まれてくる。決して暗い詞ではないですよね」

――松井さんとは、〈おきば〉というユニットでライブをしたり、2013年には画文集「おきば」を出してますよね。2015年には7インチEP『いしとゆき/幻のありか』もリリースされている。松井さんの歌詞の魅力ってどんな部分にあると思いますか?

「ご本人の絵と近い感じがしますね。必要最小限、無駄な言葉がない。少ない言葉で抉り出すものが深いところが好きです。

本人的には“灰のうた”は言葉が暗く響かないか心配だったらしいんです。でも、曲と詞が合わさって、希望に結びつく表現になっていたので嬉しかった、って言ってくれました」

――確かに詞そのものには、重苦しさもあると思うんです。でも、先ほどの転調やストリングスが効いていて、焼け跡に朝陽が昇るような希望に満ちたイメージが湧いてきます。

「ピアノでこの曲をやる時は、盛り上がるところは一人で弾いちゃうんですけど、せっかくレコーディングするなら、やっぱりオーケストラを入れたいって思って。昔『愛の秘密』(2009年)に参加してもらった、未知瑠さんにアレンジしてもらいました。こういうアレンジで録音したのは久しぶりでしたね」

――2曲目はMC.sirafuさん作詞の“良い帰結(Good End)”。1曲目も街の歌でしたが、こちらは都市が舞台になっています。どちらも街に暮らす人の息吹が通っている感じがするのが、素晴らしいと思います。

「〈恋しさと 切なさと 心強さと〉みたいなところあるじゃないですか」

――〈創造は土地からはみ出して/塔の先が天に届くほどの/愚かさと せつなさと 心強さと〉の部分を言ってます(笑)?

「その部分です(笑)。これって、人間が作ったもの、例えば、タワーマンションみたいなものを見上げて、そういうことを思っている風景かなと思うんですが。私としては〈タワマンを見上げても心強さは別に感じないな〉と、思いながら歌ってます(笑)。でも、ここがオマージュとして肝なんだろうと思ったので、そのままでいきました」

『余白のメロディ』収録曲“灰のうた”

――街に暮らす人々の視点が交錯する情景を捉えているリリックだと思いました。そういう堅牢な人工物に心強さを感じない人も居る気がします。

「確かに、色んな人の感覚を取り入れていますよね。

ちょっと不思議な歌詞だと思うんです。〈ループライン〉って言葉が出てきますけど、具体的にそれが何かははっきりしない。でも〈あぁ、もういつからか/ネオンの震えに気づいたよ〉みたいなラインは解像度が高い。この部分、すごく好きですね。〈震え〉って言葉が出てくるのがスゴイ。遠くから見たら、ただのネオンの明かりだけど、近くで見るとチリチリと震えて光っている」

――この曲、寺尾さん流のヒップホップではないのかな、と。『楕円の夢』(2015年)の“リアルラブにはまだ”に近い要素も感じました。

「“リアルラブにはまだ”はラップというか、よくわからないものですね(笑)。この曲は、sirafuさんの詞が韻を踏んでいるので、その要素は掬ったかもしれないです。

sirafuさんのリリックは、うつくしきひかり(MC.sirafuと中川理沙によるユニット)を聴いた時からいいと思っていて、いつかお願いしたいと思ってたんです。ようやく実現しましたね」

2015年作『楕円の夢』収録曲“リアルラブにはまだ”

 

あがきながら問う〈愛って何かな〉

――3曲目は“確かなことはなにも”。この曲では語り手が醒めた生き方をしている〈あなた〉と向き合いながら、〈愛って何かな〉という問いについて考えています。面白いなと思ったのは〈あなた〉も語り手もしっかりした答えを持っていないんですよね。だから〈もう少しあがいていいですか〉というラインで締め括られる。

「そう。なぜなら相手のことが大切だから。〈あなたは、あなたね〉って諦めて去ることができないんですね」

『余白のメロディ』収録曲“確かなことはなにも”

