INTERVIEW

THE YELLOW MONKEYの30年――怒涛の2019年を駆け抜けた4人が語る、過去・現在・未来

THE YELLOW MONKEY『30th Anniversary『9999+1』-GRATEFUL SPOONFUL EDITION-』

待望の再集結から3年。オリジナル・アルバムの発表、アリーナ・ツアーの開催と怒涛の2019年を駆け抜けた4人が語る、過去・現在・未来とは……

 今年4月に再集結後初となるアルバム『9999』を発表、同作を携えた全国15か所27公演のアリーナ・ツアーと、〈現在進行形のバンド〉として怒涛の勢いで2019年を駆け抜けたTHE YELLOW MONKEYが、現メンバーで初めてライヴを行った日から30年目となる12月28日のナゴヤドームを皮切りに、キャリア初となる三大ドーム・ツアーを開催する。それに先駆けた配信曲“DANDAN”に続き、『9999』の完結版となる『30th Anniversary『9999+1』-GRATEFUL SPOONFUL EDITION-』も到着予定だ。いよいよ30周年へのカウントダウンが始まるなか、〈20世紀のTHE YELLOW MONKEY〉も成し得なかった領域へと足を踏み入れてゆく4人に、波乱万丈の30年間を振り返ってもらった。

THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary『9999+1』-GRATEFUL SPOONFUL EDITION- Atlantic Japan(2019)

 

再集結できるという確信

――『9999』を引っ提げたツアー〈THE YELLOW MON­KEY SUPER JAPAN TOUR 2019 -GRATEFUL SPO­ON­­FUL-〉が無事に終わりまして。いまはどんな心境ですか? ホッとしているのか、〈いや、もう1周ぐらいいける〉という気分なのか。

廣瀬洋一(ベース、以下:ヒーセ)「あー、全然まだいける」

吉井和哉(ヴォーカル/ギター)「もっとやりたかったよね。本当に楽しかったんですよ。このままずっとツアーばっかりやって生活したいぐらい」

――そこまで心が満たされた理由は何でしょう?

ヒーセ「やっぱり僕らはライヴ・バンドなんですよね。再集結後、初めて新譜を引っ提げたツアーだったっていうのもあるんだけど。それよりも、ありがたいことにお客さんがたくさん集まってくれて、大歓声のなかで、お客さんの目の前でライヴをやれることに喜びを感じるんです」

菊地英昭(ギター、以下:エマ)「それに尽きますね。しかも自分の好きなことで、それができてる充実感もあるから。もし、マイナスなことがあったとしても、それを上回るぐらいに刺激的で、幸せな時間がたくさんあるから、全部プラスに変えられるんですよね」

菊地英二(ドラムス、以下:アニー)「後々まで残っていくのは音源だけど、ライヴをやることでアイデンティティーを保ってる部分が大きいんですよ。自分がミュージシャンになりたかったのは、その衝動がメインだった部分もあるんですよね。だからずっとライヴをやっていたいんです」

――今回は〈♦〉〈♥〉〈♣〉〈♠〉というトランプのマークを冠して、4パターンのまったく違うセットリストと演出を用意した挑戦的なツアーでもありましたけど。かなり新鮮な気持ちで回れたみたいですね。

ヒーセ「そう。〈♥〉と〈♦〉が終わった頃に、いい具合に〈♣〉に入っていくからリセットされちゃうんです」

吉井「良い意味で達成感のないツアーだったよね」

全員「あはははは」

――それぞれ、〈♦〉は〈煌びやか〉、〈♥〉は〈愛〉、〈♣〉は〈ナチュラル〉、〈♠〉は〈攻撃〉というテーマもあったなかで、個人的に好みの公演はありましたか?

エマ「好き嫌いはないけど、〈♦〉がいちばん緊張したかな。聴かせる曲が多いんですよ。〈♥〉は序盤から動いちゃうから気持ちも落ち着くけど、〈♦〉は同じ場所でずーっと演奏してるから」

アニー「確かに。いちばん体力を使うのは〈♠〉だと思ってたけど、データを見ると〈♦〉と〈♣〉なんですよね」

――えっと……データというのは?

ヒーセ「心拍数を測るやつを身体に着けてるんですよ」

アニー「消費カロリーとかも出るやつなんですけど、それで見ると、やっぱりそれぞれのマークを初めてやる日は心拍数が高いんです。緊張度が高いから。そのなかで、何回やってもスリリングなんだっていうことが数字に表れてたのが〈♦〉だったんです。身体は正直ですね」

――ヒーセさんはどうですか?

