オスカー・ワイルドのシニカルな格言をタイトルに持ってくるセンスが何とも彼ららしい。このたび到着したGOATBEDのニュー・ミニ・アルバム『The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole.』は、現在開催中のツアー〈THE DANCE NOT SYNDROME〉の各会場で扱われる〈-Venue limited hell bound-(会場限定盤)〉と、4月29日より一般流通となる〈-Shop limited heaven bound-(店舗盤)〉という2形態の仕様。ミックスとマスタリング、アレンジが異なる共通の4曲と、3曲ずつの個別の楽曲が収録された各7曲のなかに、〈音楽作品〉を制作するうえでのアプローチの多様さと、ソングライター=石井秀仁の思う〈テクノ感〉が凝縮された作品となっている。

活動再開後に発表された『HELLBLAU』以降は、一貫した音楽性をヴァリアブルに披露してきたように思える彼らだが、実際は模索していた部分もあったという。その果てに完成した今回の新作について、石井秀仁に訊いた。


ノーパンみたいな音源

――今回リリースされるミニ・アルバム『The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole.』は、はじめから〈2形態〉というのが頭にあって制作しはじめたんでしょうか?

「うん、『HELLBLAU』(2012年のミニ・アルバム)以降はいつでもそうですからね。まあ、ふたつ作ったほうがちょっとだけ多く売れるっていうのもあるし、あとは、選べるっていうのがありますよね。アルバムでもシングルでもそうですけど、いつもいろんなアイデアが出るじゃないですか。例えば曲を作っても、トラックダウンの過程で、このエフェクトとこのエフェクトでどっちにしようかとか、どっちも良くて決められない場合がありますよね。だったらどっちも出しちゃえばいいやっていう」

【参考動画】GOATBEDの2012年作『HELLBLAU』収録曲“HELLBLAU”

 

――楽曲に対してのアプローチはひとつではなく、それがさらにアルバム単位になると言わずもがな……ということですね。

「うん。ジャケットなんかもそうですよね。例えば〈AパターンとBパターン、どっちがいいかな?〉って考えながら作っていくなかで、確実にAよりBのほうがいいから選んだっていうんならいいですけど、そうじゃないときもあるじゃないですか。スタッフ込みでの多数決で、好みで片っぽに決まっちゃうとかね。それだったら、2パターンあって、内容も違うものを作ってしまおうと。これまでは、ミックスが違ったりとか、収録曲まで違うとかそこまで極端なことはやらなかったんですけど、今回はできるところまで徹底的にやりましたね。写真のカメラマンも違うし」

――形態ごとに。

「違います。撮ってる日も違うから、片方を作った余りものでもう片方を作ってるとかじゃないんですよ。それぐらいやればね、俺も満足できるじゃないですか(笑)。お客さんはそこから選んでもらえばいいんですよ。コアなお客さんは〈会場盤〉を買えばいいと思うし、全然そんなのどうでもいいやっていう人はCD屋さんで買えばいいし」

――2パターンを聴き比べてみると、共通の4曲も好みは分かれると思いますね。やっぱり、聴いてすぐに違いがはっきりとわかりますから。

「やっぱり会場に来て買う人って相当(GOATBEDが)好きな人じゃないですか。だから〈会場盤〉はなるべく生っぽい感じっていうか、あんまり小細工しないでそのまんま……最近、音楽自体はそういうふうに作りたいっていうのがあるんですよね。音色は曲を作っている過程で決めてしまって、録ったあとにああだこうだいじくるのはやめようかなと思っていて。ヴォーカルも、まあ、意味もなくリヴァーブをかけたりとか、そういうことはやめようと。だから、凄くドライな感じなんですよね」

――そうですね。〈会場盤〉はホントに録り音に近いネイキッドな音で、〈店舗盤〉のほうは、もっと音がヴィヴィッドで。音圧レベルもエフェクトも、よりメリハリがあって。

「そうですよね。アレンジ(の違い)っていうのは曲の構成っていうことじゃなくて、完成した素材自体は一緒なんですけど、トラックダウンの過程で、AパターンとBパターンに分かれたって感じなんですよね。で、〈店舗盤〉のほうは、まあ過剰にというか、そうなってるところもあるじゃないですか。どっちがいいっていうことではなくて」

GOATBED The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole GEORIDE(2015)

