世間はリオデジャネイロ・オリンピックの真っ只中。連日われらが日本代表のアスリートたちが一生懸命がんばっている姿に胸を打たれる今日この頃だが、音楽界にも日本が世界に誇るバンドがいる――CrossfaithとBO NINGEN。いずれも日本と海外を股にかけて活躍する……そしてMikikiで自身の活動をメンバーみずから綴る連載を持つ2組だ。前者は日本を拠点にしつつ近年は多くの期間を海外ツアーに充て、後者はロンドンを拠点にイギリスと日本という両方のアイデンティティーを持ってヨーロッパを中心にツアーを展開。スタンスも音楽性も異なるが、共に海外でコツコツと実績を積んで認知を広めている数少ない日本人のバンドである。今夏、BO NINGENが〈フジロック〉出演&日本ツアーで帰国し、奇跡的にCrossfaithと東京で邂逅(まんざら大袈裟でもない)! このタイミングを逃すまいと、われわれMikiki編集部は念願の対談取材を行った。
CrossfaithからはKoie(ヴォーカル)とHiro(ベース)、BO NINGENからはTaigen(ヴォーカル/ベース)とYuki(ギター)を迎え、初対面の両者ながらも和気あいあいとしたムードのなか、彼らが海外で活動するなかで直面したあれこれ、これまでに体験したツアーにおける仰天エピソードなど、いろいろ語ってもらっている。これから海外でも活動したいと考えているミュージシャンにも参考になるかも! ぜひお楽しみください。
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日本では普通にあるものが海外にはないのがあたりまえ
――今日が初対面ということですが、一緒にやってこそいないものの、出演しているライヴハウスやフェスが近い印象があるんですよね。
Taigen「そうなんですよ、すごいすれ違いというか(笑)。うちらがサポート・アクトでやる会場で、(Crosssfaithは)メイン・アクトでやってるんですよ」
一同「ハハハハハ」
Koie「僕らもこの前ブライトンでライヴをやった会場で、BO NINGENのポスター貼ってあるーと思って。それはヘッドライナーだったよね?」
Taigen「やったっけ……?」
Yuki「怪しいとこやな(笑)」
Koie「ハハハ、でもお互いに名前は見ますよね」
――Crossfaithは2012年から海外でツアーをするようになりましたが、日本以外で活動することは、前々から意識していたんですか?
Koie「そうですね。高校生でバンドを始めた時から海外の音楽ばっかり聴いていたので。(バンドを)やるんやったら海外でやりたいな、くらいの感じで活動していました」
Hiro「もともと海外の音楽が好きだったし、そういうバンドがいろんな国でやってるライヴDVDを観たりしていたので。バンドをやるというのは、世界中でツアーをやるということと同義くらいに考えていました」
Koie「それで2012年に(海外でライヴをする)チャンスが来て。そこから1年に3回、4回はツアーしていますね」
Hiro「この4年間で14回くらいフェスやツアーでイギリスに行っています」
――今年はわりと日本での活動が多いですが、近年はほとんど日本にいないイメージがあります。
Koie「よくそう言われるんですけど、そんなことないんですよ(笑)。〈Crossfaithっていつ日本に帰ってるの?〉〈いや、3か月くらい前から日本にいましたけど〉って(笑)」
――ハハハハ(笑)。では、海外でライヴをするようになるきっかけはどのようにして掴んだんですか?
Koie「まず、〈Download Festival※〉のメイン・ステージに出たいとずっと思っていたので、いろんな人に言い続けていたんです。レコード会社が決まった時、マネージメントが決まった時も常に海外行きたい、海外行きたいと言っていて、そうしたらいまのマネージャーに出会って。彼はそれまで誰のマネージメントもしたことがなく、どこの会社にも所属してなかったんだけど」
※2003年にスタートした英レスターシャーはドニントン・パークで毎年6月に開催されているフェスティヴァル。ハード・ロック/ヘヴィー・メタルをはじめラウド・ロック系をメインに、これまでにブラック・サバスやメタリカ、アイアン・メイデン、AC/DCなどなど錚々たる面々がヘッドライナーを務めている。日本からは、Crossfaithに加えてBABYMETALがメイン・ステージに出演したことも話題になった
Hiro「もともと(Crossfaithの)ファンやで」
Koie「そうそう。〈お前ら海外行きたいんやろ?〉みたいに言われて、〈こいつ誰やねん!〉みたいな、ハハハ(笑)」
Hiro「さっきまで(ライヴ中に)マイクを奪おうとしていたのに、〈お前らライヴ良かったでー〉くらいのテンションで(笑)」
Koie「〈俺が(海外に)連れてったるわー〉って」
Taigen「へ~、すごいな(笑)」
――言い続けていたら、自然とそっちのほうに引っ張られていったというか。
Koie「そうですね」
――初めて海外でライヴしたのはどこだったんですか?
