インディー・ロックの祭典として愛される〈Hostess Club Weekender(以下HCW)〉の第11回が、11月22日(日)、23日(月・祝)に東京・新木場スタジオコーストで開催されるにあたり、Mikikiではこの〈HCW〉を総力特集。出演アクトをみっちり紹介した第1回でも予告した通り、ヘッドライナーを務める異形のへヴィー・ロック・バンド、メルヴィンズを2回に渡って大フィーチャーしていく。まずこの第2回では、メルヴィンズ諸作の日本盤ライナーノーツを多数執筆する音楽ライターの山崎智之氏に、バンド結成から今日までのキャリアを改めて振り返ってもらった。各時代の人気曲やライヴ映像と共に、いよいよ再来日を果たす彼らのオリジナリティーに迫りたい。 *Mikiki編集部
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メルヴィンズ・サウンドが完成し、スラッジ・ドゥームの礎を築いた黎明期
メルヴィンズの30年以上に及ぶ軌跡は、さまざまな変化に彩られてきた。彼らの音楽性やバンド編成、他ミュージシャンとのコラボレーション、作品のリリース・フォーマット、ツアー形態などは、常に実験性の高いものであり続ける。彼らは世界中のファンからカルト的に崇拝され、多くのミュージシャンからもリスペクトされてきた。
バンドが結成されたのは83年の初め、ワシントン州モンテサノだった。バズ・オズボーン(またの名をキング・バゾ、ギター/ヴォーカル)、マイク・ディラード(ドラムス)、マット・ルーキン(ベース)というトリオ編成でスタートを切った彼らはファースト・デモ『Mangled Demos』を制作するが、直後にディラードが脱退。後任ドラマーとしてアイアン・メイデンのカヴァー・バンドをやっていたデイル・クローヴァーが加入する。それから現在に至るまで、メルヴィンズはバズとデイルの2人を両輪として走り続けている。
彼らは86年にEP『6 Songs』を発表、そして初のアルバム『Gluey Porch Treatments』(87年)でデビューを果たす。最初期はアップテンポのハードコア・ナンバーもプレイしていたものの、徐々にスローな曲調が増えていき、3作目のアルバム『Bullhead』(91年)でひとつの完成を見る。同作のトップを飾る“Boris”は〈遅くて激しい〉スラッジ・ドゥームが大地を揺るがす初期の代表曲で、バンドのイメージを決定付けることになった。
だが、メルヴィンズの進化はそこに留まらなかった。彼らは92年に『Lysol』※を発表。10分以上にわたり単一のヘヴィーなギター・ドローン・ノイズが持続する“Hung Bunny”は、バズに言いわせると「スワンズがメタルをやったらどうなるか?」という実験だったそうだが、同年に録音されたアースによる 『Earth 2』(93年)と共に、後のドローン・ドゥームの嚆矢となった。
※〈Lysol〉=ライゾールは除菌消臭剤の商標名だったため『Melvins』と改題され、2015年の再発時には『Lice-all』と再改題された
『Lysol』はリリース当時、ファンの間で賛否を呼んだが、さらに論議の対象となったのが、バズとデイル、そしてベーシストのジョー・プレストンがそれぞれソロ・アルバムを同時に発表するという試みだった。この企画はキッスのパロディーだったが、どこまでがシリアスな音楽作品で、 どこまでがジョークなのかは、彼らのキャリアを通じて、しばしば彼らのファンを困惑させることになる。
オルタナティヴ・ブームに背を向けたメジャー3部作を経て、さらなる充実期へ
マイペースな活動を続けるメルヴィンズだったが、時代の波に否応なく直面することになる。ニルヴァーナの『Nevermind』(91年)がメガ・ヒットを記録したことから音楽シーンに〈オルタナティヴ〉旋風が吹き荒れ、メジャー系レコード会社は〈第2のニルヴァーナ〉を求めて青田買いを始める。それは新人だけでなく中堅やヴェテランにまで及び、メルヴィンズもアトランティックと契約することになったのだ。カート・コバーンはニルヴァーナ結成前から彼らと交流があり、『Nevermind』発表後も〈影響を受けた〉と発言していたため、アトランティックが飛びつくのも当然だった。
