SPECIAL OTHERSのメジャー・デビュー10周年記念ということで、これまでの歩みをメンバーにざっくり振り返ってもらいつつ、〈変わることなく進化〉してきたバンドの魅力を紐解くインタヴュー。前編では結成当時の話から遡ってバンドに起こった大きなトピックごとに話を訊いたが、後編では新作『WINDOW』の話を中心に、日本武道館での初ワンマン公演以降のスペアザのいま&これからについて語ってもらった。
本質的にカッコイイことを積み重ねていこうと思ってる
――2013年に、これまでの活動におけるクライマックスと言っていい出来事がありましたね。日本武道館でのワンマン公演。
宮原良太(ドラムス)「俺たちがバイトしながらバンドをやっていた頃から武道館まで、ひとつのストーリーだったんじゃないかなって思うぐらい、自分たちのなかでは区切りになる出来事で、第1期SPECIAL OTHERSが終了したという印象はあったかな」
柳下武史(ギター)「よく武道館まで来れたなっていうか」
――本当ですよねえ(失礼!)。
柳下「いまだによくわからない(笑)」
――やっぱりみんなが同じ振りで踊れるサウンドであるとか、歌詞が重視されがちな日本において、こういうバンドが武道館をソールドアウトさせるとは……これは後に続くバンドにとっても勇気付けられると思いますよ。夢がある。
芹澤優真(キーボード)「夢があるよね。だからもっと自信を持ってほしい、みんな。こんなにパッとしない4人が揃ったバンドが武道館でやってるんだから。〈俺だってできたんだから、君にだってできるよ〉ってイケメンの俳優が言ったりするじゃん。おまえだったらそりゃいけるだろ!って話なわけで。でも俺らだったらそういうことを言っても説得力があるでしょ。〈普通〉であることを恐れるな!」
――パッとしてなくはいない……と思いますけど(笑)、とても感慨深いものがありました。
芹澤「音楽の在り方がだいぶ変わってきたっていうのも追い風だったんじゃないかな。これまでみたいにセールス・チャートがすべてという感じでもなくなってきて、YouTubeやSoundCloudも出てきたりとか音楽を聴く環境が多様化したことで、俺らのような音楽も注目されやすくなったっていうかさ。与えられるものを聴くだけじゃなく、自分の好きな音楽を自分の力で探せるようになったから、その結果俺らの元に来てくれたっていう。こういう音楽が好きな人も、日本にこれだけいたんだなと」
又吉優也(ベース)「あとフェスも大きいよね」
宮原「フェスとジャム・バンドって密接な関係があるからね。そういうフェス・ブームが背景にあったから、フェスと相性が良い俺たちのようなバンドが武道館でできるぐらいに成長できたんだろうね」
――もちろんさまざまな要因はあるにせよ、何より音楽の力というのがいちばん大きいわけで。
宮原「曲がいいと自分たちでも思ってる」
――ですよね(笑)。
宮原「アマチュアのインスト・バンドを見て残念だなと思うところは、自分たちがインスト・バンドであるということに囚われてしまっているのかなと。だから聴きどころがなくなっちゃったり、ただ歌を外しただけになっちゃったりというのは感じる時があるかな」
芹澤「発想が変われば俺たちが4MCになる可能性だってあるくらいの気持ちでやってる」
――ハハハ、突然(笑)。ポップ・ミュージックとして優秀というのに加えて、皆さんの人柄が物凄く音に出ているところもいいんじゃないかなと。
柳下「似たようなことをKj(Dragon Ash)も言ってくれてて、〈いいバンドっていうのは人間がそのまま音になってるバンド、スペアザはそういう音楽〉と※。めちゃめちゃ良い褒め言葉だなと思った」
※新作『WINDOW』の初回限定盤特典のDVDでそのKjのコメントをチェックしよう!