――〈愛って何かな〉って、すごくストレートで大きな問いですよね。

「この曲はそこから生まれたんですね。この問いに向き合わないまま、なんとなく生きている人たちって多い気がするんですよ。この曲を書いた当時、私自身がこの疑問と格闘していたんです。この問いを超えないと、関係として本物じゃないなって思って。この曲は、相手が愛に気づいていないし、自分も実際のところ愛って何かわかっていない、っていう状況なんですね」

――答えは出るものなんですか? 僕はその問いが生まれると〈これは愛ではない〉って結論づけて関係を終えちゃいますね。

「(笑)。難しいですよね。でも、あがかなきゃいけないからあがいている。つまり今の状態は愛ではないけど、それをぶちまけると、関係は終わってしまう。だから、待ちながら、足掻くしかない。

私の体験としては、やっとあがかなくてよくなった瞬間が訪れたので。それが起きた時は奇跡みたいだなって思いました。〈いつか、わかってほしい〉って思いながら、その場所に居続けたことで、相手も気づいたというか」

――諦めず、プレッシャーをかけるわけでもなく、そこにいること。それって愛の本質でもありますけど、難しいことですよね。

「そうそう、そこにいることが大事。だから、自分との闘いなんですよ。自分と向き合うことでもある。大事なのはその人が自分にとってどういう存在なのかを考え続けることなんですよね」

――恋愛だけじゃなくて、先ほどの河童の話のように、分かり合えない人との対話にも聴こえますね。4曲目に話を進めさせてください。“ニセアカシアの木の下で”は、Thousand Birdies’ Legsのファーストアルバム(2005年作『Thousand Birdies’ Legs』)からの楽曲ですが、この曲をセルフカバーしたのはなぜですか?

「そのファーストアルバムも今、中古で値段が高くなっちゃってるんですよね。そういうのを聴いてもらえる機会を増やしたいのが一つと、この曲だけじゃなくて、違う形で生き返らせたいなと思ってる昔の曲が結構あって。冬にわかれて(寺尾・伊賀航・あだち麗三郎によるバンド)の次のアルバムでも昔の曲をやってみようと思ってます」

『余白のメロディ』収録曲“ニセアカシアの木の下で”

――昔の曲だから、というわけじゃないですけど、歌詞が非常に瑞々しくて。この曲にはMomさんが参加していますが、エフェクトのかけられた寺尾さんの声をはじめ、エレクトロポップ的なアレンジが新鮮ですね。

「歌詞は……若い頃に書いたからね(笑)。

原曲はボサノバなんですが、違うアレンジにしたかったんです。今回は電子音がメインのアレンジで、最後にハーモニカの音が入るんですよ。あれがすごく効果的だと思う。あそこはMomさんがやってくれて。すごい才能だなって思いました。トラックメイカーってイメージが強いかもしれないけど、弾き語りもいいんですよね」

――5月にライブも一緒にやられていますけど、意外な組み合わせだと思うんですよ。どんなきっかけで参加することになったんでしょうか?

「去年、日本橋の三井ホールで行われたイベント※に出演したんです。Momさんは一緒に出た5組のうちの一人で。彼の出番の時に楽屋のモニターで聴いてたら、すごくいい歌を歌ってるなって思って。袖で待ってて、ライブが終わった後に〈すごく良かったです〉って伝えたんです。向こうは〈誰?〉って感じだったと思うんですけど(笑)。

アルバムを作る時に、ふとその時の演奏を思い出して、彼に入ってもらったらいいかもと思ってお願いしたんです」

※2021年11月21日に東京・日本橋の三井ホールで開催された弾き語りイベント〈-歌宴-パラレルとパラドックス〉

 

おきば
Photo by 琴音

本当のことを言葉にしてしまう

――5曲目は“期待などすてて”。この曲も松井さんが作詞を担当しています。個人的に精神的な病で動けなくなっている時の感覚と似ていると思って、余白の中にいる人、正しさからあぶれてしまう人の歌だと思いました。夢も希望も見えない状態と言ったら言い過ぎかもしれませんが。

