7月22日にリリースされた、佐野元春THE COYOTE BANDと共に作り上げたニュー・アルバム『BLOOD MOON』が好評のようですね。確かに名盤と呼ぶに相応しい内容となっているので、この2015年の日本で、身体と頭と心と魂にグッとズシッとくるロックを体感したいという、より多くのロック・ファンに聴いてもらいたい作品だと思います。

あ、あと最初に言っておきたいことは、佐野元春のアルバムというのは、アルバム一枚を通して聴いてこそ一曲一曲の深みや味わいが出てきたり、一曲聴くだけではわからない、アルバム一枚通して聴いてこそ感じられる世界観やテーマなどがしっかりとコンセプチュアルに計算されて作られているので、なるべくアルバム単位で体験してみて欲しいと思います。

ということで、ここでは極私的に、最新作『BLOOD MOON』を含めてコヨーテ・バンドと作り上げた最近の3作を振り返ってみようと思います。

新作『BLOD MOON』のインタヴュー記事(↓)の副読本的に読んでいただければと。
【混迷する時代だからこそ求められていたロックの衝撃――佐野元春が新作『BLOOD MOON』から〈ロック音楽の本質〉まで語ったロング・インタヴュー】
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/7470

 


 

■〈コヨーテ〉と呼ばれる男が荒野を往くロード・ムーヴィー的アルバム『COYOTE』(2007年)

佐野元春 & THE COYOTE BAND COYOTE Polydor(2007)

*アルバム『COYOTE』の試聴はこちらから

佐野元春はこれまでTHE HEARTLAND、そしてThe Hobo King Bandというバック・バンドと共に活動していましたが、このアルバム『COYOTE』を契機として新たにTHE COYOTE BANDとの活動に入りました。

メンバーは、『COYOTE』のレコーディングに参加したNONA REEVES小松シゲル(ドラムス)、元GREAT3でソロ・プロジェクトのCurly Giraffeでも活動する高桑圭(ベース)、元PLAGUESでソロ・ユニットのMellowheadで活動する深沼元昭(ギター)、後に加入するPLECTRUMでも活動する藤田顕(ギター)、ソロ・プロジェクトのSchroeder-Heatszでも活動する渡辺シュンスケ(キーボード)という、彼より一回り歳下のツワモノ・ミュージシャンばかりが集った鉄壁のバンドといえるでしょう。

『COYOTE』は、〈コヨーテ〉と呼ばれる男が荒野を往くロード・ムーヴィーの架空のサウンドトラック的作品となっており、アルバムを通じてひとつの物語を楽しめるというコンセプチュアルな内容となっています。音楽的には、60~70代の良質なロック・サウンドを下敷きにしたシンガー・ソングライター作品といった印象で、アコースティック・ギターやピアノによるシンプルなサウンドの曲とレイドバックしたロック・サウンドの曲が半々といったところだが、これまでの作品と違うところは、歪んだエレクトリック・ギターが独特のサウンドスケープを作り上げていたり、時折サイケデリックなアレンジが施されているところ、また全体的にグルーヴを最優先したバンド・サウンドになっている感じがコヨーテ・バンドのアイデンティティーとして見られます。

アルバム『COYOTEの』リード・トラック“君が気高い孤独なら”のPV

 

“君が気高い孤独なら”の2009年のライヴ映像

 

“君が気高い孤独なら”は元春ならではのアップテンポでソウルフルなポップ・チューン/リズム&ブルース・ナンバーで、このアルバムをひとつの映画に例えるならば、歌詞の内容からして主題歌(テーマ・ソング)といっていいでしょう。〈元春名曲ライブラリー〉にまた1曲、名曲がクレジットされたと言える素晴らしい仕上がりの曲です。主人公は、曲が進むにつれて(=)荒地を旅していく過程でさまざまな出会いがあり、その時々でいろいろな思いや考えが浮かんできますが、そのままどこかで足を止めることなく旅は続いていきます。ロード・ムーヴィー的とも言えますが、個人的には魂の彷徨と瞬間の快感や自由を求める感覚はビート文学の思想・哲学にも通じる内容だと思います。

