
これが最後とはまったく思っていない余裕がここにはある
――『Blue & Lonesome』の話に戻りましょう。まず、ストーンズの新作がブルースのカヴァー・アルバムになると最初に知ったとき、どんなふうに思いました?
Rei「ワクワクしましたね。前作『A Bigger Bang』(2005年)に収録された“Back Of My Hand“みたいに、ブルースっぽいナンバーはいつも入っているんですけど、振り切ってアルバム1枚丸ごとというのはなかったから。この時代に彼らが何を示してくれるんだろうって」
ショウ「あとは単純に、選曲が気になりました」
――どうですか、この選曲は。
ショウ「いいところを突いてきたなというか。大人気なくていいなって」
――大人気ない?
ショウ「大人だったらもう少しこう、“Hoochie Coochie Man”※で始めたり。あとは『ブルース・ブラザース』でカヴァーされていた楽曲や、知っている人の多い曲を選べばわかりやすくなるのに、そういうことではないという」
※マディ・ウォーターズが1954年に録音してヒットしたブルースの定番曲。ストーンズと一緒にライヴで披露したこともある(動画はこちら)
――わかりやすい曲は選んでないですもんね。
ショウ「そもそも、リトル・ウォルターで“Hate To See You Go”を選ぶというのがもう大人気ないじゃないですか(笑)。かといって、別にマニアックなものを作ろうとしているわけではないこともわかる。だから、絶妙なチョイスだなと」
Rei「私もブルースのカヴァーをラジオやライヴで演奏することがあるんですけど、それこそみんなに知られている有名なブルース・ナンバーをやるよりも、自分が〈これは魂を込めて演奏できる!〉という曲をやるほうが、結局はオーディエンスに一番響いたりする。このアルバムも、そういう気持ちの入りようが音から伝わってきたし。曲の知名度云々よりも、その部分こそがブルースの良さを伝えるために大事なんだとわかってるんでしょうね」
――彼らはなんでいま、こういうものを作りたくなったんだと思います?
ショウ「俺は生きている余裕だという気がしました。デヴィッド・ボウイは自分の死を意識して、ああいうアルバム(『★ (Blackstar)』)を最期に作ったわけじゃないですか。それも本当に凄いと思いますが、そういうことではなく、これが最後とはまったく思っていない余裕のようなものがここにある。解散するつもりも全然ないから、こういう作品を思いっきり楽しんで作れるのかなと。もちろん勝手な想像ですけど。もしかしたら、これで最後ということなのかもしれないですし」
――いや、これが最後というつもりはさらさらないでしょう。オリジナルの新作も制作中らしいし。
ショウ「絶対にそうですよね。そっちも楽しみです」
Rei「今年はブルースのレジェンドも、ロックのレジェンドもいっぱい亡くなったじゃないですか。盛り上がっていた時代から一巡して、いまはそういう時期なのかもしれないけど、そのなかでストーンズは本当に生命力を感じますね。さっきショウくんが『Blue & Lonesome』の内ジャケの写真を見ながら〈意外と録音スタジオ広いな〉と言っていたけど、確かにアルバムの音を聴くともっと狭いスタジオで録ったような感じがする。お互いがそこに存在するということのありがたみみたいなものがきっとあって、それがギュッとした音像になって表れてるんじゃないかな」
ショウ「そうだね。ストーンズと同世代のミュージシャンも結構亡くなってますし」
――つまり、〈どっこい俺たちはしぶとく生きてるぜ!〉と言いたいアルバムということですね。
ショウ「そんな気がします」
――今作でのミックのヴォーカルの迫力やリアリティーは、確かにそんな想いがあってこそのものだという気がする。
ショウ「ミックの歌、凄いですね。びっくりしました」
Rei「うん、凄かった」
――それはなぜかと考えたときに、ひとつはやっぱり生と死に対する意識みたいなものが関係しているんだろうなと。これを録音したのは2015年の12月だから、ボウイの死は関係ないだろうけど、ミックの恋人だったデザイナーのローレン・スコットが2014年に自殺していて……。
ショウ「なるほど。それがあった」
――それに、ボビー・キーズ※も2014年に亡くなっている。そういう身近な人の死がいくつかあって、ブルーでロンサムな気持ちになった。そういうモヤモヤした気持ちが続いているときにブルースを歌ってみたら、心情にピタッとフィットして吹っ切れるような気持ちになったのかなと想像してみたんだけど。
