So Sorry,Hobo梶原笙の「聴きました」「読みました」「書きました」「そうですか」

第9回 「まちがいなくまちがういきものだから」

 

前回の更新からずいぶんと間があいた。もう連載が終了したものと思っている人もたくさんいるだろうけど、まだつづく。勝手にシーズン2ということにして、つづく。

世のなかのことについてなにか書くべきなのだろうかとも考えた(あるいは書くことがミュージシャンの立場で文章を書いている人間の務めだと思われているような気がする)のだけど、ここは僕の個人的な文章の場所だから、僕の個人的な事柄についてだけ書こうと思う。
まあもちろん世のなかのことについてどうしても触れることにはなるのだろうけど、それはあくまで僕の視点から見えた範囲のことだけであって俯瞰するような真似はしないし、僕のすごした時間に内包されるかたちでしか出現させない。僕はいままでどおりに僕が聴いたもの、触れたもの、考えたことについてだけ述べて、それですべてということにしようと思う。

ここ最近は世間(世界? 社会?)でいろいろなことがあった。僕はもとからあまり家から出ないタイプなのでおおきな影響を受けてはいないけど、生活が根本から変貌してしまったという人もすくなくないんじゃないだろうか。
音楽業界でも(というか特に、か)いろいろなことがあって、それからいろいろなことがなかったことになった。なかったことになったもののほうがおおいかもしれない。僕のバンドのセカンドアルバムのリリースも、ある意味ではそうだ。もともとは5月に発売しているはずだったのに、いまでは「初秋発売予定」というあいまいさの煮凝りのようなラベルを貼られて身動きができなくなっている。それでも話が完全に立ち消えにならないだけ恵まれているほうなのだろう。大切なツアーややっと出られるはずだったフェスがなくなってしまった友だちはたくさんいる。

まあとにかく規模に関わらずバンド活動ができない状況だったので、僕はずっと家にいた。家で本を読んだりゲームをしたり、それからたまにギターを弾いたりしていた。正直すこし腐っていた。ベッドで横になったまま、「あー」とか「うー」とかの言葉未満の音を発することしかできずに何時間もすごすこともおおかった。
それがいまではこういうふうにだらだらとした文章を書く程度には回復できているわけなのだけど、今回はその回復について書こうと思う。べつにたいした話ではない。というか、この連載でたいした話が書かれたことなんて一度もない。だから安心して些細な回復の話を書く。

6月19日、先週の金曜日に僕たちのバンドはひさびさの練習を行った。メンバー同士で顔をあわせること自体3か月ぶりで、連絡もLINEで最低限のやりとりを滞りがちに数回交わした程度だった。
スタジオが短縮営業中だったこともあって、音をあわせられる時間はみじかい。そのみじかい時間を、僕たちはなんの取り決めもせずに適当に演奏をしてすごした。曲らしい曲はひとつもやらなかった。それから演奏した時間とおなじぐらいの時間会話をした。演奏の手ごたえは以前までのものとなにも変わっておらず、その強固さを積みあげた時間の賜物と誇るべきなのか、それとももとから緩みきっていたのかと呆れるべきなのか、僕には判断がつかない。
ライブハウスのおおくはまだ通常営業を再開していないので、ライブ活動は当分できなさそうだ。だから、練習もゆっくりとしたペースでいいんじゃないか、という話をした。「断食明けの人がほとんど水のおかゆから食事を再開するのとおなじだよ」と僕がいうと、みんな適当に同意の言葉を発した。その会話の空気も、3か月前とまったくおなじだった。
練習のあと、僕は井の頭線にゆられて最寄り駅につき、駅前のコンビニでチョコのまぶされたドーナツを買ってから家へとむかった。家につくと入念に手洗いうがいをして(親に言いつけられてしぶしぶおこなっていた子どものころよりずっと念いりなものになったこの習慣は、もうずっと欠かされることはないのだろう)、自室のPCデスクでドーナツを食べた。
食べおえると指先をウェットティッシュでぬぐい、きれいになった指でパソコンを起動した。通販サイトでアコースティックギターをながめ、自分が買うべきものの条件を具体的にしぼりこんだ。それから荒れ放題になっていた部屋の掃除をはじめた。同時に床につみあげられていた本の整理もすこし(ほんとうにすこしだけ)やった。1時間ほど経って部屋の状態が人間が住むに値する程度にまで回復すると、またパソコンにむかい、今度はあたらしいパソコンのためのパーツを探しはじめた。自作というやつをやってみようと思ったのだ。パソコンの新調は4年ぶりということになる。そしてそれも終わると、最後にはワードを立ちあげて文章を打ちこみはじめた。いまあなたが読んでいる文章のことだ。

