2020.03.10

レゲトンやラテン・トラップといったラテン・アーバン・ミュージックが現在のポップ・シーンにおいて無視できない存在になっていることは、連載〈Pop Style Now〉でお伝えしているとおり。2000年代のブームが落ち着いた後、レゲトンが2010年代のポップ・シーンに返り咲いたきっかけは、プエルトリコのルイス・フォンシによるヒット・ソング“Despacito”(2017年)が大きいだろう。そして、ラテン・トラップというジャンル/スタイルが広く知られるようになったきっかけのひとつには、おそらくカーディ・B“I Like It”(2018年)のヒットがある。

“I Like It”が成功を収めた2018年は、まさにラテン・アーバンが欧米シーンを席巻した年。Pitchforkには〈2018年、ウルバーノ(ラテン・アーバン)は臨界質量に。正常化することは可能か?〉なんてコラムまで載った。ブーガルーの有名曲、ペテ・ロドリゲスの“I Like It Like That”(67年)を引用した“I Like It”には、“Mi Gente”(2017年)のヒットで知られるコロンビアのレゲトン・スター、J・バルヴィン(J Balvin)が参加していた。そしてもう一人、プエルトリコ人の若者がフィーチャーされている。彼こそがバッド・バニーだ。

94年生まれのバッド・バニーことベニート・アントニオ・マルティネス・オカシオ(Benito Antonio Martínez Ocasio)は、スーパーマーケットで働きながらSoundCloudで楽曲を発表しはじめたという(いまのスターぶりから、スーパーの店員姿は想像できない)。その後“Diles”(2016年)を足掛かりに、“Soy Peor”(2016年)“Tu No Metes Cabra”(2017年)などのヒット・シングルで知名度を上げ、2018年には前述の“I Like It”やラテン・アーバン界のスターが集った“Te Boté (Remix)”(超重要曲!)で世界的な注目を集める。同年のデビュー・アルバム『X 100PRE』、そしてドレイクとコラボレーションしたシングル“Mia”は、彼の立ち位置を決定的なものにした。

一方、彼の先輩と言っていいJ・バルヴィンとは翌2019年にコラボ・アルバム『OASIS』を制作。それ以外にもプエルトリコ系であるジェニファー・ロペスとの“Te Geste”(2018年)など、彼の華々しいキャリアを語るうえでの重要曲はいくつもある(今年2月、J.Loも出演したスーパー・ボウルのハーフタイム・ショーでシャキーラと共にパフォーマンスをしたことも記憶に新しい)。

そんなラテン・アーバン界の若きスター、バッド・バニーによるセカンド・アルバムが、この『YHLQMDLG』だ。これが実に素晴らしい。Pitchforkから〈Best New Music〉として高く評価されるなど(純粋なラテン・アーバン作品が〈Best New Music〉に選ばれたのは初めてでは?)、すでに多くの賛辞が寄せられている。

1曲目は、〈イパネマの娘〉のメロディーを可愛らしい音色のシンセサイザーが単音で奏でる“Si Veo A Tu Mamá”。本作のおもしろいところは、2曲目“La Difícil”以降のほとんどの曲がレゲトンである点だ。バッド・バニーはラテン・トラップのスタイルでトップに上り詰めたシンガー/ラッパーであり、前作『X 100PRE』は数曲を除いてほぼ全曲がトラップだった。それが『YHLQMDLG』ではひたすらレゲトンを突き詰めており、トラップは15曲目“25/8”以降の後半5曲に固められている。こうした構成や音楽性は、本作の要となっている。

NPRのレビューを読むと、このレゲトンへの挑戦/回帰は彼のルーツに由来するものだ、と書かれている。少年時代のバッド・バニーがプエルトリコの伝統的なガレージ・パーティー〈marquesinas〉で聴いた2000年代の輝かしきレゲトン・ヒッツ――本作はそういった音楽に敬意を表したものであり、だからこそダディー・ヤンキーやニェンゴ・フロウ(Ñengo Flow)ら、レゲトンの兄貴分たちがフィーチャーされているのだ、と。ニェンゴ・フロウのツイートを根拠とするこの分析には得心がいく。また、ほぼ全編レゲトンだった『OASIS』での経験も、本作には活かされているはず。

スペイン語がわからないのでさらにNPRの批評に頼ると、バッド・バニーは本作のクロージングを飾る“<3”において、なんと引退を表明しているという。プエルトリコ人の元プロ・ボクサー、ミゲール・コットを引き合いに出しながら、2020年内にもう一作アルバムを発表したのち、表舞台から立ち去る、と彼は歌う。オールドスクールなレゲトン・クラシックを志向したパーティー・アルバムである反面、スターとしての苦悩が吐露されている作品でもあるのだ。“Vete”や同世代のパナマ人シンガー、セッシュ(Sech)と歌った“Ignorantes”などのシングルには切なげなサウダージが漂っており、得も言われぬ孤独感が横溢している。

本作のタイトルは、〈Yo Hago Lo Que Me Da La Gana(俺はやりたいことをやる)〉の頭文字から取られている。ミュージシャンの引退宣言はクリシェであるので、彼の進退がどうなるかはわからない。しかし『YHLQMDLG』は確かに、いまのバッド・バニーの〈やりたいこと〉に振り切った作品である。ここに収められているのは懐かしくも新しい、タイムレスなレゲトンの数々であり、バッド・バニーは色気があふれる歌でそのビートを乗りこなしている(素晴らしい“Callaita”などのシングルが収録されていないのは残念だが)。引退と言わずに、これからもラテン・アーバンの最前線を走り続けてほしい――そう考えるのは、ファンの身勝手な願いだろうか。これほどの充実作を耳にしてしまっては、〈その先〉を思わずにはいられない。

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