※ストーンズのサポート・メンバーとして、数々の好演を遺したサックス奏者
ショウ「確かにそうかもしれない」
Rei「ブルーな感情が伴っている感じはしますよね、ファーストの頃と比べても遥かに。そういう意味で、私は宇多田ヒカルさんの新しいアルバム(『Fantôme』)にちょっと通じるものを感じました。それは声のボトムの豊かさというところで、そこもファーストの頃よりあるだろうし。音域的にもより座った感じの部分に厚みを感じて、それとロウの豊かさが相まって深みのある歌詞に聴こえるのかなと思ったんです」
――それは興味深い指摘ですね。あと、今回のミックは全編に渡ってハーモニカを吹いているけど、そこにも気持ちが入りまくっていて。
Rei「音が泣いてますよね」
ショウ「確かにミックは上手だよね、ハーモニカ。それに、本当はもっと綺麗に上手く吹けるはずなのに、そうしてない」
Rei「コントロールしているのかもしれないね。上手な人だから、もうちょっとここは揺らぎを出そうとか」
ショウ「まさに。上手すぎないところに焦点が合っていて、そこが良かった」
――アルバムを一発録りにしたのも、恐らくそういうことですよね。綺麗に整えたりせず、いかに剥き出しの音を聴かせられるかに注力している。
ショウ「綺麗に録りたいと思えば、いくらでもできますからね。俺らも何度も録り直すとヘンに上手な感じに聴こえてしまうので、なるべく早く終わらせることが多い。何度か繰り返して、上手になってきたら、次はあえて下手くそな演奏にしてみたり」
Rei「私も最新作(2016年作『ORB』)では2~3曲、せーので録ってるんですけど、同じ部屋で顔を突き合わせて録るのと、そうじゃないのとでは全然違いますね。グルーヴの交わり具合が違う」
ショウ「手書きで書いた丸と、コンパスで書いた丸くらい違うよね。その違いは聴く人が聴いたら絶対わかる。やっぱりミュージシャンであるからには手書きで書きたいですし」
Rei「演奏家がそこに集まって、それぞれの周波数で揺れている一音がシンクロして共鳴したときのエキサイトメントって、かなり音に表れますからね。まさにこのアルバムがそうで」
ショウ「その感じが出ているからこそ、唯一無二のブルースになったという気がします。昔のストーンズのままではないし、ストーンズのあとに出てきたホワイト・ブルースのバンドとも違うし、いまのストーンズにはまた独自のブルースがあって、そこが一番凄いところだと思います」
――ちなみに、Reiちゃんの大好きなエリック・クラプトンも2曲に参加してます。特にオーティス・ラッシュ※の“I Can’t Quit You Baby”は、すぐにクラプトンだとわかるギターを弾いていて。
※リード・ギターを前面に打ち出し、50年代にシカゴ・ブルースのサウンドを切り拓いた1935年生まれのギタリスト。いまも現役でライヴ活動している
Rei「弾いてましたね、シグネチャー・サウンド。ウーマン・トーンが泣きまくっていて。しかもストーンズとは長い付き合いだけあって、バンド・メンバーのような交わり方をしているし。エリックもめっちゃブルース好きだから、そこでパッションの共有ができてるんだなと思いました」
――たまたま同じスタジオの隣にいたから共演が実現したらしくて。〈特別ゲストでございます〉というふうに、大フィーチャーしてない感じがまたいいですよね。
ショウ「(“I Can’t Quit You Baby”は)最後の終わり方も、ビシッとしていなくて。ジョン・メイオールのバンド(ブルースブレイカーズ)で弾いていた頃のクラプトンのような印象がありました。クリームでもなく」
――まさしく。
Rei「矢面に立たなくていいから、という部分での自由さが感じられますよね」
ショウ「気負いがない感じするよね。オーティス・ラッシュの曲はジョン・メイオールのバンドでもやっていたから※、これはもしかしたらクラプトンが提案したのかなとも少し思った」
※ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズの67年作『Crusade』に“I Can’t Quit You Baby”が収録されている
――ミックからオーティス・ラッシュは出てこないだろうからね。
ショウ「そう、ギターの人ではないですからね」