時勢に流されず、朽ちることのない音楽的強度。
昨秋11月16日、凡そ3万8千人もの大観衆を迎えて開催された、約30年ぶりのスタジアム・ライブ(意外にも甲子園は初降臨)の全貌を余すことなく収めた、『安全地帯 IN 甲子園球場「さよならゲーム」』。それにしても何故、玉置浩二はこの話題公演の名称に〈さよならゲーム〉と冠したのだろうか。甲子園球場を「俺にとっての〈野球の聖地〉」と敬意を表す元野球少年の玉置が、〈さよならゲーム〉と命名した理由や想いとは何なのか。特典映像には、玉置の野球への熱い想いが伝わるシーンが……。その謎解きの愉しみも抱きつつ、待望2枚組の封を開けた。
時計台の針が15時22分を示し、観衆の大歓声の中、“Endless(プロローグ)”で総勢12名のチームが出揃う。口火の“We’re alive”で〈♪俺の声はとどいているか/見渡すかぎりの甲子園球場に♪〉と、初球からいきなり歌詞を替えて盛り上げるキャプテン。恋模様の最中にサイレンが鳴り響く情景を描いた“1991年からの警告”では“試合終了のサイレン”が連想されたりもするが、続く“Lonely Far”の〈♪みんなビデオを楽しみすぎて♪〉の〈ビデオ〉を〈SNS〉に換えてそのまま〈♪なにかできてもなんにもしない♪〉と歌う玉置のアップグレードな姿勢に触れた途端、少し不思議な気分に見舞われた。晩秋の野外で奏者全員が黒い長袖衣装で力投中のステージ模様が一瞬、蜃気楼の如く、つい〈昨日の出来事〉のようにも思えたのだ。潜在的願望の浮上だろうか。
日付や曜日や時刻さえもが曖昧模糊としているような2020年の今夏。〈新しい日常〉下で〈配慮〉と〈萎縮〉を一様に強いられ、観劇や映画鑑賞、例年のフェス参加や恒例のライヴ通いも軒並み断たれている〈特別な夏〉。そんなコロナ禍の、どうにも煮え切らないニュースまみれの日常下で開いた全国紙の、本作の全面広告(7月29日付)にはやはり目を奪われた。一見無作為に選んだような遠目のステージ写真を半転させ、むしろ〈文字情報〉を主役としたような大胆なレイアウト……何よりもそこには一面を使い、現在のコロナ禍でわたし(たち)の日常から〈失われかけているもの/失いたくないもの〉の象徴的な景色が綺麗に刷り込まれていた。奇しくも〈特別な夏〉に放たれた、この数か月前の伝説のライブ映像は、いわばエンタメ版〈独自大会〉のような感動をわたし(たち)に投げかけてくれるのではなかろうか。広告から覚えた予感は見事、鑑賞中の錯覚で明かされた。まだ序盤の7曲目“熱視線”から一気に“恋の予感”“碧い瞳のエリス”“Friend”と、緩急織り交ぜたヒット曲が繰り出され……まるでエースの魔球に翻弄される打者の放心よろしく、気づけば早くもDISC 1が終わっていた。