ナチュラルなクロスオーヴァー感覚に支えられ、都会的なグルーヴのなかをしなかやかに泳ぐフロウ。そのメロウネスは内と外に作用するフレッシュな活力を備えていて……
音の密度のバランス
音と言葉が喚起する夢や空想と共に、予測のその先へ――。前作『Groove it』以降、断続的に制作を続けてきたシンガー・ソングライターのiri。アーバン・ミュージックのリスナーのみならず、より広いフィールドからの注目度も高まるなか、躍動するグルーヴに合わせて瑞々しいエネルギーが迸るニュー・アルバム『Juice』は、彼女が切り拓いた新たな領域が多彩な楽曲に映し出されている。
「この一年、アルバムの制作をずっと続けてきたんですけど、それは自分が何をやりたいのか――歌詞が書きやすかったり、歌いやすかったりするのはどんなトラックなのかを模索する作業でもあって。そんななか、以前と比べると自分が求めているもの、必要のないものを伝えられるようになってきたということもありますし、生音を多く使ったトラックのほうが歌詞を乗せやすく、グルーヴも作りやすくて、メロディーも浮かびやすいことがわかってきたんです。だから今回は、作品のテーマというわけではないんですけど意識して生音の割合を増やしましたし、音を詰め込みすぎないように、アルバムを通して音の密度のバランスを考えましたね」。
今にして思えば、昨年11月に発表した『life ep』は新作の予告編的な内容だった。その楽曲には、ふんだんに生音が盛り込まれ、本作にはエディット前のオリジナル版が収録されている“Telephone”では5lackをプロデューサー/客演としてフィーチャー。彼女自身も披露していたラップは、本作でのヴォーカル表現においてさらに比重を増している。
「ここ最近、ヒップホップを聴くことが以前より増えたんです。日本では、昔からずっと好きなLIBROさん、洋楽だと歌も歌えばラップもする(今年の〈SUMMER SONIC〉への出演も決定した)アイ・アム・DDBやノー・ネームとか。それによって、自然と作る曲もラップの比重が増えましたし、作ってもらうトラックもヒップホップのビートを好んでセレクトするようになりました。私の歌は最初にギターの弾き語りを始めた時からラップのような言葉遊びや詰め込んだ言葉のフロウを意識していたんですけど、ここに来て、それが自然とラップ的な韻の踏み方に発展していった感じで、自分のなかで歌とラップは分けて考えてはいない地続きな表現なんです」。
自然なクロスオーヴァー
その滑らかなグラデーションはトラックにも当てはまる。ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)、自身もアーティスト・デビューを果たしたTokyo RecordingsのOBKR(小袋成彬)とYaffle、Pistachio StudioのESME MORIといった3組のプロデューサーが、ヒップホップ/R&Bマナーのビートとよりアップリフティングなダンス・トラックの両刀を振るった楽曲の数々は、本作のナチュラルなクロスオーヴァー感覚を見事に象徴している。
「これまで“Watashi”と“For life”をプロデュースしてくれたケンモチさんの手掛けた“ガールズトーク”は、ヒップホップ、R&B寄りのトラックであることもそうですし、生音を扱っているという印象が薄かった最近の彼の作風を考えると、曲の頭と最後に入れたギターが嬉しい驚きでしたね。Tokyo Recordingsの2人とは、最初にスタジオに入った時に何曲か作ったトラックにメロディーを当ててみて、感触が良さそうな2曲を完成させたんですけど、もうちょっとダンサブルになるかと思っていた“Slowly Drive”は音を抜いていって、気付いたらヒップホップ、R&B寄りのトラックになったんですよね。片や、(冒頭のアーバンなダンス・チューン)“Keepin'”をお願いしたESMEさんのプロデュースによる“fruits”は〈夜〉をイメージして書いた曲だったんですけど、EPのヴァージョンはトラップっぽいビートでテンションが高めだったので、アルバムではチルなトラックにリアレンジしてもらいました」。
シングル“Watashi”の初回盤のボーナス・トラックでもあった、曲中でR&Bからハウスへと横断する名曲“your answer”をプロデュースしたyahyelに加え、自身のアルバム『THREE』を発表したばかりのビートメイカー、%CことTOSHIKI HAYASHI、向井太一やEspeciaの傑出したプロデュース・ワークでも知られるLUCKY TAPESの高橋海。さらに国内外で精力的にコラボレーションを繰り広げているエクスペリメンタル・ソウル・バンドのWONKのトラックも、歌とラップをしなやかに使い分けるiriの音楽世界を広く大きく解き放つトリガーとなっている。
「%Cくんは私と仲が良いchlmicoの(鈴木)真海子のトラックを手掛けていて、それが格好良くて悔しかったので(笑)、〈私のトラックも作ってよ!〉とお願いしました。それから、LUCKY TAPESの高橋海くんはTwitterで〈僕、こういうトラックを作っているのでいつか一緒にやりたいです〉というDMを送ってきてくれたことがきっかけですね。WONKとの“Dramatic Love”は、InterFMの番組でセッション・ライヴをやった時に〈一緒に曲を作りたい〉と言っていただいたということもあるんですけど、私がジャジーなトラックやバンドと制作してみたかったこともあって実現したコラボレーションです。何度も歌い直したり、メロディーを一部変えたりでレコーディングは難航したんですけど、今回でいちばん手応えを感じた曲になりました」。
音楽に助けられている
そんな音楽性の広がりと共に際立っているのが、彼女が歌と歌詞を通じて描く感情表現の豊かさだ。
「歌の面では今まで使ってこなかったファルセットのアプローチが増えて、今までは張って歌うことが多かったんですけど、もう少し力を抜いて、抑揚を付けることを意識しました。歌詞は、ダンサブルなトラックではその力強さに煽られて、自然と動きのある言葉が出てくるのに対して、ヒップホップ的なビートでは、自然に自分の日常的なことがスラスラと書けるんですよね。どの曲も詞の登場人物が見ている景色を追体験できたり、聴く人が景色をイメージできる言葉、最終的には前向きになれるような歌詞を意識しているんですけど、そうすることで自分も音楽に助けられているというか、強くなれる気がするんです」。
iri自身を奮い立たせる音と言葉のエネルギー。それは目に見えるものではないが、その空気振動は耳から伝わって、聴く者の心を確かに震わせる。
「今回は幅広い曲が揃ったので、曲順を決めるのは大変ではあったんですけど、いろんなタイプの曲がミックスされている『Juice』には、〈エネルギー〉とか〈活力〉という意味もあって。この作品が、聴く人にエネルギーを与えられるものになったら嬉しいですね。私自身はここに留まることなく、今年も引き続きたくさん曲を作っていきます。気持ちに余裕を持って、より自由に、より自分らしい曲を書きたいと思ってます」。
iriの作品。
『Juice』に参加したプロデューサー陣の関連作品。