〈寺尾紗穂 サマー・コンサート〉が2026年6月21日に開催された。君島大空がゲスト出演したこの公演についてライター/編集者の小田部仁が綴る。 *Mikiki編集部
〈重み〉をもって響いた“魔法みたいに”の言葉と演奏
「立場が違う、国が違う、人種が違う、民族が違う。そういう差を、本来人は愛の力、あるいは友情の力でヒョイと乗り越えられるものだと思います。その当たり前が忘れられていかないように歌い続けたい」
6月21日、有楽町・よみうりホールで開催された〈寺尾紗穂 サマー・コンサート〉。NHK「Dearにっぽん」のテーマ曲“魔法みたいに”に寄せて、寺尾紗穂はそう言葉を紡いだ。2025年7月の参院選以降、〈日本人ファースト〉という悍ましい言葉が広まっていくなかで、この曲をオリジナルの歌詞で歌い続けなければならない――そう決意し、約1年にわたり原詞で歌ってきたのだという。
昨年末、筆者が訪れたライブでも、寺尾は“魔法みたいに”を演奏する前に同様の話をしていた。そのため、決して初めて耳にする内容ではなかった。しかし今回のコンサートでは、その言葉と演奏が、これまでとは異なる〈重み〉をもって心に深く刻まれた。
それは、このわずか半年ほどのあいだに、この国の内外で社会情勢が明らかに加速度的な悪化を見せていることとも無関係ではない。そして同時に、この日奏でられた音楽そのものが、暴力や不正義、憎悪といった、本来は暗い闇の中にとどまるべきものが、すでにわたしたちの日常の光の届く場所にまで顕れ始めているという不気味な現実を、くっきりと浮き彫りにしていたからでもある。
しかしそのうえでなお、いや、それ以上に――この夜、奏でられた〈響き〉は、明らかにしていた。偶然に呼応し合う遠い星々の瞬きのように、一人ひとりが奇跡的に重なり合うときに生まれる、当たり前にただそこにあるべき、“魔法みたいに”強い力の存在を。

生と死のあわいで命の輝きが燦然と瞬く
君島大空をゲストに迎えたこの日のコンサートは、四部構成で行われた。第一部は寺尾のピアノ弾き語りによるソロ、第二部は君島のギター弾き語りによるソロ、第三部は再び寺尾が一人で登場し数曲を披露。そして第四部、ラストのセクションを二人がデュオ形式で締めくくるというものだった。
2012年のアルバム『青い夜のさよなら』に収録された“道行”から始まった第一部は、筆者がこれまでに参加した寺尾のどのコンサートよりも、命の輝きが燦然と瞬くような演奏の連続だった。灯火管制下、あるいは人々が集う熾火を思わせるミニマルな照明の下で、寺尾の弾く生命力に満ちたピアノの音色と、清冽かつ情熱的な歌声が、活き活きと跳ねる、踊る、息をする。一人で歩いたり、旅をしたり、人と出会い、寄り添い合ったり、離れたり――寺尾が第一部で奏でた楽曲の数々は、この醜くも美しい世界で生きるということの喜びと切なさを最大限に寿いでいた。そして、その祝福はそんな幸福が一瞬のうちに奪われる暴力の存在をも、影として孕んでいた。
目に見えないものや死者からの〈声〉にも寺尾は耳を傾け、音を紡ぐ。新曲“spring hymnのごと”は、中学時代の合唱部の先輩を想って書かれたものだと寺尾は語った。お互いの誕生日が来るたびに、靴箱にプレゼントを入れ合うほど仲が良かった二人。しかし、ある年、その先輩からのプレゼントが入っていないことに気づく。しばらくして、彼女が病気で亡くなっていたことを、幼き日の寺尾は知った。今、彼女とまた会えたら、どんな話をするだろう。死んでしまった人も、いなくなってしまった人も、決して消えるわけではない。帷の向こう側から、今を生きる人にエールをおくってくれているのではないか、と。
極論を言えば、生きて、死んでいくことに意味はない。志半ばで果てた人たちの心のうちも、想像することしかできない。しかし、確かにわたしたちは今ここで生きている。だからなんなんだ、と言われればそれまでだが、そこには決して無惨に損なわれてはならない、かけがえのない何かがあるはずなのだ。
