さらにエモーショナルに、もっと優雅に、そして限りなく美しく……またも2年越しで到着したニュー・アルバムは、トレンドを超えた先で響き渡る傑作に他ならない!
思えばこの数年、何か新しいアーティストが出てくるたび、引き合いに出されるのはその名前――ハウ・トゥ・ドレス・ウェル(HTDW)だったような気がする。例えばフォンデルパーク、インク(・ノー・ワールド)、チェット・フェイカー、ライ、何ならジェイムズ・ブレイク、フランク・オーシャン、ウィークエンドの登場時でさえも、その前段に〈HTDW以降〉という形容はゆったりのしかかっていたのだ。
そうやって振り返ってみると、HTDWことトム・クレルの登場がいかに早かったかに改めて気付かされる。彼がブログで音源を発表しはじめたのは2009年、Pitchforkで〈ベスト・ニュー・ミュージック〉を獲得した初作『Love Remains』が登場したのは2010年のことだ(翌年にトライ・アングルから再リリース)。サイケやドローンを通過したドリーミーでローファイなシンセ・ポップは、やがて〈インディーR&B〉と形容されるようになる流儀に先駆けたものだった。そして、2012年のセカンド・アルバム『Total Loss』によって、日本でも彼の評価は完全に確立される。ここではウォッシュト・アウトらを擁するウィアード・ワールドに移籍し、XXらを手掛けたロディ・マクドナルドを共同プロデューサーに迎えて、レフトフィールドな独自のエクスペリメンタルR&B作法を確立。先述したような〈HTDW以降〉という言葉がもっとも賑やかだったのはこの時期のような気がする。
が、そこからさらに2年後、2014年にリリースされたサード・アルバム『What Is This Heart?』では、より大きな転換を聴いて取ることができた。空間に不穏な抽象性を描き込もうとするようなローファイな意匠が薄まり、クリアなプロダクションによって本人の歌声がより剥き出しになっていたのだ。そんな意識の変化は、風景写真やオブジェの陰に隠れていた本人の顔をいきなりアップで映し出したジャケの変遷からも明らかだが、エモーショナルな歌唱の纏う耽美な哀感や切ない感傷はどこかロマンティックで優美な晴れやかさも帯びていた。ヴォーカリストとして、シンガー・ソングライターとして、その実験性のみに頼らず自信を獲得した姿がそこにはあったのである。同作を引っ提げての来日も2015年に実現した。
そして……律儀にまたも2年ぶりとなるニュー・アルバムだ。タイトルは『Care』。ある種の生身を曝け出した前作『What Is This Heart?』も高い評価を得たことにより自信を深めたのか、同路線を推進して過去とは違う角度からR&Bに再接近。クレル本人が全曲を手掛け、プロダクションにはCFCFやドレ・スカルも参画。ミックスはカニエ作品も手掛けるアンドリュー・ドーソンが担当している。とはいえ、そんな箔付けのような記述も必要なく、これはHTDWの最高傑作であろう。静謐な鍵盤で始まり、躍動するリズムに伸びやかな歌声を解き放っていく優美なオープニングの“Can't You Tell”からいきなり素晴らしいベスト・トラックだが、そうしたアーバン・ポップ仕立ての曲に固執するのではなく、定型にこだわらない様子が却って軽やかで、ソウルフルだ。疼くようなエレポップ・ディスコの“Anxious”もあれば、ノイジーな音壁を纏ったトリップ・ホップ風味の“Time Was Meant To Stay”もあってアレンジもいずれも多彩ながら、それでもやはり歌声の力強さが聴き心地を明快にしているのは確かだろう。
時代がどんどん流れ、〈HTDW以降〉や〈インディーR&B〉という形容を目にすることもほとんどなくなった昨今。だからこそ、この『Care』で掴んだクレルの独自性は非常に頼もしく思える。胸に迫る歌は今後のさらなる活躍を約束するだろう。