――はい。ここでGOATBEDに初めて触れる方にとっては、〈店舗盤〉のほうが聴きやすいかもしれませんが。

「そうですよ。〈店舗盤〉は、そういう意味も込めての仕様というか。そこが〈会場盤〉のほうは、自分で音楽を作って、トラックダウンもやって、っていう」

――ミックスまでご自身で。

「そうですね。コアなお客さんにはそういうの、いいじゃないですか。これまでも、いろいろやってたんですよ。USBメモリみたいなのをライヴで売ったりして、そこに録りっぱなし、作りっぱなしで音量を整えたぐらいの曲を入れたりしてたんですよね。それって曲を作る側としては恥ずかしいですけど、自分が聴く側としては好きなんですよ。例えば誰かのリマスター盤が出たりすると、そこに10曲ぐらいデモ版が追加されたりするじゃないですか。あんなの、ご本人は絶対聴かせたくないでしょうけども、マニアは嬉しいじゃないですか」

――わかります(笑)。ファン心理としてはそうですよね。

「本来聴くことができない音源ですからね。それがGOATBEDのお客さんに伝わってるかはわからないですけど(笑)。ただ単に〈しょぼいな〉って思ってる人もいるかもしれないですけど、わかりやすく言えば、お店に出回る前の段階のものを、コアなお客さんだから聴くことができるんですっていう。もちろんお金は払ってもらってますけど(笑)、そういうことですかね。やっぱりライヴに来てくれるようなお客さんは特別だと思うんですよ。そういう人にだったら、こういうものを聴かせてもいいかなってとこかな。それがお店に並ぶと困るんです(笑)」

――それこそ〈しょぼいな〉といったような、ある種の誤解が生まれることもあるかもしれないし。

「そうそう(笑)。だから、会場で売ってるほうはノーパンみたいな音源ですよ」

――それはずいぶん無防備ですね(笑)。

「ズボンは履いてるんですけど、パンツは履いてません、みたいな(笑)。そういう感じですね」

 

全部繋がっている

――そして、今回のミニ・アルバムですけれども……前に、Twitterで制作中に聴かれてた音源を挙げてたじゃないですか(モデル500の2015年作『Digital Solutions』、マルセル・デットマンの2013年作『Dettmann II』、三上博史の93年作『ARC』、OVERROCKETの2004年作『Overrocket』、ジョン・ロビーの2007年作『Beats, Breaks & Loops』の5枚)。そのなかで、モデル500の最新作はGOATBEDの今作と近いものがあるんじゃないかと思って。

「俺、あの人は昔からずっと好きなんで。デリック・メイとかもそうなんですけど、音響的な部分で凄い影響を受けるんですよ。あのモデル500のCDもなんか、現代のものにあまり聴こえないっていうか」

【参考音源】モデル500の2015年作『Digital Solutions』収録曲“Digital Solutions”

 

――そうですね。『HELLBLAU』以降のGOATBEDの作品からは90sテクノに通じる意匠がところどころから感じられましたけど、今回はその前段階というか、デトロイト・テクノ以前のエレクトロ。オリジナルな意味でのエレクトロといいますか……。

「うん。音響は近い部分もあると思います。良く言えばそのへんの現代版みたいな感じですよね」

――ただ、モデル500の『Digital Solutions』のリリースは今年の1月ですし、その時点ではすでにGOATBEDの新作の制作も始まっていたと思うんですけど、たまたま、目を向けたところが近かったんですかね?

「まあ、『HELLBLAU』以降は一貫してずっとそういう感じではありますから。ちょっと模索してる感じはあったんですけど」

――模索されていたとは?

「曲調みたいな部分で、ずっと考えてたところはあったんですよね。例えば『「」ying&yung』(2013年)は、結構ヴォーカルものから離れてるような印象を受けると思うんですけど、なんか……そういう意味で。俺、歌う人じゃないですか(笑)。だから、歌ありきで曲を作るんですけど、すると、最初の段階から損なわれてるものがあるというか、〈歌がなければ、こうじゃない曲になるんだけどな〉みたいな。そういう、葛藤っていうほどでもないですけど、折り合いを付けるポイントが難しかったんですよ。自分はヴォーカリストっていう部分と、いわゆる〈自分の音楽を作る〉っていうところで」

【参考動画】GOATBEDの2013年作『「」ying&yung』収録曲“ying&yung”

 

 

――楽曲の制作にあたって、歌が制約になることもあったということですね。

「〈自分の音楽を作る〉っていう部分には、〈自分がヴォーカルだから〉っていう意識は全然ないんですけど、でも、いざ作ってCDを出すときには自分が歌うわけで。そこの折り合いがなかなか難しかったんですけど、ちょうど『HELLBLAU』を出した頃から〈DRAMAtical Murder〉の一連のお仕事をいただいて、そこではヴォーカルをまったく考えないでゲームのBGM、いわゆるインストを作ってて。で、『HELLBLAU』以降は、そういう歌を考えないで作ってるものに後乗せで歌を入れるような手法を数曲ずつ取ってるんですよ。