メジャー第1作『Houdini』(93年)は世界各国(日本を含む)でリリース。同作はカートのプロデュースとクレジットされたものの、実際には〈名義貸し〉に近いものだった。“Night Goat”“ Hooch”“ Lizzy”“ Honey Bucket”など秀曲を含む同作は、彼らの作品でももっとも楽曲のレヴェルが高く、バランスが取れた1枚として高評価されている。
なお、94年には『Houdini』の〈まともな〉ソングライティングと真逆にある『Prick』もリリースされている。ギターの手慣らし的フレーズや観客のざわめき、バズでない何者かが弾いた速弾きギター・ソロなどを収めたこの作品は彼らの悪フザケを代表する地雷盤で、〈オルタナティヴ〉がもてはやされる風潮を嘲笑うものだった(バズ本人は〈決してギャグではない〉と否定している)。
『Houdini』発表後もメルヴィンズとカートの交流は続き、94年2月からのニルヴァーナの欧州ツアーでサポートを務めることになった。同年3月1日、ドイツのミュンヘン公演がニルヴァーナの最後のライヴとなり、バズとカートが会話を交わしたのもそれが最後となった。カートはそれから1か月後の4月5日、みずからの命を絶つことになる。
さらに『Stoner Witch』(94年)、『Stag』(96年)を発表した彼らだが、メジャー規模でのブレイクはならず、〈メジャー3部作〉を残してアトランティックとの契約を終了する。もともと、一過性のトレンドとしての〈オルタナティヴ〉を鼻で笑っていた彼らゆえ、そんなことにビクともしなかった。彼らはそれ以前から交流のあったレーベル、アンフェタミン・レプタイルから〈月刊メルヴィンズ〉をスタート。96年1月から12月まで、12枚のシングルがリリースされた(後に『Singles 1 - 12』としてまとめてCD化)。なお、アンフェタミン・レプタイルはバンドのインディーズ復帰記念アルバム『Honky』(97年)も発表している。
99年、メルヴィンズは新興インディー・レーベルのイピキャックに居を移すことになる。既存の業界慣習に囚われない彼らは、いきなり3枚のアルバムを連続リリース。〈ヘヴィー編〉の『The Maggot』(99年)、〈ディストーション自粛編〉の『The Bootlicker』(99年)、〈オールスター・ゲスト編〉の『The Crybaby』(2000年)の3部作は、それぞれ異なったスタイルで甲乙付け難い魅力を持つ作品だった。
それと並行して、彼らは98年12月、トゥールのアダム・ジョーンズと共にノイズと効果音のコラージュから成るライヴを敢行(後に『Colossus Of Destiny』として2001年にCD化された)。さらにバズはマイク・パットン(フェイス・ノー・モア)、デイヴ・ロンバード(スレイヤー)とのスーパー・グループ、ファントマスを結成。そして99年4月にはメルヴィンズとしての初来日公演が実現するなど、その活動は目覚ましいものだった。
想像の斜め上を突っ走る2000年代以降、震災による公演中止を経てついに再来日
21世紀に入ってすぐ、彼らは興味深いコラボレーションを複数アーティストと行っている。2000年にはファントマスとの完全合体を果たした〈ファントマス・メルヴィンズ・ビッグ・バンド〉としてライヴを行ったのに加えて、ウェールズ出身のエレクトロニック・アーティスト、ラストモードとの共演作『Pigs Of The Roman Empire』(2004年)、元デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラとの『Never Breathe What You Can’t See』(2004年)、『Sieg Howdy』(2005年)も発表されている。後者にはデッド・ケネディーズ“California Uber Alles”の21世紀ヴァージョンや、アリス・クーパー“Halo Of Flies”のカヴァーも収録されていた。
デビュー以来、メルヴィンズは何度かのベーシスト交替を経てきた。98年に加入したケヴィン・ラトマニスは2005年に体調不良で解雇を余儀なくされるが、バンドは新しいベーシストを迎え入れるのではなく、ジャレド・ウォーレン(ベース)とコーディ・ウィリス(ドラムス)から成るデュオ、ビッグ・ビジネスをそのまま丸抱えすることに。メルヴィンズはツイン・ドラム編成となった。
