(左から)大井一彌、網守将平
 

昨年、YMOの結成40周年を記念し開催されたトリビュート・イベント〈Yellow Magic Children ~40年後のYMOの遺伝子~〉。その模様を収めたライブ盤『Yellow Magic Children #01』がリリースされ話題を呼んでいる。

本イベントは2019年3月14日、東京・新宿文化センター 大ホールにて行われたもの。〈テクノとは違う形でYMOの遺伝子を受け継いだアーティストを中心に据えたYMOトリビュート・コンサート〉というコンセプトのもと、高野寛をバンマスに、高田漣やゴンドウトモヒコら手練れのミュージシャンたちが集結したトリビュート・バンド=YMCがYMOやその関連曲をカヴァー。さらに野宮真貴や坂本美雨、DAOKOらスペシャル・ゲストが登場するなど、40年たったいまなお、YMOの遺伝子が確実に次世代へと受け継がれていることを証明した一夜となった。なお、本作のミックスを高野本人が、マスタリングを砂原良徳が担当していることも大きなトピックといえよう。

そこで今回Mikikiでは、この日のトリビュート・バンド、YMCでキーボードを担当した音楽家/作曲家の網守将平と、DATSやyahyelに所属するドラマー大井一彌という、YMOやそのメンバーにリスペクトを送る2人の対談を実施。坂本龍一と同じく東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業した網守と、精緻かつグルーヴィーなドラミングで高橋幸宏の正当後継者との呼び声も高い大井は90年代初頭の生まれで、世代的には〈YMOグランド・チルドレン〉である。現在、トリビュート・ライブにもゲスト参加したDAOKOのツアー・メンバーとして共演する仲でもある2人に、〈グランド・チルドレン〉ならではの視点でYMOの魅力や影響力などについて語り合ってもらった。

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YMC Yellow Magic Children #01 UMA(2019)

後追い世代だから俯瞰しているけど、それでも超カッコいい

――そもそもお二人がYMOに出会ったのは、どんなきっかけだったのですか?

網守将平「もともと僕は〈習い事〉の一環として音楽を始めて、その時の先生に〈作曲の素質があるね〉と言われて芸大を目指すことになったんです。芸大には偉大な卒業生がたくさんいますが、その中の一人としてまず坂本龍一さんの存在を知りました。“energy flow”(99年のマキシ・シングル『ウラBTTB』収録)がリリースされる直前の頃で、僕は小学校低学年。当時YMOのことは全く知らなかったし、〈これを聴いていれば芸大とやらに入れるんだろうか……〉と、好き嫌いを超えたところで坂本さんの音楽を聴きまくっていた記憶があります」

網守将平1990年生まれの作曲家/音楽家。最新アルバム『パタミュージック』(2018年)リリース時のインタビューはこちら
 

――目指す芸大の、音楽学部作曲科の大先輩が坂本龍一だったと。

網守「それが一番大きかったです。で、ある時それとは別の経緯でSKETCH SHOWに出会いました。深夜の音楽番組だったと思うんですけど、〈元YMOの2人がやっているユニット〉と紹介されていて。2000年代前半ですよね。その時にはもちろん、〈元YMOということは、坂本さんと一緒にやっていた人たちか〉との認識はありました(笑)。

で、実際にSKETCH SHOWを聴いた時は、〈こんなおじさんたちが、こんなカッコいい音楽をやるんだ!〉とびっくりして(笑)。それからかなりハマったので、僕はSKETCH SHOWの影響は原体験的に受けていますね。ただ、YMOにたどり着くのはまだ先で、確か高校2、3年の頃だったと思います」

――聴いた時にどう思いました?

網守「素直に〈カッコいい〉と思いました(笑)。ひと通り聴きましたけど、アルバムごとにあんなふうに作風をガラっと変えるバンドなんてなかなかいないし、どの作品も全く古びていないことにも驚きましたね」

――大井さんは?

大井一彌(DATS、yahyelなど)「僕はもともと60年代のロックが好きで、ザ・フーのコピバンとかから音楽を始めた人間なんですよ。なので、最初ははっぴいえんどやティン・パン・アレーのメンバーとして細野(晴臣)さん、サディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして高橋(幸宏)さんのことを認識する、みたいな。

一方で僕は、ブレイクビーツやテクノなど打ち込み音楽もすごく好きだったんです。ただ、その2つのジャンルは交わらないものだと当時は思っていて。ヴィンテージ・ロックが好きな自分と、ケミカル・ブラザーズとかああいうバキバキのテクノが好きな自分は完全に解離した状態だったんですよね。それが、高校に入った時くらいだったかな。YMOにははっぴいえんどとミカ・バンドのメンバーがいるらしいと。しかもこの細野晴臣というおじさんは、アンビエントからエキゾチカまでやっているらしい、と。〈一体どれだけ音楽性を変えながら活動しているんだ?〉ってなって(笑)、そこで自分の音楽の聴き方をも肯定された気がしたんですよね」

大井一彌。DATS、yahyel、LADBREAKS、坪口昌恭&西田修大とのOrtanceのドラムスを担当するほか、DAOKOや踊Foot Worksなどのセッション・ドラマーとしても活躍中。大井の2019年の単独インタビューはこちら
 

――やっぱりリアルタイム世代とは、導入のきっかけが違いますね。

網守「リアルタイム世代は、〈ひょんなきっかけでYMOの音楽を耳にして衝撃を受けた〉という人が多いじゃないですか。僕らはそうじゃなくて、所与として既に歴史化されている存在だと知ってから聴いたわけなので、原体験として受けた衝撃にはなっていない。誤解のないように言うと、自分は寧ろYMOとは直接関係ない存在だといまでも思ってるんです。3人のことをそれぞれ独立した音楽家だと思ってますね。にも関わらず、小学生の時右も左もわからず坂本龍一の音楽を聴いていたことによって、後天的に周りから自分の音楽がYMO的と思われたこと自体は面白いと思います」

大井「僕らは後追い世代だから、もう少し俯瞰しているけど、それでも超カッコいいんですよね。個人的に、彼らの発言やバイオグラフィー、使用機材などの情報を集めてアーカイヴしているんですけど(笑)、そういうオタク心を刺激される存在であることは間違いない。ただ、YMOのアルバムを年代順に並べてみて、って言われたら無理かも(笑)」

網守「僕も怪しいな(笑)。あと、僕はYMOの3人それぞれの〈目利き〉を信頼していたというか。リコメンドする音楽にも影響を受けましたね。特に坂本さんのラジオ番組、『RADIO SAKAMOTO』をメチャクチャ聴いていたんですよ。番組内のオーディション・コーナーへの投稿作品が強烈で、エレクトロニカやポスト・ロック、アヴァン・ポップ、エキゾティックな音楽などは、そのオーディション・コーナーからたくさん教えてもらいました。

そこから当時、坂本さんのブレーン的存在だった佐々木敦さんを知り、HEADZや『FADER』などにも出会うことになるんですよね。もうそれ以降は坂本さんがラジオで紹介するよりも早くその曲を聴いていたりとか、音楽面も思想面も完全に佐々木チルドレンになっていくんですが(笑)、元を辿ると〈媒介者〉としての坂本さんの影響もすごく大きかった」