「分断とか排除とか、そういうことを超えて人は繋がらなきゃいけないと思います」――寺尾紗穂は最後にそう呟いた。都議選前日、6月21日に東京・赤坂の草月ホールで行われたコンサートの、アンコール3曲目(君島大空“夜を抜けて”のカバー)の演奏前のMC。空気がじわりと変わるのを感じた。それまで傍観するように聴いていた音楽に、突如、自分も当事者の一人として巻き込まれていく感覚に陥った。〈あなたは分断や排除を超えて人と繋がれているか?〉と、静かに問いかけられているようでもあった。

シンガーソングライターの寺尾紗穂が古謡シリーズ第3弾となるアルバム『わたしの好きな労働歌』を完成させた。これまでわらべ歌をテーマとしてきた2枚に対し、新作は労働歌がテーマである。労働作業を行う際に掛け声のように口ずさむ歌。同じ歌であっても、地域によって、また歌い手によって、さらにはその日その時によって、歌の形は変化していく。生活に根差しながら即興的に歌われる。そうした歌の痕跡を辿りながら、寺尾紗穂は彼女自身の歌として、ポップミュージックとして労働歌を蘇らせる。

草月ホールのコンサートではオリジナル曲が中心のピアノ弾き語りを経て、後半、曲によってメンバーを変えたバンド/アンサンブル編成で労働歌を取り上げていった。そこには一貫した彼女の音楽と、それぞれの労働歌ならではの独特のリズム、耳に残るメロディーの繰り返し、意想外な展開があった。とりわけ全メンバー――あだち麗三郎、伊賀航、歌島昌智、音無史哉、折坂悠太、小林うてな、近藤達郎、やぶくみこ――を交えた9人編成での、“浜子歌”の演奏には鳥肌が立った。寺尾紗穂と折坂悠太の歌声がステージを突き破る柱のごとく力強く立ち上がると、それに絡みつくように即興的なアンサンブルが奏でられていく。モーダルなピアノ、野太いベースに波打つシンバル、幽玄な笙と揺蕩うハーモニカの響き等々――あたかも大地が霊的にざわめき出したかのようだ。

かように労働歌といえども寺尾紗穂の手にかかると一筋縄ではいかない。それは平準化されたポップミュージックにはない特異さであると同時に、その特異な歌をさらに独創的な音楽へと昇華してしまう彼女の手腕ゆえである。しかしなぜ、労働歌だったのか。

都議選の結果をここで云々する余裕はないが、少なくとも〈分断と排除〉を超えたとは言い難いものとなった。それどころか今や世界が混乱している。だがそうした中で労働歌は、生活に根差した音楽は、ますます耳を傾けるべき響きとなっているように思う。寺尾紗穂は『わたしの好きな労働歌』とほぼ同時に上梓した新著「戦前音楽探訪」の中で、岡本一平の“翼賛親子”を取り上げながら、当局の目をかいくぐるようなそのシニカルな批評精神に着目し、統制と表現の問題をめぐってこう記している。〈社会が歪むとき、孤高を貫ける人間はわずかで、多くは集団の中でしか生きられない。生活はつづく。その中で彼らが繰り広げた抵抗の意味を認めた上で、その限界を見つめることは無意味ではないはずだ〉(164頁)。

歪んだ社会の中で試みた表現に抵抗の意味を認め、その限界を見つめること。否応なく生活は続くのである。その生活を続ける中で、いかにして抵抗するか。名もなき人々が残した労働歌もまた、生活に根差した音楽なのだった。そしてそれは一種の抵抗の営みでもあると思う。であれば歪みつつある社会の中にいるわたしたちは今、あらためて労働歌に耳を傾け、そうした〈小さな音楽〉を通じて生きることの周辺を見つめ直す必要があるとは言えないか。そこから〈分断と排除〉を超えた繋がりも探っていくことができるのではなかろうか。

寺尾紗穂 『わたしの好きな労働歌』 こほろぎ舎(2025)

 

新しいフレーズ、メロディーと出会うための古謡再生

――寺尾さんはわらべ歌や労働歌などの古謡を発掘し、現代に蘇らせる活動を続けていますが、そうした活動を行う一番の動機はなんでしょうか?

「一番大きいのは〈新しいフレーズに出会いたい〉ということかなと思います。みんなに知ってほしいというシンプルな気持ち。基本的にはメロディーが引っかかるものをピックアップしてますね」

――つまり、アラン・ローマックスやハリー・スミスのような民俗音楽の蒐集とはまた異なる、いわば音楽家的な視点がベースにあると。

「そうですね。たくさん蒐集したいというより、自分に引っかかる独自のメロディーを探しています。たとえば江戸からの往来があった宿場町や距離的に中心に近い場所だと、地方でも江戸系の似たような歌が多かったりするんです。でもそれ以外の地方では独自のメロディーが眠っていたりする。そういう歌の面白さをもっと知ってもらいたいという思いはあります。同じようなメロディーではなくて、〈その場所でしか聴けないな〉というものを」

――日本に眠っているメロディーを発掘する面白さと言えばいいでしょうか?

「日本のメロディーと一言で言っても、たとえば江戸期に三味線が入ってきてから都節が流行ると、短調がバーっと広まったんです。だけど日本にもともとあったメロディーって、棒うち歌とかもそうですが、長調の明るい歌が多い。江戸子守歌として知られる“ねんねんころりよ”も、中国地方には明るいバージョンが結構あるんです。

そういう意味では、日本的かどうかというより、〈より中央的でないかどうか〉ということなのかもしれない。そこで独自に育まれたメロディーに興味があります」