Koie「中国です。〈泰山MAO国際ロックフェスティバル〉という伝説のフェスがあって(2011年に開催)。2万人くらい入るという話で、出演者にもくるりとかおって※1、で、トリが蒼井そら※2っていう」
※1 日本からはCrossfaithに加えてくるりにMIYAVI、UNLIMITS、locofrankが出演
※2 実際にはゲストという形で出演した模様
Taigen「あ~、(中国では)誰よりも有名な日本人ですからね」
Koie「それが最初で、そこからアジアをいろいろ回って、それからヨーロッパのマネージメント会社と契約することができた。それからですね、UKや欧米に行けるようになったのは。最初はアメリカのバンド(OF MICE & MEN)のUKツアー・サポートでした」
――そのツアーはいかがでしたか?
Hiro「行程がまずすごくて、17日間で17本ライヴしたんですよ、オフなしで。それまでいわゆるツアーというのをやったことがなかったので、いきなり17本というのも想像がつかなかったんですけど、OF MICE & MENがめちゃアッパーな人たちで」
Koie「カリフォルニア!って感じの(笑)」
Hiro「会場に入る前からええ感じになってて、〈ライヴ終わったら呑もうぜー〉みたいに言ってくれたんです。ライヴも一緒にやって、俺らのことを認めてくれたし。でも初日の俺らのライヴはトラブルばっかりで、2日目あたりは音が出なかったりして」
Koie「それで転換に時間がかかってたら、フロアから瓶がヒュッと飛んできて、サッと避けて、〈ナメんな!〉みたいな(笑)」
Yuki「ようある、ようある(笑)」
Taigen「日本から海外に来たバンドは、音が出ない、返しの音が悪い、アンプがクソだとか、そういうことに衝撃を受けて、日本に帰ってから〈もう(海外に)行きたくない〉ってなってしまうという話をよく聞くし、〈また行きたいけど……〉と言いながらなかなか来なかったりする。やっぱり初めて日本を出て、ストラグルしている人は結構見るよね」
Koie「最初はそんな感じだったけど……特に俺はヴォーカルだからあんまり関係かったかな、ハハハ(笑)」
Taigen「でも〈ヴォーカルが聴こえないんです〉とか言う人もいるから」
Koie「聴こえへんか、そうか、まあいっか、みたいな(笑)」
一同「ハハハハハ(笑)」
Taigen「Crossfaithの場合は一発目からいろいろあったけど、すぐに乗り越えた感じなんだね(笑)。それまで日本でやっていたのに最初からそう受け止められたのは強いよね」
Hiro「そういう状況に〈ホンモノや!〉と思ってたし(笑)」
――海外あるある、みたいな(笑)。
Hiro「今日俺アンプないの!? ウソウソウソ(って言いながらニヤつく)っていう(笑)」
Koie「最初はめっちゃ緊張していたんですけど、瓶を投げられてから〈あ、もういいや〉と思って。〈とりあえずやったろ!〉という気持ちになりましたね。それでライヴが始まったら、ブーイングしていたような奴らもジャンプしてワーッてなってて、〈あ、キタキタ〉と(笑)」
Yuki「ストレートなんだよね、反応が」
Taigen「周りが動かないから動かない、という感じにはならないから」
Hiro「BO NINGENは最初どんな感じやったんですか?」
Taigen「うちらはそういう状況からスタートしているから。機材はバンド同士で持ち寄るんだけど、一度、ギターのアンプがすごくちっちゃい時があって、Micro-CUBEくらいの」
Koie「家用!?」
Taigen「それくらい小さいやつと、もうひとつそれよりも大きめのアンプがあって、それをうちのギター2人でどっちを使うかジャンケンして決めたっていう(笑)」
Yuki「あ~、あったあった(笑)。無理に決まってるやん!っていうアンプだったけど、それしかないから、やらなしょうがないし」
Koie「ハハハハ(笑)。そもそもBO NINGENは、イギリスの学校に行ってて、向こうで結成して……という感じ?」
Taigen「そう、向こうで」
Koie「向こうに行ったのは何歳の時なんですか?」
Taigen「18の時で、いまのメンバーに出会ったのはロンドンで暮らしはじめてから2~3年目くらいで。だから出身地もみんなバラバラ」
Koie「日本でもバンドはしていたんですか?」
Taigen「Yukiと僕は高校の時にちょっとやっていたくらい。でもライヴと言ったら卒業ライヴみたいな、学校でちょっとやったりしたくらいで」