そして、このアルバム(映画、物語)のクライマックスといえる曲が、7分超えの感動的なスロウ・ナンバー“コヨーテ、海へ”です。果てし無く続く旅(日常)で目にする耳にすることに疲れ果て、ボロボロになったとしても、生き抜く強い意志を持ち続けること、無駄なものはどうでもいい、自分が本当に大切だと思ったことだけを信じてこれからも旅を続けていくことを歌い上げた屈指の名曲となっており、グッと心を掴まれるような、いやいや魂を揺さぶられるような曲です。

個人的にはこの『COYOTE』をアルバム一枚通して聴いてみると、いま、ここに、在ること、現実的な感覚、だけが大事だという実存主義哲学や、イノセンスや智慧、自然そのままに生きることなどを描いた〈ハックルベリー・フィンの冒険〉に触れたときと同様に圧倒的な〈リアルな感覚〉を得るとともに、21世紀を生き抜くための新たな〈ビートニク作品〉と捉えてもいいんじゃないかと思いました。

 


 

■名曲揃いな、〈愛〉について歌うロック・アルバム『ZOOEY』(2013年)

佐野元春 & THE COYOTE BAND ZOOEY DaisyMusic(2013)

*アルバム『ZOOEY』の試聴はこちらから

“世界は慈悲を待っている”のPV

 

1曲目“世界は慈悲を待っている”から、超カッコいいギター・リフとバンドのグルーヴ感が超気持ちいいリズムで、これはすげえアルバムじゃないか?という期待を持たせてくれるアルバムのオープニングです。その跳ねるリズムに軽やかに乗りながら、主役は淡々とこのアルバムの世界観を示すような、旅の始まりを告げるような歌を聴かせてくれます。

続いて、元春ならではの切なくも美しいメロディーにドラマティックなサウンドが心を震わせる“虹をつかむ人”に突入。この曲に関してはインタヴュー記事のほうでも言及したんだけど、〈♪街には音楽が溢れてるけど 誰も君のブルースを歌ってはくれない〉というズバッとくるものをはじめパンチラインだらけの名曲です。サビで、“♪おおらかな人生を夢みてる君”と歌われるたびに、私は心の中で涙を流して、心洗われる気分になります。

“La Vita e Bella”のPV

 

いや~、もう畳み掛けるように泣かせる名曲が続くわけですよ、この『ZOOEY』は。3曲目“La Vita e Bella”もポジティヴなエネルギーに満ち溢れたロマンティックなロック・ナンバーで、サビの“♪君が愛しい 理由はない”というパンチラインでグッときまくるわけです。フゥ~、すげえオープニング3曲で、すでにガッツリと持っていかれます。

4曲目“愛のためにできたこと”でちょっとペースダウン。ゆったりとしたリズムの可愛らしいラヴ・ソングで、自分と他者の心の感じ方や捉え方の違いに戸惑いつつも、〈でも本当はこんなことなんじゃないかな?〉と優しげに口ずさむ素敵な1曲。ちょっと草臥れた感じな歌唱表現もリアリティーがあってお見事。

“ポーラスタア”のPV

 

で、5曲目“ポーラスタア”は、ハードロッキンなカッコいいサウンド+ポエトリー・リーディングという斬新なスタイルが迫力満点なわけだけど、現状肯定、過去も未来も肯定するという力強い詩がそのパワフルなサウンドと相まって心の深いところまで突き刺さってきます。これも名曲ですね(ホント、このアルバムは名曲ばっかりですね!)。

続く“君と往く道”は、いきなり“♪散歩しよう”という言葉から始まる、効果的に使われているオルガンの音色やコーラスもあってチャーミングな印象のラヴ・ソング。この中盤のラヴ・ソングの流れもホントに素敵な気分にさせてくれます。