「確かに夢を見られない人に響くかも。〈本当のことは言葉にならないな〉って歌詞を〈染みる〉ってツイートしている人も見ました。私は本当のことを言葉にしてしまうタイプなので、一平さんとはベクトルが違うって思いますね。自分とは違うものの見方をしている曲がこのアルバムに入って良かった」

『余白のメロディ』収録曲“期待などすてて”

――この曲はローズとベース、フルートのアンサンブルの中で優しく清麗と響く、寺尾さんの声の魅力がよく出ていると思うんです。曲ごとにさまざまな表情が出てますよね。

「確かに、曲によって引き出される声が違うなとは自分でも思っていて。特に民謡、“ねんねしなされ”(熊本・葦北の守子唄。『わたしの好きなわらべうた』収録)とかを歌ってると、勝手に引き出される声ってあるんですよね。

この曲は、確かにいつもとは違った声が出ています。ピアノと歌を分けて録ったので、繊細な、力を抜いた声を出せてますね」

“ねんねしなされ”のライブ動画

――6曲目は“森の小怪”です。この曲は1940年の曲のカバーですね。原曲は灰田勝彦さんが歌っていますが、陽気なハワイアンアレンジで。時代を考えると、太平洋戦争開始から終戦までに流行していた曲だと思うんですが、この曲が寺尾さんに響いた理由は?

「これは、軍国主義の時代の曲で。小沢昭一さんが『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』という本で書いてるんですが、当時、特攻隊員たちが好んで歌っていたらしいんですね。そういう前提で聴くと、この曲も恋愛の歌っていうより、当時の状況と結びついている気がする。若者たちが徴兵されて、出兵していく中で、恋人や家族、友人との別れもあって――そういう時代背景があったからこそ、この曲は多くの人に聴かれたのかなって思います」

灰田勝彦の1940年のシングル“森の小怪”

『余白のメロディ』収録曲“森の小径”

――ピアノと歌というシンプルなアレンジだからこそ、〈白い花〉というモチーフが、際立ってイノセンスの象徴のように感じられます。

「最後の〈白い花夢かよ〉という一節って、ロマンチックな意味だけじゃなくて、重みがありますよね。遠い国の戦地で亡くなった人も多い時代には、束の間の戦争と関係のない時間や平和が夢のように感じられただろうし、実際に夢になっちゃった人もいただろうし」

――間奏にベートーヴェンの“悲愴”が織り込まれていますが、これはなぜですか?

「単純に浮かんできたというか、合うなと思ったんです。後付けで考えると、戦争が進むにつれ、日本では海外の曲はドイツとかイタリアのような同盟国の曲しかラジオで流れなくなったから、当時の人たちもベートーヴェンは終戦時まで聴く機会があったんじゃないかな、と」

 

〈孤独なたましい〉が輝きを取り戻すまで

――7曲目は“光のたましい”です。この曲は、2020年6月に配信されていますね。コロナ禍の影響を受けた曲とのことですが。

「1年くらいの間、自分の身近にいた人が繊細な人で。その人が抱えている苦しみについて、話を訊いていく中で、自分を濾過して出てきた作品なんです。その人の感情と、自分の過去の辛かった感情が響き合って出てきた曲だと思います。

2020年は著名人の方の自死がニュースで多く取り上げられてましたけど、追悼の意味もあったのか、この曲をラジオでかけてくださったDJの方もいました」

『余白のメロディ』収録曲“光のたましい”

――〈みえない右手さがしてねむる〉〈みえない右手抱いてねむる〉というフレーズが印象的です。この歌詞はどのようにして生まれたのでしょうか?