〈ときをこえ わたしたちは つながる/音かなで 声合わせ つながる〉――時間、そして次元すらも超えて、わたしたちはつながることができる。邪なものを退け、先へと進んでいくことができる。第一部の最後に演奏されたのは、寺尾がメンバーであるバンド・冬にわかれての楽曲“みらい”だった。

わざわざ言うまでもない〈個人的なこと〉を守るために
寺尾紗穂と君島大空は、2020年8月に吉祥寺・スターパインズカフェで開催されたイベント〈静夏路情〉で初共演を果たしている。その後、距離が離れた期間もあったようだが、2025年には寺尾のアルバム『しゅー・しゃいん』全国ツアーの長野・上田映劇での公演にも出演した。そもそも君島は、「10年ほど前、人生で一番暗かった時期に音楽が全く聴けなくなってしまったんですけど。それでも聴くことができた数少ない作品の一つが寺尾さんの音楽でした」と、ライブ本編で語っていたように、音楽家として活動を始める以前から、寺尾の作品の熱心なリスナーだった。
今回のコンサートでは、クラシックギターの弾き語りで、6月17日にリリースされたばかりのアルバム『花落知多少』からの楽曲を中心に披露した。10年前、自分で歌を歌い始めた時期に作った曲でありながら、ずっと温めていたという“琥珀の遠景”の演奏は、このセットの白眉だったといえるだろう。寺尾もアルバムを聴き、「〈鏡に映らない季節を生きたふたり〉という歌詞の深い余韻に惹きつけられた」と、君島に伝えたという。
君島のつまびくギターからこぼれ落ちる、心の粒立ちそのもののような音と、時に(表現として)掠れ、震えながらも闇を切り裂く一陣の風のように響くファルセットの歌は、音楽を通して何かを伝えるという行為につきものの〈聴く人の孤独や痛みに触れる〉という営みを、実に慎重かつ丁寧に突き詰めていく。アルバム『楕円の夢』収録の寺尾の楽曲“迷う”のカバーにも、そんな君島の真摯さが現れていた。
君島は作品の中で、自分自身と他者との距離を常に測っているように思う。それは心地のよい、干渉しない防御策を探しているのではなく、互いを無理に損ねないように関わり合っていくための〈手立て〉を探しているという感覚に近い。自分は自分でしかなく、他者は他者でしかない。しかしながら、行き場のない痛ましい感情は確かに世界の何処かで一人ぼっちでいて、その孤独に手を当てようとするとき、人は不可知の領域に、否が応でも分け入っていかなければならない。〈優しさ〉や〈ケア〉というような言葉だけでは簡単に片付けることのできない、他者と関わることの困難さと重要性を君島は知っている。
「口に出して言う必要があまりない、わざわざ言うまでもない個人的なことをどうやって守っていくか、みたいなことに僕はずっと執着して生きていくんだろうな、と思います」
そんな一言と共に第二部を締め括ったのは、アルバム『花落知多少』のラストの楽曲“Anechoic”だった。〈消えた場所に声は届くのか/僕は確かめようとしている/強く抱きしめる体の拙さを/信じるために〉――煩悶しながらも、今を生きる一人の人として、できる限りのことを精一杯に。丹念に織り編まれた君島大空の豊かな音楽の底には、寺尾の作品とも呼応する、根源的で純粋な想いがあり、その感情そのものがそっとわたしたちの方へ優しく手を伸ばしてくるかのような演奏だった。

声なき声に耳を澄まし、祈る――有楽町で鳴らされた“しゅー・しゃいん”
昭和20年の敗戦後、空襲で焼け野原となった有楽町には、GHQの本部が置かれるとともに、巨大な闇市が出現した。ガード下にはバラックや露店がひしめき、路上には街娼や物乞い、復員兵、そして大切なものを奪われた多くの市井の人々たちの姿があった。戦後の混乱の只中に寄るべもなく放り出された者たちは、明日も知れぬ日々を死に物狂いで生きていた。寺尾が昨年発表したアルバム『しゅー・しゃいん』の表題曲“しゅー・しゃいん”は、そうした時代に主に米兵を相手に靴磨きで生計を立てていた戦災孤児の作文から着想を得て書かれた楽曲だ。
