Photo by Makoto Ebi

前世紀末の結成時から2007年までの活動期間、3年の休止を経て2010年に復活して以降、人員の出入りこそあれ、リズムと音響のマッスをダンス空間に配置するための基本形に異同はない。ここに人的、形式的、社会的付加要素を重畳し現行の音楽性はなりたっている。ジオロジカルかつアルケオロジカルにも換喩可能な輻輳するサウンドは舞台上でくりひろげているリハーサルからももはや不動の印象だが、地方公演での好感触を手に迎える楽日の演奏にはツアーをのりきった達成感以上に、およそ1ヶ月のあいだに充足していくアンサンブルへの信頼感がうがえる、などと書くといかにも贔屓目だが、おそらくアンコールの演目であろう“Mirror Balls”の、客演こみの演奏からにじみだすグルーヴは本番への期待をいやがうえにも高めるものだった。

 

およそ1時間後、19時を数分すぎて暗転した舞台に登場した菊地成孔は数時間前、北朝鮮がミサイルを発射したことをやにわに告げる。のちに報道で核にしたところによれば、28日17時北朝鮮が発射した弾道ミサイル2発が日本のEZZ(排他的経済水域)外部の日本海岸に落下したという。DC/PRGがリハーサルに臨んでいた時間帯の出来事を菊地成孔はこれこそかの国からわれわれへの祝砲だという。ふりかえると、1999年の結成以来、同時多発テロ、ブッシュによる米国のイラク侵攻、戦争、駐留を経て、2009~2010年時のDCPRG再結成時のオバマによる撤退をひとつのさかいに、2010年代において〈例外〉から〈常態〉の別称にさまがわりした〈戦争〉を、象徴的内燃機関として駆動する楽団にとって北朝鮮のふるまいはおあつらえむきの象徴だったにちがいない。菊地成孔は興奮を隠せない様子で、きょうのステージは3時間におよぶであろうことを宣すると満員のフロアから歓声があがり、つづけざまにはじまった“構造I”のイントロのベースラインに私の隣の妙齢の女性が嬌声をあげる。とたんにフロアは蠕動しはじめ、視界の全方に人の波のうねりができる。

Chikashi ICHINOSE@skyworks Inc
 

何度も目にしてきた光景だが、この日は感慨もひとしおだった。20年の時間はそれだけの重みをもつのかもしれぬ。むろん私のそのような感傷にステージ上の面々は無縁である。津上、高井の2サックスの絡みから大村のギターへ“構造I”のソロはまわり、近藤のベースラインは深々と空間を攪拌しつづける。坪口、小田の2台の鍵盤はそれぞれが生え抜きと新世代を体現し、またそれぞれの集団内での音楽的、性格的な立ち位置がそのままDC/PRGの20年の変遷を物語っている。もはや彼らをマイルス云々で語り尽くすことは不可能だが、さりとてその要素が払底したわけではない。類家のワウペダルのソロも津上のソプラノも。とはいえ鬼の首をとるような記号的な解釈は彼らの音楽にとってますます無意味なものになりつつある。むしろ記号と記号、イメージとイメージの差異や鏡像関係をもとに生成変化する集合体――そのような妄想めいた見立てさえ、フロアを眺める私の心中に去来させる濃縮した関係性の束を、彼らの演奏は潜在するかにみえる。