2012年に結成されたDYGLは、秋山信樹(ヴォーカル/ギター)、下中洋介(ギター)、加地洋太郎(ベース)、嘉本康平(ドラムス)による4人組バンド。彼らが2017年に発表したデビュー・アルバム『Say Goodbye To Memory Den』を筆者はいまも愛聴している。ストロークスやヴューといったバンドを連想させる歯切れの良いギター・サウンドや、そこから生まれる性急なグルーヴは心の奥深くに突き刺さった。さらに“Boys On TV”ではレゲエ調のフレーズを取りいれるなど、多彩な引き出しも際立っていた。
その引き出しは、この度リリースされたセカンド・アルバム『Songs of Innocence & Experience』でも活かされている。秋山自身も語るように、今作はキンクスやリメインズなど60年代のロックが大きな参照元だ。一方で、現在盛り上がりを見せる南ロンドンの音楽シーンへの関心も、影響を与えているという。そんな本作は、過去と現在が交わる豊かなサウンドを鳴り響かせる。
ちなみに、彼らは現在ノースイースト・ロンドンに住み、今作もイギリスで制作された。ならばと今回のメール・インタヴューでは、イギリスの音楽シーンについても訊いている。とはいえ、やはりハイライトは芯のある創作スタンスや想いだろう。〈自分たちの鳴らしたい音〉という根っこを深く持つ者は、どんな音楽をやっているかに関係なく魅力的なのだ。
さまざまな価値観や生き方が共存しているロンドンのシーン
――イギリスで生活していて驚いたことや興味深いことはありましたか?
秋山信樹「いちばんは、人種のるつぼと言える街の雰囲気ですね。日本にいると遠く感じる、アフリカや中東の文化の香りが、ロンドンにいると目の前で体験できておもしろいです。中国人、トルコ人、エチオピア人からフランス人まで、さまざまな人たちが街を歩いている。ロンドンがおもしろい理由は、ここがもはや白人だけの街ではなく、さまざまな文化が一つの街で共存しながら融合しているからだと思います」
加地洋太郎「DIYなイヴェントや場所が多いのも印象深いです。フリーマーケットに個人でやってるショップがズラッと並んでたり、倉庫みたいな場所でライヴ・イヴェントをやってたり。そういうイヴェントを作ったり参加したりする意欲が全体的に高いんだなと感じました。ロンドンは曇りの日が多く、秋冬は日照時間が短くてどんよりした気持ちになることが結構あったので、そうした環境で意識的に活動しようとする文化が培われたんだろうかと想像しました」
――イギリスの音楽シーンはどのように見えます?
加地「ローカル感を強く感じました。同じロンドンのなかでも、音楽性や世代ごとにいろんなコミュニティーが何層にも重なっていて、意外なところで人が繋がっている。いればいるだけ発見がありそうです。音楽性でいうと、ロンドンで〈All Points East〉というフェスを観に行ったとき、ギター・ロックは根強い人気があるなと思いました。でも、年齢層は少し高めで、バンドでもヒップホップの要素を取り入れたような音楽性のほうが、若い人の食いつきが良い印象です」
秋山「グライムなんかも第二世代が始まっていると現地の友人が言っていました。アンビエントや実験音楽もきちんと市民権を得ていて、わりと日本ではアングラな音楽も、イギリスではもう少し身近なものとして根づいていそうな感じがします。最近あらためてポスト・パンク的な若手のバンドが増えていて、その流れはおもしろくなりそうですね。DIYなイヴェントが多く、ステージのあるパブやオープンマイクのイヴェントも数え切れないほどある。音楽に興味を持ちやすく、バンドを始めやすい土壌はずっと変わらないんだろうなと感じます。以前のような、大きなわかりやすいムーヴメントはあまりないのかもしれないですけど、街からは音楽の香りがしてワクワクしますね」
――イギリスからだと、日本の音楽シーンや社会も違って見えたりするんでしょうか?