レコードで言えば、B面の1曲目にあたるであろう“ビートニクス”は、まさにビートニクスの精神を言葉にしたような迷いなく不敵な詩がストレートなロック・サウンドと相まったナンバー。前作の『COYOTE』で描かれた〈ワイルドサイドを行け〉的な世界観を持った、コヨーテ・バンドならではのハンパないグルーヴ感がクソかっこいい一曲ですね。

“君と一緒でなけりゃ”のPV

 

次の曲“君と一緒でなけりゃ”で曲調がアーバンなジャジー・ソウルといった感じにガラリと変わって、ハッとさせられます。シュアなリズムに、二本のエレクトリック・ギターの細かなカッティングとピアノ&シンセの鍵盤ふたつが絡み合ったダンサブルなミドルで、物憂げな歌声によるラップという感じで“♪人間なんてみんなバカさ”と繰り返される。ちょっと次作にあたる『BLOOD MOON』にも通じる、この何かがおかしくなってしまった世界、社会、現実を目の当たりにしての心情吐露といった比較的ヘヴィーな印象を受けるナンバーです。

アコースティック・ギターで静かに弾き語られる美しいメロディーを持った“詩人の恋”は、一聴すると〈永遠の愛〉について歌われたシンプルなラヴ・ソングに感じられる。でも、後半になると〈♪革命は静かに始まっているよ〉とラヴ・ソングらしくない不穏な言葉が現れ、主人公は旅の支度をして、さよならと席を立つことになり、ラストのヴァースでは〈♪残酷な運命〉というこれまたラヴ・ソングにしてはちょっと刺激の強すぎる言葉も現れることで、〈もしかしたら永遠は永遠じゃないかもしれない〉という現実認識、諦念のようなものを垣間見せて、より深みのある〈愛〉についての歌となっている。これまた名曲と言いたい。

『ZOOEY』発売記念ライヴの映像

 

ジョン・レノンのソロにも通じるラフでオープンなムードを纏ったロック・ナンバー“スーパー・ナチュラル・ウーマン”は、詩人・佐野元春の新たな側面を見せたとも言える、気の利いた言い回しではなく明け透けでストレートな言葉を連ねた女性賛歌。日本語の歌詞で、こんなに女性(性)を全面的に受け入れて、その全てを称賛するラヴ・ソングを私は知りません。男性的なしゃがれ声でクールに淡々と、ここまで女性を讃えまくるっていうその表現方法に〈スゴイ、お見事!〉と、最初は呆気にとられました(笑)。

“食事とベッド”はちょっとコミカルなサウンドに乗って、〈愛の探究〉(?)についてシンプルな言葉を並べて言及した小粋でラヴリーなラヴ・ソング。そう、『ZOOEY』はいろいろなスタイルのラヴ・ソングが並んでいて、〈愛〉の素晴らしさ、不思議さ、難しさ、大切さ、奥深さ、神秘、強さ、脆さなどなどを、さまざまなサウンドを楽しみながらもいろいろと考えさせられる不思議な作品といえますね。

で、ラストはアルバムのタイトル・ナンバー“ZOOEY”。ちょっとトチ狂った感じのハチャメチャなハードロック・サウンドで、シンプルな3コードのロックンロール・フォーマットに合わせてブルース的に短いセンテンスの直接的な(根源的な)感情表現の言葉を並べる不思議な曲。

いろいろ書きたいことがどんどん出てきてついつい全曲レヴューになってしまいましたが(笑)、〈愛〉について語りつつ、さまざまなロック表現をして、いやそうか、愛について歌うロック、つまりロックがもっともロックらしいスタイルで作られた、元春流の現代のロック・アルバム、とも捉えられるのか。それにしてもヴァラエティーのある内容で、何度聴いても新たな発見のある、聴き応えのある、名曲揃いの名盤と言っていいでしょう。私はいまでもちょくちょくと聴いては新たな発見をして、新たな刺激を受け続けています。