つまりはそういうことなのだ。こういうかたちで振りかえってみるととてもはずかしいのだけど、僕はひさしぶりにバンドで演奏をした日の夜、やたらと活動的になった。
これが僕の音楽が僕にもたらす効能というやつなのだろう。なにかを劇的に変えるのではなくて、風通しをよくしたり、姿勢をただしてくれたりして、手や脳や心を動かす。そういう効能。「それだけ?」と思われてしまうかもしれないけど、僕はそう聞かれたら自身を持って首を縦に振ろうと思う。それだけ、だ。

文章を書きながら、ここ最近リリースされた新譜をBGMとして流していた。僕や僕のバンドが活動らしい活動をなにもしていないあいだにも、そんなことには関係なくたくさんのすばらしい作品が世に放たれた。それはなんというか、とてもたのもしいことだなと思った。自虐的な意味あいは抜きにして、心から。

なにもかもがちらかった文章になってしまったけど、要するに僕はこれらの事象を受けてだいじょうぶだな、と思ったのだ。
もちろん僕たちはまだまだいろんなことを制限しながら生きていかなければならないし、その縛りがどれだけゆるんでも、もとどおりということには絶対にならない。ようやくおぼえたはずの道順はぐちゃぐちゃになって、しかもその地面はやわらかな砂に変わってしまって、歩きかたから考えはじめなければいけないのだと思う。
だけど、だいじょうぶだ。それは音楽があるから、なんてかっこいいことではなくて、でもある意味ではそうで、でもちがって……。言葉で説明することはできないけど、まあだいじょうぶだ。あたらしい歩きかたで、いままでどおりのことを、いままでとちがったかたちでつづけていけるはずだ。バンドも、人生も。この連載も、たぶん。

あと、これはぜんぜん関係ない話なのだけどSNSはぜんぶやめてしまうことにした。ここ最近のSNSはなにかについて発言することにも発言しないことにも毎時毎分毎秒のペースで意味づけがなされるような場所になってしまったと感じるし、僕にとってそれはあまり楽しいものではない。どれだけ健康によくても味のわるいものは食べたくないし、その逆だってそうだ。なんというか、そういう気分になった。とりあえず一足さきにツイッターのアカウントを消した。
もちろんこれはあくまで僕個人がそう感じたというだけの話であって、「心の健康のために~」とかなんとか理由づけをしてだれかの同意や同行を求めるような類の話ではない。まだまだ楽しめるという人は当然だけど楽しんだほうがいい。
さいわい僕にはこの連載があるので、なにか発信したいことがあればまた書いて読んでもらえばいいし、いっそ読んでもらわなくてもいい。バンドについてのお知らせはバンドのツイッターアカウントか公式HPからすればいい。特にいまのところこまったことはなにもない。
物理的な場所というものを確保しづらい今日このごろなので、電子の海でも自分の心のなか(「自分の心のなか」という言葉のまぬけさ!)でもいいから息の吸いやすい場所をつくることが大事なんじゃないかな、と思う。最近の僕にとっては、家で本を読んだりギターを弾いたり文章を書いたりしながら(それと同時にこの文章のようにのたのたと考えごとをしながら)吸う空気が一番おいしい。

それっぽいことが言えたような気がするので今回はこのへんで。
ではまた。

 

【プロフィール】
梶原笙

梶原笙 (かじわらしょう)

ロックバンド、So Sorry,Hobo(ソーソーリーホーボー)のギター・ヴォーカル。​バンドは「内在するファンタジーの再現」を目標にマイペースに活動中。話と文章と髪が長い。オタク。

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