ヒーセ「どれも好きなんですけど、変化球で言うと、〈♣〉がおもしろかったですね。“Love Homme”っていうアルバムのオープニングではない曲から始まって、2曲目ですでに“BURN”があり。あの感じは他のセットリストにはなかったし、ヴァリエーションを広げる役割もありましたね」

吉井「僕は、〈♥〉と〈♦〉で、スロープの花道があったのが良かったです」

エマ「ライヴ中、俺のところに〈エマそっくりなやつがいる!〉って言いに来たよね」

吉井「そうそう。ああいうアリーナの使い方ができた〈♥〉と〈♦〉も好きだったし、ライヴハウスっぽい〈♣〉とか〈♠〉も好きだったし。セットリストだけじゃなくて、会場のセットも違うから、それぞれで楽しみ方が変わりましたね」

――そんなアルバム・ツアーを終えて、いよいよ年末は30周年モードに突入していくわけですけど、バンドが30年続いたという感慨はありますか?

吉井「解散してたから15年間やってないけど……でも、やってなかったのが良かったのかもね」

アニー「本当にそう思うよね」

吉井「我々は絆が強かったから、絶対に集まれるっていう確信もあったし。これだけ仲が良いから、再集結も実現したんだと思うんです。それが我々に課せられた使命だと思いますね。まだ4人が集まってやるべき音楽があるんだなっていう。だから、みんなそうだと思うけど、もはや自分のロック観とかでバンドをやってる人はいないと思う。もっと別の次元で音楽をやってるから」

ヒーセ「感謝とかね」

吉井「そうそう、もう感謝の域。感謝のロックンロール」

全員「あはははは!」

――それは何に対する感謝ですか?

エマ「この巡り合わせもそうだし、こうやって生きてこられたことに感謝だし、周りの人たちに支えられてきたことにも感謝だし、健康であることにも感謝だし」

吉井「健康食品のCMみたいなことを言ってる」

エマ「(笑)。でも、ひとつでも欠けてたら、いまバンドをやってないですからね」

アニー「バンド自体も自分たちだけのものではない感覚がありますよね。支えてくれる人たちのものでもあるし、そこにTHE YELLOW MONKEYっていう場所が出来ちゃってる。それはもう自分たちで何とかできるものではないから、その場所にいられることにも感謝ですよね。20世紀のTHE YELLOW MONKEYは、もっとエゴを全開に出してましたから」

吉井「わがまま放題でしたね、特に僕は。いろいろな人に迷惑をかけてた」

ヒーセ「いまは支えてくれる周りのスタッフの意見にも耳を傾けて、そこに自分たちの意思も乗せて活動してるから、30周年を迎えるのにベストな状況にあるんだなって実感してます」

 

〈ちゃんと音楽ができている〉という実感

――30年を振り返るせっかくの機会なので、結成初期のことも訊いてみたいんですけど、当時は〈絶対このバンドで売れるんだ!〉っていう想いが強かったですか?

吉井「もちろんそうですね」

アニー「バンドに命を懸けるような世代だからね(笑)」

エマ「それぞれ前のバンドで失敗してたし」

吉井「ラスト・チャンスみたいな感じだったんですよ」

アニー「特にヒーセは言ってたよね。〈30歳までに成功しなかったら、俺は辞める〉って」

ヒーセ「僕は一番年上だし、THE YELLOW MONKEYを結成したときは25歳を過ぎてたから。好きなものを突き詰めて、それでもデビューしたり、30歳までに形にならなかったら、あとはもう趣味でやろうと思ってたんです」

吉井「ちょっとでも邪魔しよう人がいたら、大変ですよ。何も言ってないのに、〈なんだこの野郎!〉みたいな」

アニー「すごい警戒してた」

ヒーセ「あははははは!」

――その崖っぷち感がバンドの推進力だったんですね。

吉井「ヒーセさんが何とか成功するように、 ってね(笑)」

ヒーセ「自分だって、ダメだったら田舎に帰るって言ってたじゃん」

吉井「言ってた(笑)? でも、それぐらいの気持ちじゃないとダメだったんですよ」

――1992年にメジャー・デビューしたあとも、すぐに売れたわけではなかったですよね。

ヒーセ「同世代にはものすごい勢いでデビューしたバンドもいましたけどね。そもそも僕らはデビューするにあたって、どこかのホールまで埋めたっていう実績もなかったし、鳴り物入りでデビューしたわけじゃなかったんです」

吉井「喋りながら、熱くなってる」

ヒーセ「(笑)。最初は評価されてなかった。だけど、メンバーはやる気満々で突き進んでたし、少しずつライヴの動員も上がってたのが、助けにはなってましたね」

アニー「アイドル的にワーキャー言うようなお客さんだけじゃなくて、音楽を楽しみにしてくれてたのを感じてたから、続けていける自信はあったんです。変な曲ばかり作ってましたけど(笑)」

――その作風に変化が出るのが、よりポップに開けた4枚目の『smile』だったと思います。そこから『FOUR SEASONS』『SICKS』にかけて、アリーナからスタジアムへと、バンドが熱狂の渦のなかにいる時期に突入していくわけですけど。

ヒーセ「あの頃は本当に忙しかった。『smile』と同じ年に『FOUR SEASONS』を出したから、1年で2枚アルバムを出したんですよ。その1995年に初めて日本武道館もやってますし」

――そこで、ずっと自分たちが望んでいた景色が見えてきた達成感はあったんですか?