昭和15年に発表され、特攻隊員が好んで歌ったという灰田勝彦“森の小径”のカバーで幕を開けた第三部。寺尾の静謐な歌声とピアノの演奏で、鎮魂と祈りの色合いがいっそう濃く立ち上がっていった。神風特別攻撃隊の機体名〈彗星〉と、2018年に刊行した自身のエッセイ集「彗星の孤独」との思いがけない連関に触れつつ、己の運命を見つめながら死んでいった若者たちへと思いを馳せた“君の旅”、さらに戦時下の中国でとある兵士が出会ったヒョウの子の悲劇を歌う“ハチと僕”へと、第一部とは打って変わって、柔らかで慰撫するようではありながら、同時にある種の張り詰めたムードが会場を包む。
〈今はもう遠い思い出/しゅーしゃいん/みじめな日々さ それでも/黒ずんだあの手は/僕の始まり しゅーしゃいん〉(“しゅー・しゃいん”)
戦後80年余りを経て、有楽町の街からは、嘆きと混乱と叫びの痕跡も、狂気に満ちた輝きもいつしか失われ、令和の今はがらんどうのような空虚さが漂っている。しかし、人々が戦火の記憶を忘れたとしても、この街に吹く風や赤煉瓦は、きっと“あの日”を覚えているはずだ。本当の暗闇を知らずに育ったわたしたちにも、それをそっと静かに語りかけてくる。
この夜に演奏された“しゅー・しゃいん”は、炎に焼かれ、敵や味方に殺され、若さを、美しさを、自由を奪われた人々の声なき声を慰霊し、今を生きるわたしたちがその惨禍の上に立って生きていることを改めて思い起こさせ、力強く生きるよう鼓舞するように、深く響き渡った。

世界が内包する非情さにどのような方法で立ち向かえるか
寺尾と君島の二人がステージに立ち、デュオ編成で届けられた第四部では、まず冒頭に“愛よ届け”と“愛のありか”の2曲が演奏された。第三部のラストに据えられていた“あの日”もそうだが、この日のコンサートでは〈愛〉という目に見えない大いなるものの存在を改めて信じたい、とふと思わせられる瞬間が多かった。
社会というものは、不完全な存在である人間がつくったシステムだからこそ、構造的な腐敗を生みやすい。〈現実的〉という言葉で狡猾に、残酷になることは、当たり前にそこにあるはずの〈愛〉の力を発揮するよりも実に容易い。それでもなお、逃れられない現実の中にあっても、すべてのものの先に立ち、最後に残るものは〈愛〉なのだという理想論しか、実は最も実践的な解はない――はずなのだが、そう簡単にはいかないからこそ、この世界で生きることは、愛することは難しく、美しく、尊い。
潮が満ち引きするように、寺尾と君島は歌と演奏のリードを交代しながら、今日ここでしか鳴らないサウンドスケープを描き出していく。とてもよく似た、しかし、決定的に違う二人の歌声が、時に溶け合い、時に重なり合いながら、互いの表現に宿る根源的だが目には見えないものの輪郭をはっきりとさせていった。
〈理不尽な過去の経験によって心が病んでしまう人がこんなにいる世界はおかしい〉という思いからつくられたという“極地”と題された二人の新曲には、それぞれの場所でそれぞれの苦しみを抱える人たちへの想いが詰まっていた。〈壊されるなよ、一つの体を/一つの心を/奪われるなよ、明日のあなたを〉――どこまでも優しく、それでいて怒りにも似た強い感情がこもった歌が締めくくられた時、会場のどこかでむずがる赤子の声が上がった。
「こんなにたくさんの人にきてもらえるなんて。とても嬉しいです」と、よみうりホールに集った、約1,100人のオーディエンスに向かって感謝の念を表した寺尾。「この会場もとても素敵ですよね。1階と2階が分断されていなくて、楕円形になっていて」という言葉を受けて、君島は“楕円の夢”のイントロを演奏し始めた……のだが、いつまで経っても歌が始まらない。どうやら二人の間に曲目の行き違いがあったらしい。実に人間らしい、チャーミングなこのハプニングもまた、この特別な夜に人肌のぬくもりを与えていた。
