毛玉結成への道のり
――黒澤さんと露木さんはどのようにして出会ったんですか?
黒澤「大友さんがアマチュアの演奏家を募集していて、誰でも、技術がなくても大丈夫だというので参加したんです」
露木「そのときに一緒に出ていたサックスの人が、僕と黒澤くんと3人でバンドをやろうって言って、やったんだよね。それはフリー・ジャズ・バンドでした」
――黒澤さんはその当時から工具や機械を使っていらっしゃったんですか?
黒澤「ギターの上にノートパソコンを乗っけたりしていましたね。それでキーボードをカタカタすると、ちょっとだけ音が変わる。ギターと繋ぐのではなくて、ノイズを拾うだけで」
露木「わりとそういう人が周りにいっぱいいたんだよね。ジャニス※で〈ギタリスト決起集会〉なんてイヴェントもあって」
黒澤「みんなデレク・ベイリーの話が通じるみたいな」
露木「大島輝之さんがまとめ役でね」
――では、石黒さんは?
石黒健一(ベース)「僕の友達と黒澤さんが一緒にAFTOっていうバンドをやっていたので、それをきっかけに知り合いました。黒澤さんのことは、僕が地方に住んでいた2011年くらいにツイッターでフォローして知っていたんですよ。僕はジャズ経由で実験音楽にハマって、実験音楽に興味がありそうな人をフォローしていら、そのなかにたまたま黒澤さんがいて。その後、上京してから参加したバンドでAFTOと対バンしたんですよね」
――AFTOはどんな音楽性だったんですか?
黒澤「トラックの上でサックスとギターが即興をしていました。ちゃんとした曲っぽいものもありましたけど」
石黒「今井和雄さんの現代音楽を演奏する企画があって、それにAFTOのメンバーの友達と参加したんです。その現代音楽の演奏の企画に黒澤さんも参加していて。その数か月後にベースの人が抜けることになって、なぜか僕に白羽の矢が立って、毛玉に入ることになったんですよね」
露木「とっつきやすかったんだよね、人柄的に」
黒澤「グイグイくる人は苦手なので……。即興のこともわかっているので、話が伝わりやすいかなと」
石黒「毛玉のファーストを聴いてて普通にファンだったので、うれしかったですね」
尖った毛玉から落ち着いた毛玉へ
――そのファーストとセカンド・アルバム『しあわせの魔法』(2016年)のことをいま振り返ってみると、どうですか?
黒澤「ファーストはまだ若いというか、モラトリアムな感じがありますね」
露木「いま聴くと悶々とした、尖った若い感性を感じる(笑)。黒澤くんの成長や生活環境、精神性の変化をアルバムが如実に表しているよね(笑)。3枚目はめちゃくちゃ落ち着いて、トゲとかイカれた部分はなくなってきていますね」
――それは良いことなんですか? それとも悪いこと?
露木「良くも悪くもあるんじゃないですかね。初期のちょっと頭おかしい感じが好きな人もいるはずだから」
黒澤「頭おかしいですか(笑)?」
露木「ちょっと狂ったようなところがあるから(笑)」
――セカンドはいかがでしょう? 〈ヒリヒリ度〉でいうと……(笑)?
黒澤「ほぼなくなりましたね(笑)。楽しい感じで作ろうと思ったので。僕が結婚したこともあって、それも反映されているのか。アルバムの最後に入っている曲が結婚式で演奏した曲なので」
石黒「“ダンス・ダンス・ダンス”ですね」