Koie「じゃあライヴハウスでライヴをするのはイギリスに行ってから?」
Taigen「そう、だから日本のライヴハウスのルールをよく知らなくて、初めて日本でツアーした時に〈なんでこれ全部音が聴こえるんだ?〉と思った」
Yuki「ノイズがない、とか(笑)」
Hiro「ハハハ、過保護すぎねーかと(笑)」
Taigen「あと、日本のスタジオに入ったら、なんかカラオケみたいな感じだった」
Hiro「そう! 音出したらカラオケみたいにライトが光ったりする」
Yuki「あれはコワイな」
Hiro「俺らはずっと(大阪・)堺の古くて汚いスタジオでやっていて、でもスタジオの人は味があるし、スタジオのこう……匂いが良かったんですよね」
Koie「そこのおっちゃん、予約した時間に来なかったりして」
Yuki「そもそも欧米っぽい環境でやってたんやね(笑)」
Taigen「それはやっぱり強いと思う。本当に過保護なスタジオで過保護なライヴハウスで過保護なマネージャーがいる、みたいな環境でやっていくと、いざ海外でやった時に〈無理だ!〉ってなっちゃうから」
Hiro「日本では普通にあるもんがないのがあたりまえだと思ってる」
やっぱりナメられたくない
――ところで、BO NINGENの歌詞は日本語ですけど、英語圏で活動をするなら英語で歌う、というのが定石としてあるなかで、それを貫いているというのがすごいなと思うんですよね。最初から日本語だったんですか?
Taigen「そうですね。歌詞をあまり深く考えていなかったのもあるし、その当時はあまり英語の曲が好きじゃなかったんです。高校の頃は洋楽もいっぱい聴いていましたけど。でもロンドンに行ってから、日本のアングラなものや、海外の音楽でもフィンランドとかの字余りしているようなヴォーカルが乗った、ヘンな音楽が好きになって……天邪鬼ですけど、英語でストレートにやっているものじゃないものが好きになったんですよね。それもあるし、僕は即興で歌ったりしていたから、母国語である日本語のほうが出てきやすいんです」
Hiro「じゃあCDを出す前はライヴごとに即興で歌ってたんですか?」
Taigen「そうですね、曲のテーマに沿ったことを歌うようにはしていましたけど。そこにムカつく奴がいたり、全然雰囲気が違ったりすると(歌詞を)変えたりします」
Yuki「それで曲の構成がだいぶ変わったりするんですよ。〈そこでこの歌詞入るの!?〉とか、いつ次のフレーズを入れたらいいんだろうとか……」
Koie「演奏してるほうは大変やな。コーラスできひん、ハハハハ(笑)」
Taigen「でも、これからは英語を少し入れてみようかなとは思ってますけどね。Crossfaithは日本語で歌うことはあるんですか?」
Koie「俺らはこれまで日本語で歌ったことはないです。でもカラオケでは日本語の歌ばっか歌う(笑)」
Taigen「ハハハ(笑)。でも言語が違うと言葉のリズムも違うから、自分の歌声の聴こえ方が変わってきますよね。僕はいま、日本語だけじゃない言語や歌い方なども含めて、自分の声を模索中なんです」
Hiro「言葉が違うとやっぱり全然変わりますか?」
Taigen「違いますね。とはいえ僕はどうしても日本人的な部分が抜けないところがあって、良し悪しはあるけど、海外に長くいる日本人のなかには、中身は日本人じゃないなという人もいるじゃないですか。でも自分はそういう感じにならないんですよね。それは作るものにも絶対出てくると思うので。初めてロンドンでライヴをやった時は、日本語わかってくれるかなとか、緊張しましたけど、言葉がわからなくても100人いたら100通りの受け取り方があるし、解釈の違いがあるほうがおもしろい。ていうところで、ジャンルもいろいろ言われるんですね、いちばん意味がわからないけどよく言われるのがアシッド・パンク(笑)」
Yuki「ジャズド・アップ・アシッド・パンク(jazzed up acid PUNK)がいちばんヤバかった」
一同「ハハハハハハ(笑)」
Hiro「混ぜたな(笑)」
Yuki「結局なんなん?」
Koie「ロックでええやん(笑)」
Taigen「人によって呼び方が違うというのはおもしろいし、結局そういう音楽が好きなんだろというところで、言語も含めて広がるのであれば、僕はポジティヴに捉えようと思ってる」
――BO NINGENがツアーを回ったりするようになったのは、いつ頃だったんですか?