万雷の拍手に迎えられたアンコールで披露されたのは、THE BLUE HEARTSの“青空”のカバーだった。〈生まれた所や皮膚や目の色で/いったいこの僕の何がわかるというのだろう〉――バブル景気の頂点に浮かれる日本とは対照的に、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わりへと向かう一方で、戦火は絶えることなく、湾岸戦争前夜の緊張が世界を覆っていた、1989年。そんな年にこの曲は発表された。それから年月を経た、2026年6月21日。この日のコンサートでもこの歌は当時と変わらぬ、いやそれ以上の切実なアクチュアリティをもって、強く響いていた。
ここ最近、様々なライブで“青空”をカバーするアーティストを目にすることが増えた。それはおそらく、偶然ではない。平和ボケの時代は残念ながら終わり、理不尽な血や涙や喪失は、道のすぐ片隅に転がっている。そんな苛烈な世界の今を芸術家たちは敏感に感じ取って、様々なやりかたでプロテストしようとしている。
わたしたちはこの世界が内包する非情さにどのような方法で立ち向かえるのか。思いやりを、友情を、愛をどこまで本気で信じられるのか。〈もしも二人が笑えるのなら/美しい時を謳えるのなら/欺く言葉に立ち向かえるよ/魔法みたいに〉――このコンサートの冒頭で聴いた“魔法みたいに”と、寺尾と君島が歌う“青空”が今、強く木霊しあう。
誰かが、何かが、わたしたちの手からかけがえのない美しい時を奪おうとするとき、笑い合う瞬間が、重なり合う声こそが、〈力〉になる。音楽は、演奏された端から消えてしまうのではない。空気を揺らし、聴く人の内側に、たしかな温度を残していく。寺尾紗穂と君島大空がこの夜、奏でた音楽は、会場に集ったオーディエンスだけでなく、私たちが日々を生きるこの世界にもそんな微かで、しかし力強い〈震え〉を伝えたのだった。
SETLIST
■寺尾紗穂
1. 道⾏
2. 燕の帰る晴れた朝
3. dream train
4. 魔法みたいに
5. ブラジルへ
6. 記憶
7. 私の好きな⼈
8. 私の怪物
9. こんばんはお⽉さん
10. 残照
11. ⼣まぐれ
12. spring hymnのごと
13. みらい
■君島大空
1. Q
2. 向こう髪
3. 星玻璃
4. 琥珀の遠景
5. 迷う(寺尾紗穂 cover)
6. Anechoic
■寺尾紗穂
1. 森の⼩径
2. 君の旅
3. ハチと僕
4. しゅー・しゃいん
5. あの⽇
■寺尾紗穂 × 君島⼤空セッション
1. 愛のありか
2. 極地
3. 夜を抜けて
4. 楕円の夢
5. 愛よ届け
6. ⻘空(THE BLUE HEARTS cover)
LIVE INFORMATION
冬にわかれて『forgotten』リリースツアー
2026年9月12日(土)愛知・名古屋 Halle RUNDE
2026年9月22日(火・祝)京都 京都府立文化芸術会館
2026年10月10日(土)東京 大手町三井ホール
2026年11月29日(日)福岡 ROOMS
PROFILE: 寺尾紗穂
1981年、東京都生まれ。音楽家・文筆家。主題歌の提供や、CM楽曲制作(KDDI、MUJIほか)、新聞やウェブでの連載も多数。ドキュメンタリー「Dearにっぽん」(NHK)のテーマ曲に“魔法みたいに”が選ばれ、教科書「高校生の音楽I」(教育芸術社)にも同曲が掲載。あだち麗三郎、伊賀航と共に3ピースバンド〈冬にわかれて〉でも活動を続ける。音楽アルバム『余白のメロディ』(2022年)、『しゅー・しゃいん』(2024)は「ミュージック・マガジン」の年間ベスト(ロック/日本部門)の10枚に選出された。最新作は『わたしの好きな労働歌』。書籍最新刊は「戦前音楽探訪」(ミュージック・マガジン社)。