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各地のバンドのデモ音源をもらって聴いたとき、行き場のない淡々とした日常から救われる感じがしたんです

――与田さんや福井さんと出会うのはその頃ですか?

安孫子「そうですね。ゴイステ(GOING STEADY)が始動して1年くらいで当時YOUNG PUNCHだった福井さんから声がかかって、(現在POTSHOTRYOJIが主宰する)TV-FREAKからリリースすることになって。98年くらいだったかな?」

与田「初めてGOING STEADYを観たのは99年1月に新宿LIQUIDROOMでやった〈TV-FREAK NIGHT〉。たぶん初っ端に出てたと思う。その頃って僕がいったんUKプロジェクトを辞めていたときで、自分でダンス系のイヴェントやレーベルをやっていたんですけど、UKプロジェクトが忙しくなって〈バンドがいっぱいいるから現場やってくれないか〉と誘われて。〈TV-FREAK NIGHT〉の日に〈今日は7バンド出るから、良いと思ったバンドを担当してよ〉と頼まれたんです。〈じゃあGOING STEADYで〉って。そこからプロデューサーとして福井くんが全体を見てくれて、僕が現場のディレクターを担当しました」

――へぇ~! KiliKiliVillaに繋がる3人のフォーメーションが15年前にはすでに出来上がっていたんですね!

安孫子「(感慨深げに)そうですね~。その頃から与田さんにはいろんな音楽のことを教えてもらっていたし、福井さんには食事に連れて行ってもらって」

与田「〈何が好き〉みたいな話はいつもしてたよね」

安孫子「一生パンクしか聴かないつもりだったんですけど(笑)、与田さんに〈音楽好きだったら絶対ココ行ってココ通った後にマンチェにヤラれて……〉みたいな話をされて〈そんなもんすかね~〉とか笑ってたのに、気が付いたらその通りに……(笑)」

与田「予言っぽくね(笑)。70年代の初期パンクが好きで、その人が本当の音楽好きだったらだいたい辿るルートってあるじゃないですか。ネオアコ行ってギター・ポップも行って」

安孫子「60年代にも戻りつつ……」

与田スミスにヤラれて、みたいな。だからそういうのを予言しておいたんです(笑)」

安孫子「30歳手前くらいになって、それまで避けていたストーン・ローゼズに死ぬほどヤラれて(笑)。でも与田さんからの影響は本当に大きいと思いますね」

ストーン・ローゼズの89年作『The Stone Roses』収録曲“She Bangs The Drums”

 

与田「年齢はちょうど10歳くらい僕のほうが上だけど、パンクが入口って部分もまったく同じだし。辿った道はほぼ一緒なんじゃないかな。まぁ俺の場合は聴きはじめの頃はジャムクラッシュも現役だったので、そのへんは違うけど……アビちゃんの時代はスミスはもう解散してたんだっけ?」

安孫子「そうですね」

与田「87年だとそうか」

――与田さんからの影響って、その時代のGOING STEADYの周りにいたバンドに対してもあったんですか?

安孫子「みんなと話してたとは思うんですけど、でも僕が一番喰らいついてたかな」

――それはやっぱり、モ・ワックスじゃないですけど下地があったからなんでしょうね。

安孫子「昔からずっとそういう感じですからね。僕が活動を再開してからもいまみたいな感じで〈最近何聴いてるの?〉って訊かれて、〈最近は日本のパンク・バンドがおもしろくて〉って答えたら、与田さんが〈ええっ!〉って驚いて。〈じゃあちょっとプレゼンしてよ〉と言われたんです」

――まさにその部分を今日は詳しく訊きたかったんですが、KiliKiliVillaの立ち上げのきっかけはSEVENTEEN AGAiNYABUSON(ヴォーカル/ギター)さんがキーになっているんですよね?