ケヴィンがまだ在籍していた頃の『Hostile Ambient Takeover』(2002年)から日本人エンジニア、トシ・カサイがレコーディングを担当するようになったが、『(A) Senile Animal』(2006年)と『Nude With Boots』(2008年)のツイン・ドラムとヴォーカル・ハーモニーのテクスチャーを重視したサウンド・プロダクションは、彼に負うところが少なくない。そして2009年7月には、〈フジロック〉での2度目の来日公演が行われた。
2010年に『The Bride Screamed Murder』を発表、バンドにとって初の全米トップ200入りを実現させてツアーを続けるメルヴィンズだが、2011年は波乱の1年となった。1月にLAのスペースランドで4回のレジデンシー(常駐)ライヴを行った彼らは大洋州ツアーに向かうが、2月22日にニュージーランドでクライストチャーチ地震に見舞われる。そして〈Extreme The Dojo Vol.26〉(ハイ・オン・ファイアー、アンアースリー・トランスらも出演)で日本に上陸した彼らは、大阪・名古屋公演を行った後の3月11日、渋谷O-Eastでのサウンドチェック中に東日本大震災に遭遇。東京公演を行わずに帰国を余儀なくされた。
近年もメルヴィンズの活動は、われわれの想像の斜め上を突っ走り続ける。ツイン・ドラム編成をいったん解体、トレヴァー・ダンをベーシストに迎えた〈メルヴィンズ・ライト〉、全米50州+ワシントンDCを51日間で回るアメリカ・ツアー、初のカヴァー・アルバム『Everybody Loves Sausages』(2013年)、初期ドラマーのマイク・ディラードを一時復帰させた『Tres Cabrones』(2013年)、バズのソロ・アルバム『This Machine Kills Artists』(2014年)、バットホール・サーファーズのメンバー2人を起用した『Hold It In』(2014年)など、彼らはハイペースで作品をリリース。それに加えて限定盤シングルや過去作の再編集復刻盤『The Bulls & The Bees + Electroretard』(2015年)など、彼らは常にファンを驚かせ、笑わせ、泣かせ、そして喜ばせてきた。
そして彼らは2015年11月、日本に戻ってくる。いわゆるヘヴィー・ロック系ではない〈HCW〉初日のヘッドライナー、しかも同日開催される幕張メッセ〈OZZFEST JAPAN〉でのオジー・オズボーンの出演時間とぶつかっているというのが実にメルヴィンズ〈らしい〉のだが、前回行われることがなかった東京公演が、ついに実現する。
今回の日本公演はバズとデイルに加えて、バットホール・サーファーズのジェフ・ピンカスをベーシストに加えたラインナップで行われる。彼の参加した『Hold It In』だけでなく新旧ナンバーを演奏、まさかのレア・トラックやカヴァー曲も含め、かなりの曲数が披露されることになりそうだ。彼らの経てきた変化を凝縮したライヴは、決して見逃すことができない。2011年3月11日から止まっていた時計の針が、動き出すときが来たのだ。
〈Hostess Club Weekender〉
日時/会場:2015年11月22日(日)、23日(月・祝) 東京・新木場スタジオコースト
開場/開演:12:30/13:30
出演:〈22日〉Melvins / Daughter / Christopher Owens / Dornik
〈23日〉Bloc Party / Mystery Jets / The Bohicas / Julia Holter
チケット:通常2日通し券/13,900円(税込/両日1D別)
通常1日券/8,500円(税込/両日1D別)
イープラス
チケットぴあ(Pコード:279-443)
ローソンチケット(Lコード:78690)
楽天チケット
http://ynos.tv/hostessclub/schedule/201511weekender/ticket