ヒーセ「うん、ありましたね」

アニー「特に、武道館に辿り着いたのは嬉しかったですね」

ヒーセ「しかも、即ソールドアウトで満員にできたんですよ。あそこで自分の欲求が満たされたところはあったから、次の目標をめざせるようになりましたね」

――ひとつ欲求が満たされて、次にバンドの原動力になったのは何だったんですか?

ヒーセ「なんだろう……自信かなあ」

エマ「ああ、そうだね。俺たちは見てくれがとんでもなく浮き世離れしてたんですよ。それって自信の表れなんですよね。時代に沿うとか、流行りものを聴くとか、そういうことをしないぐらい自信があったから、とにかく自分たちのやりたいことをやるっていうことでした」

吉井「当時、同世代のバンドと地方のラジオ局で会ったときに〈みんなTHE YELLOW MONKEY、THE YELLOW MONKEYって言いやがって〉って言われたのが嬉しかった。ふざけてですけど」

――周りのバンドから嫉妬される存在だったんですね。

吉井「そういう時期でしたね」

――それが、1998年に『PUNCH DRUNKARD』を出したあと、113本のツアーを回るなかで、バンドが疲弊していくわけですよね。

吉井「詰め込みすぎましたね」

アニー「いろいろと出ていくことで自分を擦り減らすことになるなんて、当時はわからなかったんですよね。僕なんか、最初は113本もツアーできることを喜んでたんです」

吉井「前人未踏のことをやるのが好きだからね。バンドが日本でビッグになったっていうのを少なからず感じているなかで、次は何をやったらすごいことになるかって考えたとき、海外も意識してたしね。海外のバンドはものすごい数のツアーをやってるから、僕らも日本中でライヴをやろうと思ったんだけど。それが異常だった。90年代って、音楽的にも高度成長の延長だったと思ってるんですよ。だから、海外に追いつきたいっていう気持ちはあったけど、なかなか追いつけなかったんです。僕はそれを〈フジロック〉で感じたんですよね。午前中の早い時間に出てたら違ったかもしれないけど、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとレッド・ホット・チリ・ペッパーズに挟まれるっていう。あれ(両バンドとの差)は、あきらかに高度成長時代の差だった。いま振り返ると、それをすごく思いますね」

――そのときはもうバンドに活動休止以外の選択肢はなかったんですね。

吉井「いろいろな意味で疲れてたんでしょうね」

――そこから間もなく解散。個々のソロ活動を経て、いまや逸話にもなっている、2013年に吉井さんがメンバーに出した〈僕ともう一度バンドをやってくれませんか〉メールから、ふたたびバンドが始動したわけですけど。いまの自分たちは再始動を決めたときに望んでいた形になっていると思いますか?

吉井「なってるね。〈ちょっと惜しいな〉とも思ってない」

ヒーセ「正直、ここまで来られると思わなかった。もっと〈再結成の懐かしいバンド〉ぐらいの見方をされるのかと思ったけど、ちゃんと現役のバンドとして見てもらってる実感はありますね」

アニー「特に『9999』を出してから新しいTHE YELLOW MONKEYに更新されてることを実感できてて。今年のほうが去年より、嬉しさが増してるんです」

エマ「ちゃんと音楽できてるなって気持ちがありますね」

 

〈シーズン3〉へ踏み出すための集大成

――いま話してくださったような、〈いろいろ経たけど、いまは晴れやかな気持ちでバンドをやれている〉という喜びは、最新配信曲“DANDAN”に詰め込まれてますよね。

吉井「完全に30周年をお祝いする気持ちで作った曲ですね。この曲は、幅広い人たちに聴いてもらえるように、THE YELLOW MONKEYにしては過激な歌詞がないんです。子どもにも歌ってほしいなと思いますね。いつもは〈子どもに聴かせづらい〉って顔をされるんですけど(笑)」

ヒーセ「あるね」

吉井「あとは、メンバーの得意技が光ってる曲だと思います。〈往年の〉というか、ブリティッシュなグラム・ロックなんだけど、ずっと意識してるサンプリング感が成功したなと思ってて。現代ともちゃんと波長がリンクしてるんですよ」

