めまぐるしくアップデートされている海外シーンと共鳴するように、日本でも新しい感性と共通言語を持つバンドが続々と台頭している――少し前にもそう書いたばかりだが、yahyel(ヤイエル)のファースト・アルバム『Flesh and Blood』は、そんな活況著しい2016年最後の決定打となる一枚だ。バンドは2015年3月に池貝峻、篠田ミル、杉本亘によって結成され、現在はVJの山田健人とドラマーの大井一彌を加えた5人編成で活動中。今年1月に欧州ツアーを成功させ、〈フジロック〉の〈Rookie A Go-Go〉では超満員のオーディエンスを魅了している。その後も華やかなトピックを振り撒き、満を持してのリリースとなった『Flesh and Blood』も〈タワレコメン〉に選出されるなど、追い風が吹いている。
風変りなバンド名は、ニューエイジ思想家が提唱した〈宇宙人〉を指す用語に由来しているが、背筋も凍りそうなファルセットとダークで無機質な音像は、英語詞で歌われているせいもあって、前情報がなければ日本発の音楽だとすら気付かないだろう。インディーR&Bやポスト・ダブステップ、ベース・ミュージックなど最先端のエッセンスを採り入れていることから、その未来的なサウンドについて〈世界基準〉という形容が一人歩きしているみたいだが、冴えているのはトレンドへの嗅覚だけではない。かつてポスト・パンクがそうであったように、クールな批評眼を光らせる彼らの音楽は、諦念と静かな怒りに満ちたものだ。そして、一般的なソングライターよりも遥かに生々しく、心の闇と現代の病理に対峙している。そんなyahyelのアティテュードを確かめるべく、コア・メンバーである池貝、篠田、杉本の3人に話を訊いた。
日本という社会が提示する日本人像が、僕らには合わない
――〈フジロック〉でのライヴを深夜に観て、いろいろと感激したんです。海外シーンとの同時代性、演奏スキルと立体的なプロダクション、VJを交えたステージ演出もそうだけど、一番ビックリしたのは、なんか怖いなって(笑)。ちょっと大袈裟に表現するなら、怖い、不気味、おどろおどろしい……。
池貝峻(ヴォーカル)「それって要するに、僕がってことですよね(笑)?」
――それもあるけど、池貝さんの歌と不穏なサウンドが一体となったyahyelという世界観、バンド全体で放つオーラに圧倒されたというか。
池貝「僕らが表現したいテーマのひとつに〈冷たい怒り〉というのがあって。このメンバーでアウトプットしようとすると、カルト感が自然と滲み出てくるんですよ。だから、音選びなどで自然と反映されている部分があるのかもしれない」
篠田ミル(サンプル)「あと、ガイ(池貝)は女性ヴォーカルを参照しているので、女性特有の冷たいフィーリングがおどろおどろしさに繋がっているのかもしれない。それこそ、ブリストルのポーティスヘッドやトリッキーみたいな感じをイメージしてもらえれば早いと思うんですけど」
――そういう怒りが、ある種のカウンターのようにも映ったんですよね。特に日本では、ここ数年は爽やかな音楽が持てはやされていただけに、yahyelのシリアスな佇まいがなおさら新鮮で。そういう怒りはどこから湧いてくるのでしょう?
池貝「サウンド面に関するカウンターというのはおっしゃる通りで。気付いたらそうなっていたんですよ。それからバンドのテーマということで言うと、まず僕らはやりたい音楽をやっているだけなのに、それで日本人であるかどうかが話題になること自体がすごく皮肉だと思っていて。そういう線引きをしなくてはいけない理由がわからないし、だからこそ狙っているところもあります」
――というと?
池貝「僕ら3人はそれぞれ海外に住んだ経験があるから、自分たちの見た目に対して付与されるステレオタイプなイメージを強く意識しているんですよね。それは内側にも外側にもあると思う。(日本人であるが故の)海外に対するコンプレックスもそうですし、海外の人たちが求める日本人特有のオリエンタリズムについてもそう。自分たちがそのどちらにも相容れない、共感できる生き物ですらないという感覚――もっと強い言葉で言えば人種差別的な意識みたいなものがあって、どうしてもクールに割り切れない」
――日本人であるというレッテル自体が窮屈だと。
池貝「日本における価値観って、戦後にバラバラになった国を再建するために、僕らより上の世代が作り上げたものですよね。効率を上げるために〈個〉を消す、みんなでルールを守って効率的に動くことが社会貢献であり、謙虚であれ、丁寧であれ、日本人とはこうであるべきと教えてきた。そういった高度経済成長期の恩恵を、まったく享受していないのが僕らの世代なんですよ。だから、その時代の人たちが作ったあらゆるものに対して距離感があるというか、何のシンパシーも抱いていない。でも、日本の社会はいまもそういう価値観を疑っていないし、それによって何一つ前進していないことにも疑問を感じていないじゃないですか」
――そういったことに対する違和感や怒りも、バンドのテーマに含まれている?
池貝「というより、自分たちのアイデンティティーが日本という国には存在しないんですよ。海外のほうがいいとか悪いという話じゃない。日本という社会が提示する日本人像が、僕らには合わない。逆も然りで、海外の人たちが提示する日本人像も合わないし。じゃあ、僕らのアイデンティティーは何かと訊かれたら、もう自分たちのなかを探すしかないんですよ。そこから丁寧に掘り下げた結果が、こういう表現に繋がっていると思います」
――別のインタヴューでYMOに影響を受けているという話を見掛けましたが、日本的なオリエンタリズムを逆手に取ることで、YMOは海外でも受け入れられたという文脈があるわけじゃないですか。yahyelの場合はそういう文脈にいない、日本人であることを武器にも弱みにもしないとハッキリ示すことが、自分たちのアイデンティティーであると。
篠田「その通りです。黄色人種としてのギミックを活用して成功したとしても、それは日本と海外の間を隔てる壁を再生産するだけになってしまうと思っていて」
――そのスタンスを表現するために、インディーR&Bやポスト・ダブステップ、ベース・ミュージックといった音要素を選んだ理由というのは?
池貝「そういう音楽を単純に好きだからというのもあるけど、声が大きくないとさっき話したようなことも届かないわけですよ」
篠田「マーケットのリーチというか」
池貝「不特定多数のいろんな人に(自分たちの音楽を)聴かれないと、何を主張しても結局届かない。だったら声をデカくしてやろうと。僕らが好んで聴いている音楽、バンドに採り入れている音楽というのは、海外のリスナーが実際に聴いているものとすごく近いはずなんですよ。僕らは海外にいたことがあるから、同世代の人たちがどういう生活をして、どういう音楽で踊っているのかを肌身で感じてきた。それに、国際的なプラットフォームのなかでしっかり音楽をやって認められること、そのために必要な〈声の大きさ〉も実感していますし、自分たちがいいと思えるものをやれば、ちゃんと声がリーチするということを信じている。だからこそ、そういうサウンドを選択したという感じですかね」
――まあ日本での実例が乏しいだけで、母国語ではなく英語を選択したことで世界的に成功を収めたケースだっていくらでもありますからね。
池貝「そうそう、日本と英語圏でパイを比べたら一目瞭然ですし。それに、英語で歌うのも普段から喋っているのと変わらないし、サウンド面でも〈海外的〉というのは意識したことがない」
篠田「そういう言い方をしなくちゃいけないのが、そもそも変な話じゃないですか」