「さっき話した知人が〈眠る時にいつも手を探してしまう〉っていう話をしていたんです。自分の手を握ってくれる人を探す、眠る時にそういうイメージをしてしまうって。その人はお母さんとの関係がうまくいってなかったんです。アダルトチルドレンみたいな、幼い時に愛情が満たされなかった経験が残っている感じがあって。〈眠る時に手を探す〉なんて考えたこともなかったから、すごく印象に残ったんです」

――この曲、孤独のリアルな質感が描かれていると同時に、そこになんとか手を差し伸べようとしていますよね。

「そうですね。〈私たちみんな光のたましい〉と歌うことで、孤独を感じている人たちの本来の輝きを表している、というか。本当はみんな輝いて満たされるべきで、そこになんとかたどり着けないかなって願いを込めています」

――今のお話を伺って、次の“僕の片割れ”とのリンクも感じると思いました。“光のたましい”で描かれた生きる上での苦しみを乗り越えるため、親や子ども、かつての自分と時間をかけてまた巡り合い、希望にたどり着く過程が歌われている気がします。

「確かにテーマは繋がっていますね。親との関係に悩んでいる人って、結構いるじゃないですか。去年トークしたイ・ラン(86年生まれ韓国出身のシンガーソングライター、マルチアーティスト)もお父さんへの憎しみを強く抱えていることを文章にもしていますが」

『余白のメロディ』収録曲“光のたましい”

――「文藝」の2022年春季号に「母と娘たちの狂女の歴史」というエッセイを寄稿されていましたね。そのトークイベントは2021年の10月にB&Bで行われたイ・ランさんのエッセイ集「話し足りなかった日」の刊行イベントですか?

「そうですね。その時にイ・ランが〈寺尾さん、朝起きて何してんの?〉って訊いたんですよ。〈ベランダで花に水をやってるよ〉って何気なく答えたら、彼女は〈その花たち、みんな『生きていたくない』って言ってるでしょ〉って返してきて。そんなこと思ったこともなかったので、絶句してしまったんです。だって、乾いている土に水をかければ吸収している音がするし、1時間ぐらいすれば、しなだれてた花も水を吸って元気になるし……。花を見ても〈綺麗だな、生きてるな〉じゃなくて、そんなふうに思ってしまうぐらい、彼女が抱えているものって重いんだなと気づかされて、衝撃だったんですね」

――目に見えるものすべてに、自らが背負った〈重み〉がのしかかっている。

「イ・ランだって、子どもの頃は花を見て〈綺麗だな〉って思っていただろうし。でも、それがいつしか変わってしまった。そういう人たちが、またちゃんと歩き出せるのって、いつなんだろうって考えちゃうんですよね。

子どもを持つ身からすると、やっぱり最初は、子どもって無条件に親が好きだと思うんです。けど、成長の過程で様々な要因によって、親に対する憎しみやしんどさに変わっていく」

――そういう苦しみの側にいることって、すごくハードですよね。“確かなことは何も”のお話に繋がるところもあります。

「結局は、その人自身にしか解決できないことなんでしょうね。

精神分析とかカウンセリングでは自分のインナーチャイルドと向き合うことが大事だと、よく言われますよね。でも、心の中に見える幼い自分って、あくまでも今の自分の視点から見ている。だから、今の自分が変わっていくと、インナーチャイルドも変わっていく。今苦しんでいる人が、いつか笑顔で笑っている幼い自分と出会える日が来たらいいな、という思いを込めて“僕の片割れ”を書きました」

 

Photo by 植本一子

目に入ったもの、縁のできたもの、聞こえてきたものに関わっていく。私はそうやって生きていく

――9曲目の“歌の生まれる場所”は、〈歌の彼方 耳に届くざわめき/気づかぬふりはしない〉という強い決意で終わるじゃないですか。冒頭の質問に戻るんですけど、この決意を宣言しなきゃいけなかった理由はなんでしょうか?