エマ「けっこう新しいこともやってるけど、懐かしさを感じますよね」

アニー「アマチュア時代とかインディーズの頃にあってもおかしくないけど、ちゃんと新しいこともやってる。そこのマッチングがこの曲はおもしろいんですよね」

吉井「寝てても弾けるような曲でしょ?」

エマ「いや(笑)、この空気感をもう一回できるのは嬉しいなと思った」

吉井「再集結以降こんな曲はないし、『PUNCH DRUN­KARD』とか『8』の頃にもないから新鮮だし、30周年に相応しいよね。もっと前にやりたかったけど、手をつけなかったタイプの曲ですね」

ヒーセ「いまがいいタイミングだったのかもしれないね」

――〈周年セールを伝える派手な着物のチンドン屋さん〉とか、まさにバンドのことを歌ってるフレーズもいいですけど、歌詞はどんなふうに膨らませたんですか?

吉井「この曲は、みんなで狭いスタジオで曲を作りながら完成させていったんです。ほとんどバカ話してたんですよ。そこで、ヒーセが小さいときに海で溺れそうになった話をしててね」

ヒーセ「小学校低学年ぐらいですかね。浜に向かって泳いでるのに、全然戻れなくなっちゃったんです」

吉井「そしたら、エマが〈それは離岸流だ〉って言うんですよ。それで〈何それ?〉って調べたら、沖に戻る強い波だっていうので、歌詞に入れてみたりね」

――そうだったんですか。〈離岸流〉なんて、よく歌詞として出てきたなと思いました。

吉井「たぶん〈離岸流〉を歌詞に入れたロック・バンドは初めてだと思います(笑)」

――さらに、12月4日には『9999』の完結版となる『30th Anniversary『9999+1』-GRATEFUL SPOONFUL EDITION-』もリリースされます。

ヒーセ「これは〈GRATEFUL SPOONFUL〉を通過してって意味が大きいんじゃないですかね。SEとして使った“ボナペティ”が入ってたり、ライヴDVDも付いてるので」

吉井「あと、豪華ブックレットもつきますね。そこに我々の激闘が入ってます」

――“ボナペティ”は、アルバム『9999』のときに一緒に作ってたんですか?

吉井「そうです。LAのレコーディングがタイトだったから、この曲はあってもなくてもいいなぐらいの感じで、最終日に録ったんですよ。〈ナ~ナナ~〉って歌える曲が作りたくて。あとはクラップを録っちゃえば完成っていうところまでは録り終えて、最後は日本で仕上げました」

――“ダレカニ”と“eien”のデモ音源も収録されますね。

吉井「これもアルバムに入れるつもりだったけど、全体のバランスのなかで没になった曲ですね。“eien”は、2015年にTHE YELLOW MONKEYが再集結して初めてレコーディング・スタジオに入ったときに、エマが出した曲です。(再集結の幕開けになった)“ALRIGHT”のときの曲だから、いま入れるべきだよねっていうことですね。音から当時の空気感も伝わると思います」

エマ「あのときは、全部で4曲ぐらいあってね。そのなかの2曲が“ALRIGHT”と“eien”なので、あと2曲あるんですよ。それもいつか聴いてもらえると思うし」

ヒーセ「ちゃんと完成させてあげたい曲だよね」

吉井「次のアルバムには入るんじゃないか、と思いますね」

――楽しみにしてます。年末からは30周年記念のドーム・ツアーが始まります。〈シーズン2の集大成〉と銘打ってますが、どんな内容になりそうですか?

吉井「THE YELLOW MONKEYの〈シーズン2〉は悲しい解散があり、もう1回バンドとして完成させたいっていうショウだったんですよ。でも、〈シーズン3〉で同じことはやらないし、また完全に違う作品を作らなきゃいけない。そのための集大成ですよね」

エマ「この〈シーズン2〉の集大成には、解散前のTHE YELLOW MONKEYが含まれてるんですよ。本当に30周年の集大成になるわけだから、がっつり命を懸けようかなと思います」

吉井「高いギターをバキバキ折っちゃう?」

エマ「それはやりません(笑)」

――(笑)。〈GRATEFUL SPOONFUL〉と同じように、今回もセットリストが4種類だそうですね。

ヒーセ「アリーナが良かったのでね。まだ再集結後に披露してない曲もあるから、そういうのも盛り込んで。アリーナの4つのセットリストに負けないようなものにできたらいいなと思います」

吉井「もう僕らはメニューを知ってますけど、実現したら……ね?」

エマ「ある意味、4本でコンプリートかもしれないですね」

アニー「『9999』を出して、ツアーを回って、新たに身に着けた武器を発揮したい衝動に駆られている時期でもあるので。次に向かっている攻撃的な部分や、新しいヴェクトルも見せたいですね」

 

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