Taigen「ファースト(2010年作『Bo Ningen』)を出す前か後かくらいだったかな?」
Hiro「どれくらい回ったんですか?」
Yuki「10本ないくらいだったかな。ロンドン以外の都市を回るものといったら」
Taigen「その前にワンオフ(単発)でグラスゴーに行ったりはしてたけどね。〈なんで物販持ってきてないの?〉〈いやまだレコーディングしたりしてないから……〉っていうレヴェルの時期に。だから2009年くらいかな」
Koie「スタートした場所がちゃうだけで、やってることは俺らも一緒っすね。俺らも物販とかなかったですもん、毎回。〈あ、音源とか持ってかなあかんのや!〉みたいな、ハハハ(笑)」
Taigen「そういうなかで叩き上げられたよね。Crossfaithのいきなり17日間17本というのもそうだろうし」
Yuki「うん、(会場には)機材もなんもないから、自分らで全部持ってくのがあたりまえだろうし、すべて自分らの責任やし」
Taigen「その時期はロンドンでめちゃくちゃライヴできたよね。日本のライヴハウスのようなノルマもないし」
Yuki「言ったらやればやるだけ収入もある」
Taigen「10ポンド、20ポンドでももらえることのほうが多かったし、酒くらいくれるし。本当にひどいブッキングばかりの時期もあったけど、でもライヴはできた。僕らはリフや曲名しか決めないでライヴしたりもしていて。それで10分オーヴァーして怒られたり(笑)」
Hiro「BO NINGENのライヴが、お客さんの状況によって曲の長さや内容を変えるというのを聞いたんですけど、僕らは打ち込みのパートがあるから1曲の長さが決まっていて、一旦始まったら終わる時間はあらかじめ決まっているので、伸びたりすることはないんです」
Taigen「伸びたり縮んだりはその日の状況に合わせますね。基本的に最後の曲が15分~20分くらいになって、フェスだから絶対に押せないという場合は最後の曲で調整する」
Koie「あー、そこでアジャストするんや」
Taigen「うちら、セットリストを作るのも出番の10分前くらいなんですよ。対バンのステージを観て、その日のオーディエンスの様子を踏まえて、じゃあ今日は押せ押せ(のセット)で行こうか、みたいな」
Yuki「その日の雰囲気をみて。やっぱり毎回会場も違うから」
Hiro「それは間違いないですね、やっぱり会場の雰囲気を見ないと」
Taigen「やっぱりツアーで20本くらい回って、特にサポートで入ったりすると時間も短い。そのなかで推し曲はやらなきゃいけないんだけど、同じことばかりしていると自分たちも飽きちゃうから、その都度セットリストを変えて自分たちが楽しめるようにしているんです。まず自分たちが楽しまないと客に絶対にバレるから」
――先ほどBO NINGENはかつてはひどいブッキングの時があったという話はありましたが、Crossfaithはそういうことはこれまでにありましたか?
Koie「マネージメントしてくれているのが大きい会社なので、海外でそういうことはないですね」
Hiro「BO NINGENのひどいブッキングというのは、お客さんもバンド同士も明らかに〈これどう混じり合うねん?〉みたいなやつですよね?」
Taigen「まあそうですね」
Yuki「場末のパブですよ」
一同「ハハハハハ(笑)」
Taigen「鍛えられたけどね(笑)。客が来ないとか、全然違う客層でやるというのはいいと思うんだけど、あっちは(ライヴに来てるというよりは)普通に呑みに来てる人たちの前でやるわけで」
Yuki「日常的に店に来てるおっちゃんたちがいる。当時はもっとフリー・フォームな感じでやってたから、ノイズがギャー!ってなったりしても、おっちゃんたちは全然関係なくビール呑んで、普通にしてる(笑)」
Koie「〈今日のBGM、ちょっとヘヴィーめやな〉、みたいな(笑)」
Yuki「そのおっちゃんらを怒らせたい、くらいに思ってた」
Taigen「そういうのはあったね」
Koie「BO NINGENのライヴをYouTubeで観させてもらって、すごいパンチあんなと思ってたけど、それはこういうところからくるんですね。俺らもお客さんが全然おらんところで結成当時はやっていたから、パンチで」
Yuki「やっぱりナメられたくないというのはあった」
Taigen「こっちも日本語でやっているから、気合いでいかないと……気合いでなんとかなるのかって感じだけど(笑)。でもこういうところは日本人の強いところでもあって、日本の音楽って何が違うの?と訊かれたら、気合いかなと思うんですよ(笑)」