独り立ちのプロセスを経て、改めて自身の歌うべきロマンティックな物語を束ねた、実に4年半ぶりのフル・アルバム。穏やかな歌世界に深く広がる表現への想いとは?
これがやりたかったんだ
いつも楽しみにしていたものではあったけれども、今回はその〈ワクワク〉がひとしおだ。前作『頂き物』から4年半という歳月は、それまでの安藤裕子の歩みからすればものすごく長い時間だったし、ようやく新しいアルバムが出ること、そしてその話を訊くために久しぶりに彼女に会えること、その喜びを会話の初めにまずは伝えると、彼女も人懐っこい笑顔で応えてくれた。
ニュー・アルバムの話を訊く前に、この4年半のことを振り返っておこうか。前作の『頂き物』は、そのタイトルの通り、ほぼ他者から楽曲を〈頂いた〉アルバムだった。そこにはもちろん、彼女のフィルターを通してのエンターテイメントが存在していたわけだが、そもそも彼女はシンガー・ソングライターであり、そういう意味では本来の安藤裕子ではない。リリース後には長らく所属していたレコード会社を離れた。
「曲もできなかったし……技は得ているから形としての音楽作りはできるんだけど、気持ちが空虚のまま形だけ出していても、人間がどんどん削られていくだけかなって。周りのスタッフにはよくしてもらいすぎちゃってたから、たぶんこのままだと私はダメだな、一回ひとりにならないとダメだなって思いました。ぜんぜん曲ができないのに、周りが〈大丈夫だよ、できるよ〉って言ってくれるなかでやるっていうのはあまり意味がないかなあと思ったし、自分から欲して何かを作り出さないと、もう道は拓けないなって。自分はここで生きてるのに、不満もなければ欲するものもない、それはいちばんこわいことだから」。
〈欲するもの〉を待ちながら、彼女がふたたび這い上がるきっかけとなったのが、2018年6月に出した7曲入りの『ITALAN』。
「それまでシンガー・ソングライターとして、私小説家としてやってきたから、自分がこんなにつまらない人間になって、描くものがないとうか、ストーリーが尽きたというか……自分のために曲が書けないから、短編小説のサントラみたいな形にしようって形で曲を作っていったのが『ITALAN』だったんですけど、それもなんか、好きな音探しから作業を始めて。私、デビュー前ってすごくジャンクな曲ばかり自分で作って楽しんでたのね。家にあるドラム・セットで重ね録りしてバリバリに割れた音の上で歌ったりとか。あのときは楽しかったなあって思ったんで、もう一回おうちでそういう作業をしてみようかなって。それを手伝ってくれたのが今回プロデューサーで入ってくれた2人、Shigekuniくんとトオミヨウくん。トオミくんのスタジオに、私が家でグラスの音とか色鉛筆のケースをガチャガチャやりながら録っためちゃくちゃなデモを持ち込んで、それを2人が整えてくれるみたいな作業をしていったんだけど、とっても楽しかったんですよね。ずっと爆笑しながらやってて、〈そうだ、これがやりたかったんだ〉ってすごく思った」。

2019年の夏には、“恋しい”“鑑”といった新曲を届け、着実に光の射す方向へと歩みを進めていった彼女。紆余曲折はまだまだあったものの、めでたくアルバムの完成までこぎ着けた。通算10枚目のアルバム『Barometz』。
「エイベックスの後期で私が抱えていた死生観というか、〈生きる〉とか〈死ぬ〉みたいなテーマからは離れたいなって思ってて、音楽的な部分でもうちょっとゆったりと構えたいなっていうのがすごくあったんですよね。そう、それでけっこう恋のお話とかをあえてつまんで入れてるんです。また壊れて、また落ちるのも嫌だから。自分が嫌なのに歌うとか、それは絶対しないように気をつけようって、この一枚を作るっていうのは大事な作業だったと思います。これでようやくリラックスして先に進めるかなっていう感じ、ようやく独り立ちした……以前のものっていうのは、〈安藤裕子〉っていう名前のバンドでやってたようなものなんですね。私はフロントマンで詞曲も書くけど、決して私だけの世界だけでは成り立ってなかった。そういう意味で今回のアルバムは、2人のプロデューサーに立ってもらっているとはいっても、同等のかたちで私もプロデュースしてるし、自分でアレンジの方向とか、ミュージシャンも含めいろいろ進められた。やっと大人になれたって、そういう感じですね」。
ヌルいと溺れるんです
