東京と日常

――その武道館に向けて出るのがニュー・シングル“東京”ですね。表題曲は松隈ケンタさん作曲のめちゃくちゃキャッチーないい曲に仕上がっています。

「曲自体は前のアルバムの時からあって、シングルで出したくて取っておいたものですね。歌詞は武道館が決まってから書いたので、そこで歌いたい曲になればいいなっていうのはたぶん意識的にあって。すっごい大きい会場で、スポットライトが凄く眩しくって、真っ暗な客席の奥が〈どこまで続いてるんだ?〉みたいな景色を思いながら、書きたいことを書きましたね」

――まずは“東京”っていうタイトルが、やっぱり象徴的で。

「バンドっぽいですよね?」

――くるりさんを筆頭に、バンドの名曲がいっぱいあるイメージですね。

「いや、そうなんですよね(笑)。PEDRO始めた時に、〈バンドやるんだったら“東京”って曲いつか出したいわ〉っていうのは何となくふざけて思ってて。それを実現しちゃいました。はい」

――もちろん地名としての東京っていうより、いまの生活を表す概念としての東京ということだと思うのですが。

「仰る通りです。自分の人生を振り返った時に、私が初めて自分の判断で一歩を踏み出したのって上京だなって思って。上京してBiSHに入って、いろんなことがあって、PEDROが始まって。もし上京してなかったらこの人生を歩んでなかったですし。いろんな運とか縁に出会えて、自分の世界と出会いを広げてくれた街だなって思ったので、それについて書きたくて、“東京”っていうタイトルにして、東京での生活とか、上京してきて自分が思ったこととかを書きました。いま何気なく東京っていう街で生活してるのも、けっこう自分にとっては革命的なことだなと思って」

――東京に限らず、故郷から都会に出てきて暮らしてるような人には特に響くんじゃないかなと思います。

「確かにそうですね。環境が変わって」

――東京は好きですか?

「ああ、まあ(笑)。いや、でもね、クソみたいな街だなって思うこともありますし、くじけそうになる時もあるんですけど。うん、でもやっぱ好きですね」

――こういう曲がこのタイミングで出ることも何か納得なんですが、レコーディングに関して変化などはありましたか。

「楽器は初めて一緒に同じスタジオに入って、ちゃんとバンドらしい録り方ができたというか。いままでベースとギターはお互い宅録だったんですけど、やっぱり聴いた時も全然ノリが違うなって思って。空気感がやっぱり違うなっていうのは凄いありました」

――それは大きい変化ですね。いままでも楽器の録りとか制作の行程には立ち会ってきたと思うんですが、みんなで集まってやるのはどうでしたか。

「おもしろかったです。やっぱりやりたかったんで、それがずっと。で、自分の実力的にもそれができるところまでようやく達して。ひさ子さんと毛利さんも一緒にいろいろアイデア思い付いて、その場で変えたりとかもできるし、あとは、できない部分とかをひさ子さんにその場で教えてもらいながらとか、コミュニケーションを取りながらレコーディングできたのが楽しかったですね。やっぱこの録り方がいちばんいいなって思いました」

――で、カップリングが田渕さんに初めて作曲をお願いした“日常”です。

「はい、そうです。PEDROチームで〈いつかひさ子さんに作曲してもらったらおもしろいよね〉みたいなのはずっと企んでて。で、今回それを勇気を振り絞って本人にお伝えして、実現しましたね」

――曲についてのリクエストはありました?