 


 

■〈2015年の日本で機能するブルース~ロック〉と言いたい『BLOOD MOON』(2015年)

佐野元春 & THE COYOTE BAND BLOOD MOON DaisyMusic(2015)

アルバム『BLOOD MOON』の試聴はこちらから

『BLOOD MOON』も書きたいことがいっぱいあるので、全曲レヴューのスタイルでいきます。全体的に言うと、2015年の現在、この日本に住んでて日本語がわかって音楽が好きだったら、決して聴いて損は無い作品ですよ、聴いたら誰もが何かしら感じるところがあって、聴いて良かったと思うんじゃないかな、と。音楽という枠を超えてアート作品としても問題作、重要作、衝撃作と言える内容ですよ、と言いたいです。

“境界線”のPV

 

グルーヴィーでメロウなサウンドが気持ちいい“境界線”は、自分がいま立っている現状を冷静に観察し、〈♪境界線を越えていこう〉と次へのアクションに移る決意を歌ったこの作品の幕開けに相応しいナンバー。〈♪感じたままのど真ん中を くぐり抜けてゆく〉というパンチラインにグッとくる。

“紅い月”のPV

 

2曲目はアルバムのタイトル曲であるミドルテンポのロック・ナンバー“紅い月”。ビートの利いたリズムに乗せて、歌の主人公は〈♪夢は破れて すべてが壊れてしまった〉〈♪痛みも感じないよ〉と強い表現でタフな現状について語りつつも、〈君〉に向けて愛情を持って自分の決意や意志を伝えるテンダーな言葉たちに救われる一曲。

アコースティック・ギターの弾き語りで始まる、マンドリンも効果的に使われたフォーキーな“本当の彼女”は、元春ならではの、街のある女性をスケッチした短編小説風のナンバー。周りに誤解されがちな個性的な女性に対して、〈♪ただこの街に まともでいたいだけ〉と理解と共感を示すこの曲にも彼独特な優しさが表れていて、ぬくもりのあるアコースティック・サウンドと慈しみに溢れた歌唱も相まって心洗われるような感覚を受ける。

“バイ・ザ・シー”は、コヨーテ・バンドの新機軸と言える。ラテンのリズムに合わせてラップ的な歌唱を聴かせる手法が真新しく、Aメロではより直接的な言葉で困難な日常に言及しながら、Bメロでは一転して日常の何もかもを一旦は置いておいて海で静かに過ごそうと提案する。この悲観から楽観への急転回がラテンのリズムと見事にマッチしていて、聴く者をまるで映画の場面転換のように一気に瞬間場所移動させる描き方が見事だ。

“優しい闇”のプレヴュー音源

 

この『BLOOD MOON』の特長としてタイトなバンド・サウンド……歌も含めてサウンド全体が一体化した、ひとつの塊として爆発力を得ているといった点が挙げられる。この“優しい闇”もそんな特長がよく出たナンバーで、無駄の無い、スキの無いアンサンブルによって、ドラマティックで感動的なサウンドスケープを作り上げている。歌の主人公は夜だけが持つ独特な自由の感覚を享受しつつも、〈♪なんだろう ひとはあまりに傲慢だ〉と現実で数々目にする不正義や悪意に対しての疑問を忘れることはできない。

レコードで言えばA面ラストを締めくくるであろう“新世界”。美しいメロディーと美しいサウンドに乗って、曇り無くピュアな印象を受ける抑制的かつ客観的な歌唱で淡々と歌われる〈新世界〉とは、とても暴力的で欲望が膨れ上がった決して美しく無い世界。この極端な対比の表現方法がリアリティーを伴って我々聴く者の奥の奥にまで浸み込んでくる。

“私の太陽”のPV

 

