ASKAのニューアルバム『Breath of Bless』 のリリースを記念して、タワーレコードではフリーマガジン〈TOWER PLUS+〉の臨時増刊号〈別冊TOWER PLUS+〉を本日より配布中! 中面ではASKAと西寺郷太の特別対談を掲載しています。ここでは、誌面に収まりきらなかった対談の完全版原稿を特別掲載いたします。
※タワーレコードオンラインは除きます。※別冊TOWER PLUS+は無くなり次第終了となります。※天候や交通事情により配布が遅れる場合がございます。

ASKA Breath of Bless DADA label(2020)

 

1979年のデビュー以来、日本の音楽シーンを築いてきた立役者ASKAと、「ASKAさんをソングライター、シンガーとして尊敬している」とかねてから公言し、CHAGE and ASKAのカヴァー曲も発表したNONA REEVESの西寺郷太とのスペシャル対談が実現! 西寺郷太が感じる音楽的魔力の秘密をASKAに直撃ロングインタビュー。

プリンスの“パープル・レイン”はド頭から掴まれた。プリンスには圧倒されるよね

西寺郷太「今年の2月に、CHAGE and ASKAの『恋人はワイン色』をカヴァーした7インチを発売させていただきました。井の頭レンジャーズとコラボレーションしまして。今回そのリリースがきっかけでASKAさんの対談相手として僕に声がかかったと思うんですが。ASKAさんと直接、音楽の話が出来る日を心待ちにしてました……」

西寺郷太と井の頭レンジャーズ『Money Don't Matter 2 Night / 恋人はワイン色』のダイジェスト動画。“恋人はワイン色”のダイジェストは0:43ごろから
 

ASKA「ありがとう」

西寺「2017年にリリースした僕らのアルバム『MISSION』の中に“NOVEMBER”という曲があって、これは、作曲はギターの奥田(健介)で。作詞は僕が担当でした。奥田がデモを持ってきたときに、凄い曲だなと。で、〈作詞を書く際に参考になるのは、ASKAさんの世界だな〉と直感しました。それまでのNONA REEVESより更に本格的なAORで、大人の恋愛の曲、女性目線の歌詞を僕が歌うのはどうかなと。ASKAさんの歌詞を研究して作った“NOVEMBER”は、今ライブで指折りに人気の曲なんです。今回リリースした7インチは両A面で、プリンスの曲もカヴァーしているんですが、プリンス・サイドは紫色のジャケットで、CHAGE and ASKA サイドはタイトルに合わせてワイン色にして。因みに、今日の僕の服もワイン色っていう……合わせてきました(笑)」

ASKA「芸が細かいね(笑)。プリンスはいつごろから好きなの?」

西寺「僕は73年生まれで、プリンスは9、10歳くらいから好きですね」

ASKA「僕は実はね、プリンスってよく分からなかったんだよ。なんとなく漂う雰囲気が自分とは違う人だなって。音楽自体も、なんていうんだろうな、攻撃的、ポップ、ロック、いろんなものを融合しているんだけど、自分のポップス感覚にフィットした曲がそもそもなかったんだよ。そんなときに“パープル・レイン”が出てきて、やっぱりもうド頭で掴まれたよね」

西寺「プリンスは78年デビューで、79年デビューのCHAGE and ASKAとほとんど同じですよね。僕は“パープル・レイン”をASKAさんが歌ったらハマりそうだなって、もう映像まで浮かんでいるんですけど……」

ASKA「“パープル・レイン”の頭ってコードはナインスから始まるでしょ? それを“WALK”で使ったんだよね」

西寺「え? あとで確認してみます(笑)。"パープル・レイン"で言えばイントロのFadd9、Ebadd9って下降してゆくパートでしょうか……。プリンス&ザ・レヴォリューションのギタリスト、ウェンディがその部分のコードはつけた、と言っていますね。ウェンディの父親はジャズ・ピアニストで多数のヒット曲に携わってきたマイク・メルヴォワン。幼い頃から複雑で甘美なコード感覚を磨いてきた才女がプリンスのそれまでの〈黒人音楽的〉な音楽性を拡張したと言いますか……」

ASKA「脱皮の時期だったんだね」

西寺「そうだと思います。“パープル・レイン”以降のしばらくは、アジア人にも白人にも伝わるコードのエレガントさがありますよね」

ASKA「そこが僕がプリンスに対して引っ掛かっていた部分なんだよね」

西寺「そう言えば……。プリンスやマイケル・ジャクソン、マドンナ、ASKAさん、小室(哲哉)さんはみんな1958年生まれじゃないですか」

ASKA「そうだね」

西寺「ASKAさんとCHAGEさんは早生まれなので日本の学校だったら学年が一つ上なんですけど、もし仮にASKAさんが、自衛官のお父さんの都合でアメリカに行っていたら、アメリカの学校は9月スタートなので、8月29日生まれのマイケルとASKAさんは同級生になって。ともかく日米ともにすごい学年だな、と(笑)。僕は勝手に〈花のごっぱち〉って呼んでいるんですけど(笑)」

ASKA「(笑)。プリンスとは93年にモナコで行われた〈World Music Aword(モナコ音楽祭)〉で会ったことがあってね。全世界でトップセールスを挙げた人たちがモナコ王子に選ばれて晩餐会に招待されて、それは全世界に放送されるんだけど、その放映権をチャリティに寄付するという形の音楽祭で。そこにプリンスやマイケル・ジャクソンがいて、二人はゲストだったと思うんだけど、その本番前日にプリンスはGIGをやったんだよね」

西寺「ASKAさんも観に行かれたんですか?」

ASKA「もちろん。小さい会場でアーティストがアーティストを観に行くためのGIGだったんだけど、それはもうかっこよくてね。プリンスやマイケル・ジャクソンがいるあの空間というのは、自分たちがいまどの位置にいるのか分からない感覚になったよね」

西寺「実は、CHAGE and ASKAとNONA REEVESファンの仲の良いDJに、今回『恋人がワイン色』のカヴァーで裏面がプリンスだよと伝えたら、モナコ音楽祭の話になって。当時CHAGE and ASKAのお二人がラジオで〈プリンスをライブで見たら小さくて、遠いからだろうと思って近くて見ても元々小さかった〉みたいな話を楽しそうにしていたという情報を事前に聞いていたんです(笑)」

ASKA「プリンスは高いブーツを履いていたね(笑)。でもやっぱりプリンスには圧倒されるよね。音楽がすごいのはもちろんだけど、出てきたときの存在感がね、パフォーマンスもすごかった。まあ、転ばないか心配だったけどね(笑)」