「どうこうしてほしいみたいなことは一つも言わず、ホントにひさ子さんらしく自由に作ってくださいっていうお願いをしました。でも、ひさ子さんなりにPEDROのことを凄く考えながら作ってくださったと思います。私がベースを弾きながら歌いやすくしてくださったりとか、あと、ひさ子さんはずっとオルタナティヴ・ロックをやり続けてきたので、いままでPEDROであまりなかったようなおもしろい曲で。ひさ子さんらしさプラスPEDROに新しい味を出してくださったのかなって思います」

――田渕さんから見たPEDRO像みたいな雰囲気もありますし、いつもの田渕さんらしいトーンも感じますね。

「そうですね。あと、デモをいただいた時に、あの澄んだ声で仮歌が入ってたんですよ。仮歌詞も入ってて。もうホントこのまま世に出したいっていう感じだったんですけど、残念ながら私が歌ってしまって(笑)」

――それは仕方ない(笑)。

「ひさ子さんが入れてくださってた仮歌詞もホントに思いを書いてくださったんだろうなっていう内容で、実は歌詞を変えるかどうか凄い悩んだんですよ。この曲に自分の歌詞を入れて、ひさ子さんが思ったような届き方をしなかったらどうしようって。でも思い切って変えてみようと思って、自分の歌詞を当てはめた時に、中途半端に言葉を混ぜながら書くと伝えたいことが余計あちこち行っちゃうなと思って、変えるなら元の歌詞をあまり意識しないようにしようと思ったんですけど、サビにちょっと良すぎる言葉があったので、そこはそのまま使わせていただきました」

――具体的には?

「サビ頭の〈今見ている世界が 今の僕の全部で〉っていう1行で、それは自分も凄い共感して。あと〈It is normal daily life.〉も元の歌詞から残したくて」

――2回目に〈normal〉が〈special〉になるのも印象的ですね。

「そうです。当たり前の日常が当たり前じゃないんだって気付いた年だったので。当たり前に寄り添ってくれてたのって当たり前じゃないんだって思ったんで、普通の日常が凄いスペシャルだなって思って書きました」

――アユニさんにとっては東京=日常なので、シングルの2曲が表裏の関係にあるようにも思えますね。ちなみにアユニさんの歌詞について、田渕さんはどんな感想でしたか?

「あの、歌詞については恥ずかしくて聞けなかったんですけど(笑)。話すと思います、たぶんこれから」

――さらに新曲がもうひとつあって、Blu-rayの初回限定盤「LIFE IS HARD TOUR FINAL」にサプライズで“丁寧な暮らし”が付いてきます。こちらはアユニさん自身の作詞作曲で。

「はい。これは半年くらい前にいろいろ作ってストックしてたうちの1曲ですね。タイトルは“丁寧な暮らし”なんですけど、歌詞は〈丁寧な暮らし〉へのアンチな内容というか。〈丁寧なダメ人間暮らし〉っていう、ひねくれた歌にしてます」

――これも“東京”~“日常”から地続きになる雰囲気ですが、制作は3曲同時に進めてたんでしょうか。

「歌とか楽器を録ったのは同じ時期です。3曲あるなかで、シングルは綺麗な曲が出来たので、こっちはちょっと汚いというか、反骨精神を込めた曲も作ろうと思って」

――アユニさんにとってリアリティーのある内容なんでしょうか。

「そうですね。上京したての頃の自分の生活に基づいたテーマにしようと思って。上京した時の部屋がホント六畳一間で。で、その頃はいろいろ自分の周りの環境が変わりすぎてて、生活をすることに追いつかなくなっちゃって。部屋に生ゴミは30袋くらい溜まるわ、もうコンビニのごはんしか食べないわ、食器なんて持ってないから紙皿にプラスチックのスプーン、フォークを使ってるわで、けっこうヤバくて」

――実生活がそうだったんですね。

「でもそういう生活も、まあ、あるよなって。それを当たり前にしてる人もいっぱいいるしなと思って。いまでも綺麗に生活することに疲れることはたくさんあるし、〈丁寧な暮らし〉っていう単語よく聞くんですけど、〈それって何なのかな?〉って思って書いた曲ですね」

――いまは丁寧に暮らせている?

「あ、ちゃんとできてないです(笑)。別に部屋ここまでは汚くはないですけど。ただ、本音を書いてますね」