原点回帰と新たな進化。相反するフェーズを同時に感じさせながら、表現者/クリエイターとしてのさらなる進化を遂げた、記念すべきニュー・アルバムだ。DAOKOから約1年半ぶりとなるフル・アルバム『anima』が届けられた。

DAOKO 『anima』 トイズファクトリー (2020)

個性溢れるアーティストとのコラボレーションを繰り返しながら、自らの音楽的ネットワークを拡大し続けるDAOKO。曲によって表情を変貌させるヴォーカル――繊細な美しさから、浮遊感に溢れた世界観、濃密な官能性まで――そして、制作のすべてを決まったフォーマットで完結させるのではなく、時代を象徴する才能同志を結び付ける媒体としてのセンスを併せ持った彼女は、10年代後半のポップシーンにおけるもっとも刺激的なアーティストの一人だと言っていい。

前作『私的旅行』(2018年)のリリース後も彼女は、自らの音楽の世界を奔放に変化させ、広げてきた。10代の頃から交流があったという小袋成彬との共作による“御伽の街”では、ディストピア感漂う東京の像をドープかつポップなヒップホップ・チューンに昇華。MVのスクリプト、衣装デザインを手がけることで、クリエイターとしての高い資質を改めて示した。さらに“ハイセンスパイセン”では、スチャダラパーとのコラボが実現。幼少の頃からスチャダラパーの曲に親しんでいたという彼女にとってこの共演は、自らのルーツを再確認する大切なきっかけになったはずだ。

また2019年以降にスタートさせた生バンド編成のライブも、DAOKOの音楽観に大きな変化を与えたようだ。鈴木正人(ベース/LITTLE CREATURES)、網守将平(キーボード)、永井聖一(ギター)、大井一彌(ドラムス)など、優れた技術と独創的なプレイヤビリティを併せ持った音楽家との出会いによって、トラックメイクに重点を置いてきた彼女のプロダクションは徐々に変化。生のグルーヴを活かした楽曲が少しずつ増えていることは、〈生命〉や〈魂〉を意味するタイトルを冠したニューアルバム『anima』からも感じ取ってもらえるだろう。

本作『anima』の共同プロデューサーは、片寄明人。DAOKOのメジャー・ファースト・アルバム『DAOKO』(2015年)にサウンドプロデューサーとして参加し、2019年に行われたYMO結成40周年を記念したトリビュート・コンサート「Yellow Magic Children ~40年後のYMOの遺伝子~」でも共演するなど、深い縁のあるDAOKOと片寄。クリエイター/ソングライターとしての自我をさらに強めたDAOKOの楽曲を主にアレンジ、サウンドメイクの面で的確にフォローできる片寄は、まさに最適なパートナーと言えるだろう。そのことがもっとも端的に示されているのは、アルバムの収録曲“アキレス腱”。叙情的な美しさを滲ませるメロディ、大人として社会の一員になることに対する葛藤を詩的に描いた歌詞、そして、片寄、永井のアレンジによるインディーポップ感漂うサウンドの化学反応は本作の大きな聴きどころだ。

DAOKO自身が作詞・作曲した楽曲を、彼女が選んだビートメイカー、アレンジャーとともに形にしていく、というスタイルで制作された本作。インディーズの頃から共作を続けてきたDJ6月とのタッグによる“愛のロス”、“ストロベリームーン”、ゲーム音楽で知られる田中宏和がアレンジした“帰りたい!”、大井一彌がドラムンベース的な手法を取り入れた“ZukiZuki”、鈴木正人の手による〈R&B×エレクトロ〉なサウンドが心
地いい“Sorry Sorry”など、音楽的な充実度もさらに向上。グローヴァル・ポップの潮流を感じさせながら、DAOKO特有の言葉の感覚、どこか抽象的なイメージをもたらすヴォーカルによって、幅広い層のリスナーが楽しめるJ-Popに落とし込んでいるのだ。

網守将平との共作によるタイトルチューン“anima”も、本作を象徴する楽曲だ。煌びやかな映像を歓喜させる音像、緻密な構築美と自由な遊び心を同時に感じさせるアレンジ、感情の変化とリンクするかのような変幻自在のメロディー。それは固定されたスタイルに捉われず、その瞬間の自分そのものを音楽に導こうするDAOKOの在り方そのものにもつながっている。

また、この楽曲の〈悲しいがな我々は ひとつにはなれない ひとかたまりにはなれない どうか争いがおきませんように どうか〉という最後のラインも、現在の社会に対する最高のメッセージだ。安易な一体感を求めたり、固定された役割を押しつけるのではなく、ひとりひとりの存在を認め、解放するのがポップミュージックの本来の力。自らの意思をさらに強く反映させた本作『anima』によってDAOKOは、表層的なポップアイコンから、普遍的なアートフォームを創造するクリエイターへと成長したのだと思う。