安孫子「そうですね、本当にいろいろと刺激をいただいてます」

――安孫子さんが銀杏を辞めてから奥様の地元である群馬に引っ越して、しばらくシーンから離れる時期があったという。

安孫子「銀杏BOYZは、最後の頃はライヴをしなくなって、ずっとスタジオにこもって作業をしていたんです。外の世界をシャットアウトしてたから、もはやシーンのことは何もわからなくて。その頃にI HATE SMOKEの大澤くん(OSAWA17|SEVENTEEN AGAiNのベーシスト)がディスクユニオンで働いていて、僕らが20歳くらいの頃にすごく安かった80年代、90年代のパンク・レコードが、いまは再評価されて値段まで高騰してると。そこで〈ディスクユニオンでディスクガイドを作りたいから寄稿してください〉と頼まれたときに、初めて6歳年下のヤブくんだったり大澤くんときちんと話をする機会ができて。〈SEVENTEEN AGAiNって名前は知ってるな〉程度の認識だったけど、好きな音楽が似ていたから、最初は〈久々に歳下の友達ができたな〉くらいの感覚だったんです」

kilikilivillaからリリースされたSEVENTEEN AGAiNの2015年作『少数の脅威』収録曲“リプレイスメンツ”


――その出会いはいつ頃の話ですか?

安孫子「震災後……2011年か。それからわりとすぐSEVENTEEN AGAiNのセカンド・アルバム(2012年作『FUCK FOREVER』)のリリースのタイミングだったのでレコ発を観に行ったら、まったく知らないシーンという感じで。その日は〈いろんなバンドがいるなぁ〉くらいの印象だったけど、ちょくちょく彼らと連絡は取り合って遊んだりしてて。その後に僕が東京から群馬に引っ越しする際に、大澤くんから〈これ北関東のバンドですよ〉って、出たばっかりのCAR10のファースト・アルバム(2014年作『Everything Starts From This Town』)をもらったら、それがすごく良かった。そのときは、たまに上京してSEVENTEEN AGAiNのライヴを観たり、CAR10あたりの北関東のバンドを近所で観れたら、自分の音楽人生はもうそれでいいやくらいに思っていました」

CAR10の2014年作『Everything Starts From This Town』収録曲“海物語”

 

――あくまで、いち音楽ファンとして楽しく生きていこうという想いですね。でも、そこからレーベルとして動き出すまでは、気持ち的にもうワンステップ必要ですよね。

安孫子「そこで、SEVENTEEN AGAiNから〈ツアーに行くけど車に同乗しませんか?〉って誘われて、家で何もやることなく人と話すこともない生活だったから〈これは楽しそうだな〉と連れて行ってもらったら……いろいろと考えるところがあった」

――現場を見て考えるところが多かったと。

安孫子「20歳そこそこの若いバンドの子たちと交流が持てたというのは、すごくデカかった。〈音源聴いてください!〉って山のようにデモをいただいて、申し訳ない気持ちもありつつ家に帰って聴いてみたら〈あれ? 昔聴いてたパンクと似てるけど、何か新しい動きが起きているんじゃないか?〉と思いはじめて。そこから調べていくうちに〈これは自分も参加したいな〉という気持ちが芽生えていったんです」

――実際にシーンの熱や変化を目にすることで、意識が参加する方向に傾いていったんですね。その頃にもらった大量のデモ音源のなかで、いまのKiliKiliVillaと関わりがあるアーティストはいるんですか?

安孫子「その時で言えばKillerpassMILKTHE ACT WE ACTodd eyesHomecomingsHi,how are you?あたりですかね。例えば京都で初めてodd eyesのメンバーに会った時に、あまりに素晴らしく強烈なキャラクターに驚いてたら(笑)、Homecomingsもメンバーからも〈これ聴いてくださ い〉って音源をいただいて、どっちのことも知らなかったけど、たぶんこの女の子のバンドもこう見えて実はストレンジなハードコアなんだろうと勝手に思ってました(笑)。家に帰って音源聴いたら〈何だコレは!〉って。自分がキッズに戻った感じがして〈こんなにワクワクするの何年ぶりだろう!〉と。行き場のない淡々とした日常から救われる感じがして……あれは本当に嬉しかったですね。そういう気持ちが一番大事だと思うし」