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ヴォーカルの音量は大きいほうがいい?

小林「一方で越雲くんは、とにかく自分を変えたいとも思っていた。それも破壊や逃避以外のやり方で、俺は変わりたいんだと。彼のそういう課題と向き合っていくなかで、〈だったらヴォーカルのリヴァーブを減らそう。歌をもっと前面に出そう〉みたいな流れになったんです。〈ユーミンはもっと前面にだしてるぞ!〉って(笑)。

そういう、裸のまま外に飛び出していく勇気みたいなものを見つめ直すってことが、今回はいちばん重要だったんじゃないかな。根本はそういうところだよね?」

越雲「そうですね。ヴォーカルの話でいうと、Luby Sparksはヴォーカリストが代わったじゃないですか。でも、それこそNatsukiくんは手法で音楽を作る人だから、ヴォーカルが交代してもバンド自体はそこまで変わらないんじゃないかな、と僕は思ってたんです。でも、ヴォーカルがErikaさんになってからのLuby Sparksは、それ以前とはちょっと違う気がしてて」

Natsuki「pollyの新作とほぼ同時期に僕らも“Somewhere”という新曲を出したんですけど、あの曲は最初から〈歌モノを作ろう〉という意識で作ってたんです。というのも、これまで自分が参照してきた80年代の音楽とかをあらためて聴いてたら、じつはヴォーカルの音量がめちゃくちゃデカかったことにふと気づいて。

いままで自分はトラックばかりを聴いてたけど、じつはこれってメロディーで成り立ってる曲だったんだな、と。そういう発見もあって、今回はヴォーカル以外のパートをバッキング・トラックと捉えて、ギター・リフがメロディーとぶつからないってことをかなり意識してたんです」

Luby Sparksの2019年のシングル“Somewhere”

――“Somewhere”のミックスはヤックのマックス・ブルームが担当されてるんですよね。そしてこの曲はコクトー・ツインズのロビン・ガスリーによるリミックス・ヴァージョンも制作されています。

Natsuki「ロビン・ガスリーにリミックスをお願いしたら、オリジナル版よりもヴォーカルの音量がめちゃくちゃデカくなってて。〈ああ、こういうことか〉と。いままで僕は音の質感とかリズムとかばかり気にしてたけど、メロディーって大事なんだなって。まあ、当たり前なんですけど(笑)。

それこそこの前にpollyとライブで共演したときも思ったんです。ビート以上に歌の強さを感じるし、歌詞もいままでのpollyよりもグッとクリアに聴こえてきた。それこそ1年前に共演した時とはだいぶ印象が違うなって」

Luby Sparksの2019年のシングル“Somewhere (Robin Guthrie Remix)”

小林「この話って、〈言語をキャッチできるかどうか〉ってことに尽きるんだと思う。要は第一言語って、他の言語よりもヴォリュームがデカく感じるんですよ。つまり、日本語だと僕らは言葉の意味をキャッチできるから、キャッチできない音楽よりも歌がうるさく聞こえるんです。

で、僕らバンドマンは海外の音楽を参照しているから、相対的に歌の情報量を少なくしようとして、つい音量を下げたくなるんですよね。でも、ちゃんとヴォリュームを確認してみると、じつは海外の音楽もヴォーカルが相当デカかったりするっていう」

Natsuki「まさに。それこそ僕らはこの先も英語詞でやっていくつもりなので、英語の歌を聴くときも、それが第一言語くらいの感覚で歌詞とメロディーが入ってくるように普段から耳を鍛えてて。僕は第一言語が英語のひとに聴いてもらっても、歌詞の意味がちゃんと入ってくるような曲が作りたいんです」

――歌の重要性にあらためて気づいたことで、Natsukiさんのヴォーカル・ディレクションにもおのずと変化が出たのでは?

Natsuki「そうですね。声をギターに例えると、前ヴォーカルのEmilyがストラトだとしたらいまのErikaはテレキャスみたいな、やっぱりそれくらいの違いはあるんです。だったら無理やり前のLuby Sparksっぽくさせる必要はないし、それが“Somewhere”では顕著に表れたと思います。

なんていうか、U2みたいなことがやりたかったんですよね。後ろでいろんな音が鳴ってるんだけど、最終的には歌がぜんぶ持ってく感じ。あれがやりたいなって」

越雲「自分がシンガー・ソングライターだとしたら、これまでの僕は〈シング〉よりも〈ソングライティング〉に意識が寄ってたと思うんです。でも、小林さんとコミュニケーションをとっていくなかでそこに疑問を抱いたというか、じつは歌でいちばん感動してるのが自分だってことに気付かされたんですよね。

これってダサい言い方かもしれないけど、やっぱり自分の歌が聴かれないのはイヤだし、そこで自分がボロを出すのを恐れていたら、それこそダサいなって。要はひとりのヴォーカリストとして評価されたくなってきたんです」