――はい。『HELLBLAU』のときもそういう話題が出てましたね。

「なんか、それで解消された感じがあるんですよね。歌ありきで作ってないものに、強引に歌を乗せるみたいな。そうするとちょっと変わった作りになるというか、もともとインストだから、AメロがあってBメロがあってとかではない作りの曲も多いので」

――はい。

「元のトラックを変えてしまったら意味がないので、曲はかなり慎重に選ばないと難しいところはあるんですけど。まあ、ゲーム・ユーザーの人たちと、ゲームとは関係ないGOATBEDのお客さんを繋ぐ部分っていうか、そういうふうにできたらいいなと思ってて。そこは繋がってるものなんですよっていう」

――両方のお客さんが交わるポイントになっているという。

「そうですね。まあ、アレンジはまちまちで……最初の頃は結構極端に変えてはいるんですけど、そうやって作った曲に、自分なりの活路を見い出してるところがあるんですよ。そういうものが、代表曲っていう言い方もおかしいですけど、いまのGOATBEDを象徴するような曲になってるんですよね。まあ、お客さんが好きかどうかはわからないですけど、自分のなかではいちばんしっくりきているというか」

――いまのご自身のやりたいことに。

「うん、そうですね。やりたいことっていうか、この手の自分が好きな、いわゆるテクノみたいなもので、自分がやっているような音楽に似てるものはあんまりないなっていうか。GOATBEDはあえて何かに似せてる曲もあるから、そういうものは別として、いま言った手法で作ったようなものは、GOATBEDのオリジナリティーが出てる部分じゃないかなって思うんですよね」

――それが今回のミニ・アルバムで言うと……。

「“ROSE&GUN”っていうやつですね。ちょっと変わってるでしょ? GOATBEDの曲っぽくないじゃないですか。イントロとか、そんなことないですかね?」

――確かに。元の曲は未聴なんですが、だいぶ焦らして歌が入ってくるので、最初はインストかな?と思った構成の曲でした。それで、最終的にはガッツリとした歌モノに切り替わるという。ただ、あれだけ歌っていらっしゃるわりに、温度感が絶妙な楽曲ですよね。決して熱くはなりすぎない上品さがあるといいますか。

「そうなんですか? 俺はすげえ歌ったなって……感情がすごいこもってる感じがあると思ったんですけど、違うんですかね(笑)?」

――ご自身としては相当エモーショナルだと。

「うん、いくところまでいった感があるんですけど。でも、そういうふうに言われることが全然ないんですよね……今回に限らず。なんなんですかね(笑)?」

――それは、音の好みや選び方、あとはまあ……ご本人の性質からきてらっしゃるんじゃないかと……。

「そうなんですかね(驚く)? 俺はなんか、ハートをギュッと掴むような曲のつもりなんですよね」

――あっ、ハートはギュッと掴まれます。

「ハートはギュッと掴まれるんだ(笑)。おもしろいですね」

――エモーショナルと言っても、なりふり構わず感情を全開にしているものではない。それでも強く伝わってくるものがあるからこそ余計に掴まれるといいますか。

「(感情を)抑えてるつもりはないんですけどね(笑)。これでも物凄い感情が露というか、そういうつもりなんですよ。歌詞だって、前の、別件の取材でね、土田さんともよくお話してましたけど、あれですよ。〈どうせ死ぬんだからパーッとやろうぜ〉のパターンですよ」

【参考動画】cali≠gariの2015年3月のライヴ映像

 

――例の(笑)。ただ、別件の……cali≠gariとは違ってこちらは英詞混じりということもあるので、印象はだいぶ異なりますね。

「英詞もちゃんとしたものではないんですけど、そういうものがあるから、一瞬出てくる日本語が強烈に意味を持つんじゃないかと思うんですよね。〈この部分だけでいいんだ〉っていう。だから、それ以外はほとんど意味がない……ってことでもないんですけど、逆に引っ掛からないようにするっていう作り方をしてるんですね、GOATBEDは」

――そうすることで、詞のテーマが伝わりやすい構成になっていると。

「そうですね。メロディーは、歌じゃなくてもいろいろあるじゃないですか。この曲には入ってないけどギターもそうですし、シンセサイザーとか、たくさんのメロディーがあって、歌もそういうもののひとつ、一個の楽器だと思ってて。歌詞だって、音色だったりエフェクトだったりとか、自分のなかでは所詮そんなもんなんですよ」

――そういった歌詞の面でも、“ROSE&GUN”にはいまの石井さんの方向性が出ている?