「社会的に無いことにされる欺瞞や不正、無理解、あるいはそれに苦しんだり、見えにくくなっている存在そのもの、そういうものをひっくるめて、〈あるものはある〉って言いたかったというか。無視されがちな、すべてをきちんと自分の目で見ていたいって思いを歌いたかったんですよね」

『余白のメロディ』収録曲“歌の生まれる場所”

――でも、それって、寺尾さんの言葉を借りると失礼ながら〈偉そう〉じゃないですか。すべてを見ることはできないし、見ていることで対象を傷つけることだってある。だからこそ、そういうネガティブな部分も含めて気づかないふりはしない、という覚悟として受け取ったんですが。

「すべてを見ることはできないから、見ないっていう選択肢は私にはないですね。目に入ったもの、縁のできたもの、聞こえてきたものに関わっていく。私は、そうやって生きていくってことなのかもしれません。たしかに〈歌の生まれる場所まで一緒にあるこう〉とか、お節介ですよね(笑)」

――面白いなと思ったのは、その後に〈すべてを超える場所へ〉という一節があって。それって〈歌の生まれる場所〉=〈すべてを超える場所〉だということですよね。〈歌〉が持つ力への信頼を感じさせるリリックだな、と。

「個人にとって、〈自分の歌が始まる〉ってことは、すべてを超えている気がするんです。つまり、他人との比較や真似ではなく、人生に行き詰まっていた人や自分の現実以外が見えなくなっていた人が、本当の意味で自分の生き方を見つけて〈これが、自分の歌だ〉って思えるようになった瞬間は、もはや新しく生まれ変わったレベルの変化じゃないですか。だから〈すべてを超える場所〉って書いたんです。社会的な抑圧で苦しんだり、何かにとらわれて盲目的になっている人たちの認識の仕方が変わって、見える景色が変わる――そういうことを書きたかったんだと思います」

――〈自分の歌を見つける〉ということは、自分の手で人生の手綱を握り直すということでもあるな、と。生の肯定であると同時に、それを阻もうとするものに対する反骨精神に満ちた曲だと思います。

「ふふふ(笑)。〈手綱〉ね、いい言葉ですね。〈人生の手綱〉」

――10曲目の“Glory Hallelujah”は、シンガーソングライターの西岡恭蔵さんの曲のカバーです。この曲は下北沢のラ・カーニャで行った初のワンマンライブで演奏されたんですよね? 「歌詞が体中を駆け巡る気がした」と以前インタビューで言っていましたが、この曲が大切な曲である理由を教えてください。

「正確にいうと、部屋で練習した時にそう思ったんですよね。なんでだろうな……思い出せない(笑)。そもそもこの曲、すごくストレートですよね。〈きっとここにある唄う喜びが/希望の波になりあなたに届くように〉という願い。歌い手としては、これ以上ない歌だって気がしますね」

『余白のメロディ』収録曲“Glory Hallelujah”

――そう聞くと、この曲はこのアルバムに収録される必然性があったんだなと。“歌の生まれる場所”と響き合って、歌うことの意味を再定義しながら、他の曲で描かれる、それぞれの〈余白〉の物語を寿いでいる。

「そういう意味で言うと“歌の生まれる場所”の〈耳に届くざわめき〉って、声にならない声のことを指しているように思えるけど、誰かが見ないようにしていることとか、そのことによって生まれるモヤモヤも含むのかも。そういうものとちゃんと向き合って〈気づかぬふりをしない〉と誓うことは、“Glory Hallelujah”の〈私が私である事を願いながら〉〈あなたがあなたである事を願いながら〉とも繋がっていますね」

――アルバム全体を包み込む、ラストにふさわしい曲だと思います。最後には〈祈り〉があるんだ、と。

「すごいエネルギーの詰まった曲だと改めて思いました。〈私もあなたも一人じゃないと/共に生きている確かなあの唄声が〉――この一節に尽きますね」

 

考えすぎたら余計なお世話はできない

――この『余白のメロディ』は寺尾さんのディスコグラフィーの中でも、最も力強い作品だと思うんです。だからといって、聴き疲れするとかはなくて、聴いていると気づかされることが多い。

