韓国、ソウルを拠点に活動するシンガー・ソングライター、映像作家、そして作家とさまざまな顔を持つマルチすぎるアーティスト、イ・ラン。Mikikiでは親友・柴田聡子との対談や折坂悠太との対談で登場してもらっているので、ご存知の読者も多いはず。パワーとチャームにあふれたその人柄については、それらの記事でぜひ知ってほしいところ。
すでに書いたとおり、イ・ランはミュージシャン以外の活動も幅広く行っている。とはいえ、ロングセラーとなっている2016年のアルバム『神様ごっこ』(今年、〈増補新装版〉としてリイシューされた)や熱心なライヴ活動によって、どうしてもここ日本では〈イ・ラン=シンガー・ソングライター〉という印象が強い。そんな彼女の多才ぶりを伝えるのが本書だ。
とはいっても、この「悲しくてかっこいい人」はイ・ランのバイオグラフィーやインタヴュー集などではけっしてない。本書に収められているのは、エッセイとも日記とも、はたまた(彼女が愛用するモレスキンの)手帳に走り書きされたメモともつかない、思考や思索の過程、あるいはその断片たちである。
それはときに〈昼過ぎに起きて、作業部屋へ行って、ツイッターのタイムラインを見て、メールをチェックして、夕飯を食べて……〉という〈イ・ランの一日〉だったりもする(いつ仕事をしているんだろう?)。それはときに〈お金がない〉というぼやきだったり、教員として作曲を子どもたちに教えたときの経験談だったりもする。あるいは〈何も書けない〉という短い告白だったり、韓国や日本の友人たちとの幸福な記憶だったりもする。ページを繰るごとにさまざまな表情や情景を生々しく、彼女らしいユーモアも交えて見せてくれるのだ。
短ければ2ページにも満たず、長くても6ページほどの長さで淡々と、赤裸々に、そして脈絡なく綴られていくイ・ランの思考。そこから彼女の生活や仕事の状況、メンタルの浮き沈みがそのまま伝わってくる。本書を読んでいると、すぐ隣にいるイ・ランがダラダラと〈今日はこんなことがあってさ〉と語っているかのように錯覚する。そしてその読書の感覚は、実に親密で心地良い。友人たちについての記述にかなりの紙幅が割かれていて、それが本当におもしろいのだが、本書を読んでいると、なんだか彼女とものすごく親しい友人になったかのように思えてくるのだ(呉永雅による翻訳も、その内容に寄り添った柔らかい文体で、素晴らしい)。
付録の、イ・ランが描いた漫画もおもしろい(彼女は漫画家でもあるのだ)。これこそ本当に手帳の走り書きといったふうで、ユーモラスかつ、たまに刺々しいテキストと絵が雑然と収められている。パーソナルとパブリックの境界線の、なんと薄いこと。〈こんなに曝け出していいの?〉と思ってしまう本書ほど、イ・ランという人物の魅力を端的に伝えてくれるものはないだろう。音楽家としての姿しか知らないファンこそ必読の一冊。