インディー・ロックの祭典として愛される〈Hostess Club Weekender(以下HCW)〉の第11回が、11月22日(日)、23日(月・祝)に東京・新木場スタジオコーストで開催されるにあたり、Mikikiではこの〈HCW〉を総力特集。ヘッドライナーを務めるメルヴィンズのキャリアを総括した第2回に続いて、この第3回ではUSインディー/オルタナティヴ・ロックに造詣の深い音楽ライターの天井潤之介氏に、メルヴィンズの影響力と交友関係を解説してもらった。彼らとカート・コバーンとの交流は有名なエピソードだが、そこからさらに事実関係を掘り下げることで、メルヴィンズの重要性とUSアンダーグラウンド・シーンに果たした功績への理解も深まるはずだ。 *Mikiki編集部
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東のソニック・ユースかスワンズに対して、西のメルヴィンズ。あるいは、クロームかミート・パペッツと双璧をなす米西海岸アンダーグラウンドの巨魁――いずれにせよ、その膨大なディスコグラフィーが伝える重厚深遠な音楽性、併せてその影響力や波及力の大きさにおいて、メルヴィンズという存在の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないはず。そして、そのバンドの内外に複雑に入り組んだ人脈の相関図を見渡せば、70年代末~80年代初頭のオリジナル・ハードコアを起点としたUSロックのオルタナティヴな縮図がそこには浮かび上がるだろう。
83年のバンド結成から現在までの30年強の間、ツアー限定などのサポート・メンバーも含めると総勢20名近くの人数が出入りし、変遷を重ねてきたメルヴィンズのラインナップ。試しに歴代メンバーの肩書きに並ぶ固有名詞を拾い集めるだけでも、メルヴィンズがUSロックにもたらした遺産を物語る錚々たるミュージック・ツリーが出来そうだが、なかでも唯一不動のメンバーのバズ・オズボーンをはじめとする結成初期のメンツが、カート・コバーンがニルヴァーナ以前に地元ワシントンで始めた短命のパンク・バンド、フィーカル・マターで演奏を共にしていたエピソードは有名だろう。また、初代ベーシストのマット・ラーキンはグリーン・リヴァーのマーク・アームらとマッドハニーを結成するなど、ブラック・フラッグやミドル・クラスらに続く米西海岸発のオリジナル・ハードコアに属したメルヴィンズが、グランジの契機にも深く関与していたという事実は改めて重要だ。
もっとも、当時から地を這いずるこってりとヘヴィーなサウンドで鳴らしたメルヴィンズは、それこそドキュメンタリー映画「アメリカン・ハードコア」(2006年)でイアン・マッケイが〈本心を表現したかったら32秒で伝える〉と説いたオリジナル・ハードコアのスタイルとはそもそも異なる代物。それで言うならむしろ、サーストン・ムーアが〈77年以前のロック=ハード・ロックやヘヴィー・メタルの記憶を掘り起こしたところ〉と指摘したグランジの音楽的意義こそメルヴィンズも共有するスタイルであり、後にアースやサンO)))、ハーヴェイ・ミルクなどを渡り歩くスローンズのジョー・プレストンをベーシストに擁した90年代初頭のラインナップは全キャリアを通じても1、2を争う最強の布陣に違いない。同編成が残した唯一のオリジナル・アルバム『Lysol』(92年)は、スラッジ/ドローンの教典的な作品として今も高い評価を受ける名盤だ。また、カート・コバーンの参加も話題を呼んだアトランティックからのメジャー・デビュー作『Houdini』(93年)には、スワンズやニューロシス、ブルータル・トゥースなどの制作にも関わったビリー・アンダーソンがクレジットされていることにも留意したい。