「そうですか。疲れちゃうアルバムもあります(笑)? よく〈寺尾さんのアルバムは正座して聴きます〉とSNSで言っている人を見るんですよ。だから、私の音楽って堅苦しいのかな、って(笑)〉

――いや! でも、冒頭で言っていたように、曲を聴きながら対話したくなるんですよね。自分や曲そのものと。呼び起こされる記憶や現在進行形で悩んでいることとかについて考えたくなるんです。

「でも、それって、最初の〈余計なお世話〉の話に繋がりますね。私の音楽は〈お節介〉な音楽だから。そこで、好き嫌いは別れるかも」

――だからといって寺尾さんは〈余計なお世話〉を止めないですよね。このアルバムって〈これからも余計なお世話をします〉と決めた、と歌っているわけだし。

「そうですね。今、夏でしょ。ミミズが道路の上で〈アチアチ〉ってのたくってるわけですよ。そういうのを見つけたら、いちいち土のところに戻してますから、お節介に忙しいです(笑)」

――でも〈余計なお世話〉とか〈お節介〉って誰にでもできるわけじゃないですよ。何かに気づいても、行動に移せないことってよくある。僕も今朝、アスファルトの上で苦しんでいるミミズを見つけましたけど、取材に遅れそうだったので見殺しにしましたから。

「考えすぎるとできないかもしれないですね。私みたいにあまり考えていない人間がお節介をするのかもしれないですよ」

――それはとことん考え抜いている、寺尾さんだからこそ言える言葉だと思いますけどね。その証明がこのアルバムだと思います。

「でも、本当のところを言うと、半ば、衝動だと思うんですよ。こう動いたら、どう思われるんだろうとか考え始めたら動けないじゃないですか。考える前に動いてしまう。私にとって、音楽もそうなんだと思います」

 


RELEASE INFORMATION

寺尾紗穂 『余白のメロディ』 こほろぎ舎(2022)

リリース日:2022年6月22日
品番:KHGCD-002
価格:3,300円(税込)

配信リンク:https://linkco.re/tU2REvT8

TRACKLIST
1. 灰のうた
作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
2. 良い帰結(Good End)
作詞:MC.sirafu 作曲:寺尾紗穂
3. 確かなことはなにも
作詞・作曲:寺尾紗穂
4. ニセアカシアの木の下で
作詞・作曲:寺尾紗穂
5. 期待などすてて
作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
6. 森の小径
作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦
7. 光のたましい
作詞・作曲:寺尾紗穂
8. 僕の片割れ
作詞・作曲:寺尾紗穂
9. 歌の生まれる場所
作詞・作曲:寺尾紗穂
10. Glory Hallelujah
作詞・作曲:西岡恭蔵

参加ミュージシャン:あだち麗三郎(ドラム他)/伊賀航(ベース)/Mom(トラック他)/池田若菜(フルート他)/高橋三太(管アレンジ/トランペット他)/渡邊恭一(テナーサックス他)/高井天音(トロンボーン)/未知瑠(管弦アレンジ)/多井智紀(チェロ)/吉田篤(バイオリン)

 

LIVE INFORMATION
寺尾紗穂『余白のメロディ』リリースツアー
2022年6月24日(金)石川・金沢 21世紀美術館 ※終了
2022年7月30日(土)愛媛・今治 眞鍋造機 ※終了
2022年8月20日(土)京都 教育文化センター 共演:松井一平(ドローイング) ※終了
2022年8月21日(日)大阪・梅田 ムジカジャポニカ 昼夜公演/共演:高井息吹 ※終了
2022年9月24日(土)北海道・帯広 旧双葉幼稚園
2022年10月8日(土)熊本 早川倉庫 共演:坂口恭平/伊賀航
2022年10月9日(日)福岡・糸島 いとのもりの歯科室 共演:伊賀航
2022年11月12日(土)島根・出雲 旧国際交流プラザ 共演:歌島昌智
2022年11月23日(水・祝)和歌山 LIVE SPACE MOMENTS
2022年12月10日(土)東京・赤坂 サントリーホール ブルーローズ