――ああ、やっぱり。あと〈メイド・イン・ジャパン〉を感じる音楽なんですよね。海外のバンドのサウンドを彷彿とさせる日本のバンドは比較的多いと思うんですけど、スペアザの場合はそういうエッセンスを採り入れながらも、やっぱり日本人という出自が人柄と同じように出てる気がするんですよね。鶴見川がよく似合う音楽だと思いますよ。
宮原「日本で生まれてご飯と焼き魚と味噌汁と日本の音楽で育ったんだから、そうなるよね」
芹澤「カッコイイ音楽をやろうとしてる日本のアーティストは、そのルーツにある海外の音楽に思いっきり寄せて、そこからはみ出るものを仲間外れにしているものが多いように俺は思う」
宮原「そうだね。〈これはレゲエじゃねえ〉って日本人が言ってるのを見ると〈お前こそレゲエじゃねえ〉と思う感じでしょ(笑)」
芹澤「自分のなかで凝り固まった音楽的作法から外れたもの、異端を嫌うっていうか。それじゃあおもしろい音楽になるはずはなくて。俺らが〈メイド・イン・ジャパン〉って言われるのは、ちゃんと自分たちのソウルにあるJ-Popとかを曲に反映させようという気持ちがあるからだと思う。ルーツ・ミュージックの真似事なんて簡単に出来るけど、それをやるんだったら本物のボブ・マーリーを聴けばいいしスカタライツを聴けばいいって話になっちゃうから、それってつまらないじゃん。でも日本人はそういう人が多くて、そういう考え方はもうやめない?と思ってる。そういうつまらない日本人気質はやめてほしい」
――いまの20代のアーティストにはそういう原理主義的な考え方が薄れつつあると感じるんですけど、やっぱりいまでもそういう考え方は……。
芹澤「もっと柔軟にいろんな音楽聴いて好きになっていけばいいじゃん、日本人っぽい音楽を誇りに思えばいいじゃないと」
――では新作『WINDOW』の話をうかがおうかなと思います。SPECIAL OTHERS ACOUSTICとしての作品(『LIGHT』)を挿んだことで、心境的にこれまでエレクトリックで作っていた時との違いはありましたか?
宮原「(アコースティックで培った作法である)メロディー・ラインから曲を作ってみて、“I'LL BE BACK”では〈このメロディーをどの音に置き換えればいいんだ〉〈アコースティックだったらピアニカで置き換えられたのに〉みたいなところで四苦八苦した部分があるかな。でも結局は歌うことになったんだけども」
――ヴォーカルにエフェクトをかけたりするのは、これまでになかったですよね。
宮原「そうそう。あれは〈モーションブルーの悲劇〉という事件があって、MOTION BLUE YOKOHAMAでライヴをやった時、ヤギがコーラスに入る曲で歌いながらギターを弾けなくなっちゃったの」
芹澤「ギターと歌を一緒にやるのが難しい曲で、〈ギターと歌は難しい!〉ってライヴ中になって、なぜかヤギはギターを捨てて歌を取るという暴挙に出た(笑)」
――ハハハハハ(笑)!
宮原「ベースと歌だけの丸裸の状態になっちゃって(笑)。俺と芹澤が震えながら歌う状況になった」
芹澤「ギターがいなくなるとキーが取れなくなるような難しい曲だったから」
宮原「〈ヤギ、歌クビ〉って言って、ヤギのところを補うためのエフェクターを買ってきてそれで遊んでたら、これ使えばいいじゃんってなったんだよね」
芹澤「それがおもしろい効果を生み出した。普通の歌じゃなくなるし、おもしろいなと」
――そうですね、新鮮でした。他にメロディーから作った曲はあるんですか?
宮原「“LIGHT”“I'LL BE BACK”……“neon”はメロディーというか最初のリフをどんどん展開させていきながら作ったし“Good Luck”はベース・ラインからだから、純粋にメロディーから作ったのは“LIGHT”“I'LL BE BACK”ぐらいかな。それ以外は、部分部分でメロディーが出てくるところはメロディー主体だったりするけど」
――“LIGHT”はそもそもアコースティックのアルバムに入っていた曲なんですよね。エレクトリックの曲をアコースティックで……というのはよく聴きますけど、その逆はあんまりないのかなと思って。これはどういうきっかけでエレクトリックでもやることになったんですか?