アコースティック・ギターの調べにのせて童話を読み聞かせるようにやさしく歌う“バロメッツ”を幕開けに、ライブ・パフォーマンスを通じて仕上げていったというワルツ・ナンバー“一日の終わりに”、気怠さのなかにも熱のこもった愛情表現を聴かせる“Little bird”……彼女の歌から放たれる引力は相も変わらず強く、そしてその語り口は、いつにも増して優しく穏やか。アルバム中盤~終盤にかけての“空想の恋人”“曇りの空に君が消えた”といったトオミヨウのプロデュース楽曲では、 J-Pop的なポップネスを聴かせていたり……。
「2曲だけトオミくんがプロデュース─ ─この比重はすごくポイントというか、トオミくんは〈安藤裕子にはいまのご時世のサウンドで歌謡曲を歌ってほしいんです〉って言ってくれてて、だから2人でちょっと職業作家的な作り方をわざとしてる。“曇りの空に君が消えた”とかはまさにそういう感じで、詞は私が書いているけど、一度女性目線の詞を書いたら、〈もっと女々しい男子の、前の彼女が忘れられないっていう感じで〉みたいなことを言われて、添削されながら〈こういうのはどうかな?〉みたいな感じでやっていて。そういうものが全部になっちゃったら、もうシンガー・ソングライターじゃなくなるから、それで彼が担当した曲ってすごく絞られているんです。でも、トオミくんの曲が入ってると、ポップスとしての間口が広がるんですよね。こういう曲があると、聴いてる人が安心すると思うんです。オルタナとポップの境目があるとして、彼が参加することでポップスの枠にちゃんとアルバムが着地するというか。Shigekuniくんはどちらかというと、いまの私が作りたいサウンドとかを掘り出して形にしてくれる人。私個人として立つには、Shigekuniくんみたいな作業をするパートナーがすごく必要なんだけど、間口を広げるにはトオミくんみたいな人も必要であって」。
『Barometz』は、安藤裕子の〈復活作〉であると同時に、彼女の音楽家としての逞しさを改めて感じさせてくれるアルバムになったと断言できる。本来なら、このアルバムを引っ提げて全国ツアー、なんてところだったわけだけど、素敵なアルバムを仕上げてくれただけに、〈いま〉が悩ましい。
「音楽がなくては生きていけない──そういうふうに考えたことはないんですけど、結果、ないことには何もないんだなって。私、趣味もないし、遊びもないし、人と一緒に騒ぐのにも興味ないし。だから、楽しいっていうのが音楽を作ることしかないんですよね。だから、いますごくライブやりたいなあって、世界が最強にダメな方向に向かってるときにいちばん元気(笑)。昔からそういうところがあるんでしょうね。ヌルいとダメなんです。みんながすごく普通にキャッキャキャッキャしてると、ヌルくて溺れるんですよね。だけど、危機的な状況になると俄然やる気が出てくるという(笑)」。
安藤裕子の近作。
『Barometz』参加ミュージシャンの作品を一部紹介。
『Barometz』の音世界を共に紡いだ注目すべきふたり
安藤裕子が『Barometz』のヴィジョンを形にすべく迎えた共同プロデューサーは、前段にあたる『ITALAN』から彼女をサポートしてきたトオミヨウとShigekuniの両名。まずトオミヨウは石崎ひゅーいや土岐麻子、Uruらとの継続的な創作を通じて本誌でも何度か紹介してきたが、今年に入ってから他方面で名前を見る機会はさらに増えた。Uruの『オリオンブルー』をはじめ、あいみょん直近のヒット“裸の心”、aikoのこれまた最新シングルとなる名曲“青空”、さらには片平里菜やCHIHIRO、関取花ら女性シンガー・ソングライターの作品中心に編曲/サウンド・プロデュースを担当。SHE'SやAwesome City Clubといったモダンなバンド作品でも腕を揮うほか、ゆずやSuperfly、Sexy Zone、flumpoolといった大物との新鮮な手合わせでも安定した仕事ぶりを見せている。
一方、安藤のライヴ・サポートも担うShigekuniは、Kateと組むDadaDでの新作『Night Disco』(トオミも鍵盤で参加)も今年リリースしたばかり。ベーシストとしてLEO今井のバンドや阿部芙蓉美、THE CHARM PARKらの作品で演奏するほか、近年はGhost like girlfriendやThe Wisely Brothers、伊澤一葉らのプロデュースでも個性を発揮していて、この先はさらに幅広い活躍が期待できそうだ。 *轟ひろみ