「方向性っていうとなんか、自分がそういう音楽をやりたいって捉えられたら違うんですけど。GOATBEDとしてのオリジナリティーっていうか……といっても俺、オリジナリティーも求めてないんですよ。そんなものはないと思ってて(笑)」

――とはいえ、やはりオリジナリティーというお話になるかと思うんですけども、つまりはGOATBED名義だからこその楽曲っていうところですよね。

「というのと、ゲームの仕事でやっているものと、GOATBED名義で出す作品でやっているものを、自分のなかでは別に分けてなくて、全部繋がってるものなんですよっていうことをお客さんに伝えたいっていうかね。例えば、ヴォーカルが乗ってるゲームの曲っていうのは、ゲームに合わせてそういう曲を作ったわけではないっていうことなんです。もちろん〈こんな感じの曲で〉って言われますけど、それも〈アッパーな感じで〉とか〈大団円っぽい感じで〉とかその程度ですから」

【参考動画】PCソフト「DRAMAtical Murder」オープニング映像

 

――制作している側としては、公開される場によって楽曲の内容が左右されることはない。例えば〈大団円な感じの曲〉というテーマで書くとしたら、それがゲーム用であってもGOATBED名義のアルバム用であっても、そのタイミングでは同じ曲が出てきてたってことですか?

「そう……でしょうね。100%そうとも言い切れないところはありますけど。あと、最初にゲームの仕事の話をいただいたときに思ったのは、ここでは自分のなかでは過去になっているものを求められてるんだな、っていうことで。その時点ではもう、やるつもりはなかったものなんだけど、求めてもらえるなら作ってみようかなと思って。だから、GOATBEDがいまでもヴォーカルものみたいな曲をやってるのは、ゲームの話があったからだと思うんですよね。そうじゃなかったらたぶん、また別の方向に行っている可能性もありますし」

――そのお話は、近作のインタヴューで語られていた、〈ゲーム関連の曲のリメイク版が、作品全体における歌もの的な部分、ポップな部分を担っている〉というところと繋がってきますね。

「そうですね」

――何も考えずに作ると、温度感のないものばかりになると以前おっしゃってましたし。

「まあ、人に聴いてもらおうともそんなには思ってないし、っていうような感じですかね(笑)。GOATBEDは、ゲームの話がなかったら、もっと趣味的な部分を押し出してやってたんじゃないかなって思うところはあるんですよ。GOATBEDもcali≠gariと同じように昔、一回止めてるから。で、そこからまたやりはじめたのも、自分がやりたくてっていうわけじゃないんですよ。周りに〈ちょっとやってくれ〉って言われて、で、やりはじめたらいろいろ話がきちゃってとか、そんなんでね。だから、ようやく最近ですよね……『HELLBLAU』とかそのへんを作りはじめてから、いままで自分があきらめていたことっていうか、それは音楽もそうだけど、音楽に付随するような部分でも自分が打ち出したいものというか、考え得る、思い付くものをやらせてもらえるような環境が、いつのまにか出来上がったんですよ。それは、ゲームの話をいただいたことによって、なんですよね。かといって、楽曲もゲームだったりアニメだったりを前提として作ってくれってことではなくて、まあ、放置というか(笑)、放任というかね、そういう状況なわけですよ」

――GOATBEDのこれまでの作品を振り返っても、レーベルの放任主義は何となく感じられます(笑)。

「そういうのって、凄い恵まれてるじゃないですか。若い頃はそんなこと全然できなかったし、こういう状況になったのはここ数年で。それこそパッケージとかもそうですよね、無茶なことを言って駄目だって言われることもありますけど(笑)、いくつも出てるアイデアのなかから、現実的に〈これだったら可能ですかね〉って決めていくっていう。だから楽しいですよね。いま、CDは売れないし、それでもせっかく出すんだから、形として意味のあるものを作りたいなって思うんですよ。GOATBEDが打ち出してるものはたぶん、そういう部分も含んでますから。音だけじゃなくね、風体だったり、パッケージだったり、ライヴの雰囲気とか、トータルで見ないと何をやろうとしてるのかよくわかんないっていうか。逆に、全部見たら余計わかんないのかもしれないけど(笑)」