芹澤「もともとこれはアコースティックじゃなくて、ネタ自体はエレクトリックの時にやってたもの。俺は当初の“LIGHT”が大好きで、これはすごく良い曲が出来たから絶対出したいねという話をしてたんだよね。で、アコースティック(の楽曲)を作りはじめた時にこの曲のリフを弾いたらカッコイイ感じになったので、アコースティックに転化したという流れだった。アコースティックの“LIGHT”もカッコイイけど、やっぱりエレクトリックの“LIGHT”もやりたいなって心のどこかで思っていて、じゃあそっちでもやっちゃおうと」
――アコースティック版のほうは使っている楽器もあってかUSルーツっぽい雰囲気がありましたけど、エレクトリックは尺も倍くらいになって、だいぶエモくなりましたね。
宮原「エレクトリックならではの感じが出たかな」
柳下「去年から今年の頭にかけてやっていたツアーで毎回演奏していた曲で、レコーディングする頃にはすでにライヴ慣れしてたんだよね。レコーディング前にバタバタするんじゃなくて、ちゃんと曲と向き合ってから録音した、最近では稀な曲。だから、今後は曲を作ったらどんどんライヴでやっていくっていうスタンスもアリだなと思った。CDを買ってCDの曲を聴きにライヴに行くっていう楽しみ方もいいけど、逆も楽しいんじゃないかと。ライヴで聴いてた曲がレコーディングされてCDになるとこうなるんだっていう聴き方も楽しいんじゃないかな」
――確かに、これまではライヴで新曲を育てて……みたいなことは少なかったですよね。それから個人的に意外だったのは“SPE TRAIN”。これはもうパンク。
芹澤「確かにそういうイメージだった」
宮原「最初のアルペジオみたいなフレーズはヤギが弾いてたのかな?」
柳下「ヴァンパイア・ウィークエンドみたいな雰囲気をイメージしてアルペジオを弾いてたら、それに(みんなが)乗っかってきて」
宮原「みんなでユニゾンで弾いているような曲がラジオで流れてきて、その感じが単純におもしろいなと思ったから、この曲だったらそういう形で入れられそうだったからくっつけたんだよね」
――あと、“Celesta Session”“Marimba Session”が、インタールードではないですけどちょっと箸休め的な雰囲気があって興味深かったです。これはどういうきっかけで出来た楽曲ですか?
宮原「『Good morning』(2006年)の時は曲を全部作らないでスタジオに入って、その場でセッションしたのを収録してたんだけど、最近はそういうスタイルでやってないから、今回はそれでやってみようっていう話になった。で、ビクター・スタジオにチェレスタ(小型のアップライト・ピアノのような鍵盤楽器)とマリンバが倉庫に置いてあったからそれを持ってきて、ただその場でセッションしたんだよね」
――よくライヴでポロッとやっている小品に近い風合いを感じました。
宮原「録り方もバイノーラルっていう人間の耳で聴いた感じを表現するマイクで録ってたのでおもしろかったのかもしれない。一発録り」
――へぇ~、だから異質に感じたのかもしれませんね。ちなみに、さっきおっしゃっていたメロディーから作る曲があったこと以外で、曲作りにおいてこれまでと違うところはありますか?
芹澤「プロセスは変わんない。進化してる部分はもちろんあるけど、基本的にはスタジオであーだこーだ言いながらフレーズを持ち寄って作ってる感じだから。心持ちが変わってきてはいるけど、歳も重ねて俺が俺がじゃなくなってきたりとか、派手なことしてやろうってことよりは、本質的にカッコイイことを積み重ねていこうと思ってる」
――うん、うん。洗練されていってるというか、やろうとしていることがよりクリアに、シンプルに聴こえるようになったなと『THE GUIDE』(2010年)あたりの作品から感じています。
宮原「それはほんとに蓄積。アルバム1枚出すごとに反省点が絶対あって、次はこうしようみたいなことがどんどん貯まっていった結果なのかなと思っていて。今回も作った時は満足してたはずだけど、いまになったらまた反省点が見えてきて、じゃあ次はこうしたいというのがあるから、それを繰り返してだんだんと洗練されていってるんだと思うな」