夜と朝の間を何度も越えて、また新しい夜の奥深くへ――5年ぶりの奇跡の歌声は、やがて訪れる穏やかな夜明けのために響き渡る!
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、約10週間の閉鎖を余儀なくされていたロンドンのアビー・ロード・スタジオ。設立から一度も営業休止したことがなかった(第二次世界大戦中ですら営業していた)という音楽産業の象徴のような場所でも当然コロナ禍は免れなかったわけだが、その営業再開後に初めてスタジオ入りしたのはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団だった。そしてそのセッションこそメロディ・ガルドーのアルバム・レコーディングのために行われたものだったのだ。
その日、ビートルズ『Abbey Road』のジャケでお馴染みの交差点を歩いて渡ったマスク姿の演奏家たちに対し、主役のガルドーはパリからセッションにリモート参加し、プロデューサーのラリー・クラインはLAの自宅から指揮を執った。それ以前から世界のミュージシャンに参加を呼びかけてチャリティー・ソング“From Paris With Love”(日本からはジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子も参加)をリモート制作するなど、ロックダウン中にも音楽の意義を模索してきた彼女にとって、これは大きな栄誉でもあったに違いない。そんなプロセスを経て届いたのが通算5作目となるニュー・アルバム『Sunset In The Blue』だ。
MELODY GARDOT 『Sunset In The Blue』 Decca/ユニバーサル(2020)
フィラデルフィア出身のシンガー・ソングライターで、ブルージーでスムースな独特の歌唱が愛されているメロディ・ガルドー。16歳からピアノ・バーで演奏していたものの、19歳の時に遭った交通事故で一年間寝たきりになるほどの重傷を負い、後遺症の視覚過敏によってサングラスを手放せなくなった逸話も知られているはずだ。初めてのEP『Some Lessons: The Bedroom Sessions』を発表したのは20歳になった2005年。それをきっかけに契約したヴァーヴでの初作『Worrisome Heart』(08年)からフランスや日本でも話題になったが、ジャズの範疇を超えた支持を手にしたのは翌09年のセカンド・アルバム『My One And Only Thrill』だろう。ここではジョニ・ミッチェルやマデリン・ペルーを手掛けてきたプロデューサーのラリー・クラインと邂逅。ノラ・ジョーンズとの仕事で名を上げたジェシー・ハリスとも2曲を共作し、ストリングス・アレンジをヴィンス・メンドーサが担ったアルバムはグラミーにノミネートもされる評価を得た。
その後はヘイター・ペレイラ(元シンプリー・レッド)制作の『The Absence』(12年)、デッカに移って再度ラリー・クラインと組んだ『Currency Af Man』(15年)をリリース。それ以来5年ぶりのオリジナル作となる今回の『Sunset In The Blue』は、引き続きクラインがプロデュースを担い、ヴィンス・メンドーサもアレンジに参加、これまで何度も組んできたジェシー・ハリスもタイトル曲を共作している。
レスリー・ダンカン“Love Song”やシャーリー・ホーンの歌った“You Won't Forget Me”など本編にカヴァーが多いのも特徴だが、それ以上印象的なトピックはスティングとデュエットした“Little Something”だろう。この曲はスティングと彼のギタリストであるドミニク・ミラー、そしてプロデューサーのジェン・ジスが共同制作したもの。スティングは「この曲には純粋で病みつきになる楽しさがあるね。そしてメロディ・ガルドーの美しいヴォーカルとデュエットできたことも嬉しいよ。この曲から私たちの笑顔を感じてもらえると嬉しいね」とコメントし、メロディも「この困難な状況の中で、ミュージシャンにとって唯一の希望の光は誰かとコラボレーションすること。ジェン・ジスがこの曲を持ってきて、さらにスティングとのデュエットだと知らされたときはとても驚いた。ふだん私がプレイしているジャンルとは違う者だったけど、何か新しいことに挑戦するのはとても好きだし、それが音楽の本質だと思う」と語っている。愛で世界を繋いできた彼女の歌声が新しい出会いによってまた広がっていく。秋の夜長にはこんな歌に浸って穏やかな気持ちで満たされたい。