下中洋介「日本にもいろいろな土地に多種多様な音楽シーンがあるし、大きなシーンの流れに言及することによって、規模は小さくてもクリエイティヴなシーンをインタヴュー上で無視する形になるのは本望じゃないので、言及は難しいです。おもしろいシーンはあると思うけど、自分がリスナーとしてワクワクするものは、正直まだ見つかっていません。日本の社会に関していえば、SNS上での印象なので、深くは見られてないですね。ただ、(日本でも)多くの人が自由に生きられるようになればいいなとは思います。世間の常識や大衆に縛られていると感じる人が、自分の居場所やコミュニティーを見つけられるようになって、かつそのコミュニティーでは自分らしく生きていける多様性のある社会になればいい。ロンドンは広くないけど、人種を含め多種多様な考えが混在している街なので、共存についてよく考えさせられます」
悲しみと喜びを併せ持つ二面性がウィリアム・ブレイクの詩集と結びついた
――『Songs of Innocence & Experience』は、ウィリアム・ブレイクの1794年の詩集「無垢と経験の歌(Songs Of Innocence And Of Experience)」に影響を受けていると聞きました。
秋山「僕は大学でイギリスの詩を専攻していて、その時期に『無垢と経験の歌』を知り、綺麗なタイトルだなと感じたのを覚えています。その頃は、いまほど自分にとって重要な存在になるとは思っておらず、今作のレコーディング中もこの詩集のことは特に考えていませんでした。前作のタイトルは収録曲の歌詞から引用したので、今回は違う形でタイトルをつけたいと思い、すべての作業が完了するまでタイトルを決めなかったんです。『無垢と経験の歌』を思い出したのは、制作が落ちつきタイトルを考えているときでした。そのときあらためて読み直してみて、今作との関連性が多いことに気づいたんです。
前作ではいろんなタイプの感情をあえてポジティヴに落とし込んだ気がしますが、今回は自分のなかで感じている矛盾や怒り、悲しみなどをよりそのままの形で表現したいと考えていました。とはいえ今作のなかにも悲しみや怒りなどのネガティヴとされる感情だけでなく、もちろん喜びや愛などのポジティヴな感情もある。そうした二面性と、ブレイクが二つの作品を一つにまとめて出版した『無垢と経験の歌』にある多義性との間に、繋がりを感じたんです。今作のタイトルは、僕なりにブレイクのオリジナルに対するリスペクトを込め、2回目の〈of〉を抜いて『Songs of Innocence & Experience』に決めました」
――ブレイクはイギリスのバンドにも影響を与えています。リバティーンズのピート・ドハーティーが愛読していたのは有名ですし、ブロック・パーティーのケリー・オケレケは“The Love Within”の影響源にブレイクの「Songs Of Innocence」を挙げています。もしかして、これらのバンドがブレイクに触れるきっかけでもありますか?
秋山「それは知りませんでした! どちらも好きなバンドなので、そのことを知れて嬉しいです。どちらかといえば、今回はU2の『Songs Of Innocence』(2014年)からの影響かと訊かれることが多いです(笑)。ブレイクを知ったのは大学での講義がきっかけで、特にその講師だったポール・ハラー先生の存在は僕にとっては大きいですね。もともと僕は詩そのものに興味はなかったんですが、彼の講義を通して詩の魅力や、詩人としての生き方に惹かれていくようになりました。ハラー先生は(スコットランドの)エディンバラ出身で、80年代には現地の音楽シーンでも活動していたそうです。その後はNMEで働くなど、音楽と関わりあいながら生きてきた人なので、今作用に書いた詩にも意見をもらいました。音楽的にも言葉的にも、信頼できる数少ない僕の友人であり先生です」
今回はスタジオでいろいろな実験をできた
――『Songs of Innocence & Experience』のプロデュースは、テスト・アイシクルズのメンバーだったローリー・アットウェルですよね。彼とはどのようにして出会ったのでしょうか?
秋山「プロデューサーやエンジニアを考えるときは、まず自分たちの好きな作品を録っている人たちをリストアップします。そのうえで、リストに入れた人の他作品や活動場所など諸々を考慮しながら、声をかけていくというやり方です。〈ローリー・アットウェルはどうかな?〉と言いはじめたのは、確か加地くんでしたね」
加地「シングルの『Bad Kicks/Hard To Love」(2018年)をレコーディングするとき、僕らから声をかける形で会いました。ギターを格好良く録ってくれる人がいいなと思っていて、一時期聴いていたキッド・ウェイヴというバンドのギターの音を思い出し、そのバンドをプロデュースしたことがあるローリーはどうかな?と提案しました。そこから彼が関わった作品を遡って、ヴェロニカ・フォールズやチャイルドフッドなど、自分たちが聴いてきたバンドと仕事をしていることにもシンパシーを感じて、お願いしました」
――前作のプロデュースはストロークスのメンバーとしても知られるアルバート・ハモンドJr.でした。プロデューサーとしてのアルバートは、シンプルさを大事にする人だと思いますが、ローリーはどのようなタイプですか?
下中「アルバートは曲のコンポジションにフォーカスし、曲の構成自体に仕掛けを作ることに重きを置いていたように思います。ヴァース、プレ・コーラス、コーラスなど曲のパートを並び替え、その曲のそれぞれのパートが機能するようにしてから、シンプルな古き良き音像をいまの技術で作っていく作業を一緒にしたのが印象的でした。
ローリーとの仕事は、もっとプロダクションに目を向けるやり方だったと思います。前回のレコーディングは9日間で10曲以上を録ったので、実験的要素はあまりなかった。でも、今回のレコーディングでは、ローリーと一緒にシンセサイザーをいじったり、ギターのノイズを出したりと、〈とりあえずやってみよう〉という試みが多かったのが非常に楽しかったです。ローリーが選んだスタジオは、パーカッションから鍵盤、エコー、エフェクト・ペダルなどの機材も豊富だったので、とてもワクワクしながら作業ができました。そこの部分の満足度は高かったですね。
そういえば一度、ローリーが体調を崩したときに、ステレオラブでドラムを叩いているアンディ・ラムセイが代打でエンジニアをしてくれたんです。レコーディングをしていたスタジオのオーナーがアンディだったので。彼はビートの違和感のあるところや、それぞれの楽器のアンサンブルを直してくれました。ローリーとはまた違ったアプローチだったので、それもいい経験になりました」