レコードで言えば、B面のスタートとなるであろう“私の太陽”。アフロ・ファンク+ダブ/レゲエ的な重心の低いビートと、不気味で不穏な世界を現出させる上モノの音たちがタフな現実世界を表現しているかのような、この曲もコヨーテ・バンドの新機軸と言える意欲的な一曲。この先の見えない世界を〈♪壊れたビートで 転がってゆくだけさ〉と自身に言い聞かすようにリフレインするヘヴィーでダークな印象を受けるナンバーだ。

“いつかの君”はビートの利いたロック・ナンバー。過去に背負っていたさまざまな想いを全て投げ捨てて、自分のペースで自分の思うようにやっていけばいいさ、という吹っ切れた思いを歌う。鬼気迫るドスの効いた歌声もあって現在のブルースとも言えそうなナンバーだ。

“誰かの神”はファンキーでソウルフルでヘヴィーなロックチューン。ここでは〈聖者を気取る人〉に対して、容赦無く皮肉たっぷりにラップ的歌唱法で異議を申し立てている。ここまで攻撃的な元春も珍しいんじゃないかという、痛烈、痛快な一発。

“キャビアとキャピタリズム”のリリック・ビデオ

 

畳み掛けるように攻撃的なナンバーが続くが、コヨーテ・バンドの表現力が飛躍的に凄味を増していることが確認できる曲たちと言えるだろう。前曲に続くヘヴィーでファンキーなチューンである“キャビアとキャピタリズム”は、ある意味このアルバム中一番の問題作/衝撃作とも言える。バンド全体が一体となって作り上げる腰の強いファンクのリズムに圧倒されつつ、怒りを込めたドスの効いた歌声によるラップ的歌唱法で、明確な敵に向かって徹底的に告発しまくる姿はプロテスト/カウンター・スピリットに満ち溢れていて強烈な印象を受ける。

『BLOOD MOON』の特長として、どの曲も3~4分の短いナンバーとなっているところが挙げられる。まさしくドーナツ盤(シングル・レコード)的なロックンロール・ロール・ナンバーたち、といった印象を受ける。“空港待合室”は静かなイントロダクションで始まるが、突然歪みまくったエレクトリック・ギターがリフを刻むワイルドでラフなリズム&ブルース・ナンバーに転調するところがやたらとカッコいい。凄まじいグルーヴと野蛮なサウンドとともに言葉たちが乱反射してさまざまなイメージや事象の断片が踊り舞う混沌とした世界の中、〈♪笑うにはまだ早すぎる〉と虚無的に口ずさまれるところが最高にロックしてる瞬間で、文句無しにクールで超カッコいいです。

さて、このさまざまな世界を描いた多面的なイメージを表出させるとてつもなくドープな衝撃作『BLOOD MOON』のラストを飾る曲が“東京スカイライン”。静かにゆっくりとしたテンポで壮大なランドスケープを描き出すサウンドが黙示録的な世界を浮かび上がらせる、まさしくひとつの映画のエンディング・テーマ的な雰囲気を持ったナンバーとなっている。歌の主人公は恐らくお台場あたりの東京湾に架かる橋の上のハイウェイで車を走らせながら、目に映る光景と現実世界から受けた感情や記憶の心象風景を二重写しにしていく。そして、さまざまな想いが次々と心の中に去来するなか、海から見た東京の街のスカイラインを眺めながら、〈♪この街の夏が過ぎてゆく〉と夏特有の、動物的な時間の流れを感じている……。う~ん、頭の中にくっきりと映像を喚起させる、凄い余韻の残る鮮烈なエンディングです。なんか上手く言えないけど、〈後は自分で考えてくれ、自分自身で決めて進んでくれ〉と突きつけられたかのような……。

と、個人的な感想に終始して長文を書き連ねてしまいましたが、『BLOOD MOON』は他の元春作品と同様に、聴けば聴くほど新たな発見があったり、新たな示唆や気づきがいっぱいあるので、この夏はじっくりと何度も何度も聴き込んでいきたいと思います。