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あなただけの景色を見せる、記憶の〈しおり〉としての音楽
by in the blue shirt

音に限らず、私たちは過去にした体験を、オリジナルそのままに保存することも、再び体験することもできない。体験に伴う記憶や感情は、時とともにおぼろげになっていく。

一方で、私たちは、記録された写真、動画、音などをしおりのように機能させることができる。それらをトリガーにして、昔の記憶が急にまざまざと立ち上がってくるような経験をしたことはないだろうか。

録音という行為は、音響体験そのものの保存にはなり得ない。それが川のせせらぎであろうが、ギター・アンプから放たれる轟音であろうが、それを録音した時点で、オリジナルの体験からは少なからず遠ざかる。そして、テープやレコード、たとえデジタル・データであろうとも、それを保持するメディアも時とともに劣化してしまう。

録音のフェーズだけではなく再生にも目を向けてみると、例えばテープ、レコードなど、回転を伴う再生機器は、ワウ・フラッターと呼ばれるような回転ムラによるピッチの揺らぎが生じる。他の機器でも例外ではなく、アナログな手続きを踏む限り、オリジナルからの距離は、録音でも、再生でも遠ざかるのである。

音を録音して再生する、そして記憶して思い出す。どちらも原体験の複製にはなり得ない。しかし、だからこそ意味があるし、その感覚を捉えたい。このレック&プレイを経た褪せ、揺らぎは、ビビオの表現に見事にフィットする。

過去の体験が、時とともに、不可逆に、えもいえぬ感情や記憶に変化する過程を、本作でビビオは、録音、さらにはそのプレイバックという手続きに重ねてみせたのである。回し方の塩梅が挙動に反映する手回し機になぞらえた本作『Hand Cranked』には、この手続きに宿る精神が色濃く反映されている。

サウンドの核となるのは、自身の演奏を録音したギターのループと、それの執拗な反復。”Above The Rooftops”ではそれがピアノであるが、基本的な構造は変わらない。時折重ねられるアタックのスローな逆再生されたギターや、チェロのような音、そして想起される情景を補完するフィールド・レコーディングのサウンド。その褪せたサウンドの反復、そしてそのレイヤーによって、聴く者に豊かな景色と、それに伴う感情をもたらす。

『Hand Cranked (Deluxe Edition)』収録曲“Above The Rooftops”

マルチ・プレイヤーとしての実力を発揮した多重録音、巧みなエレクトロニック・サウンドなど、ビビオのプロダクションは多岐にわたるが、彼の作品には通底してノスタルジアの表現への意思が感じられる。そして、初期三作は特に、褪せたサウンドを用いて、過去の景色の記憶を描き出すことにフォーカスされている。”Aberriw”にも見られるように、歌詞に至るまで叙景に徹し、録音とその再生の反復のもたらす感情にフォーカスしているのが本作である。

『Hand Cranked (Deluxe Edition)』収録曲“Aberriw”

昨今、音楽を意図的にローファイなサウンドに仕立て上げることは珍しいことではない。さらに、サンプル・ループを反復する手法自体も、積み上げられた歴史のある、王道の手法である。ではその曲は、なぜそのような手法を取って制作されたのか? なんとなくいい感じになるから? そんなことを考える上で、『Hand Cranked』の再発は大きな助けになるのではないだろうか。

録音物としての『Hand Cranked』を聴く。その日の体調や気分、シチュエーションで、聴こえ方や感じ方が変わるであろう。その体験はまたあなたの〈しおり〉になり、またいつか、再び再生したときに、あなただけの記憶や感情を取り出してみせるであろう。

 


RELEASE INFORMATION

BIBIO 『Hand Cranked (Deluxe Edition)』 Warp/BEAT(2020, 2021)

リリース日:2021年3月19日(金)
品番:BRC-664
価格:2,200円(税別)
ボーナストラック追加収録/解説書封入

TRACKLIST
1. The Cranking House
2. Cherry Go Round
3. Quantock
4. Black Country Blue
5. Marram
6. Aberriw
7. Zoopraxiphone
8. Dyfi
9. Ffwrnais
10. Woodington
11. Above The Rooftops
12. Snowbow
13. Maroon Lagoon
14. Overgrown
Bonus Tracks
15. Madame Grotesque
16. Cantaloup Carousel (1999)
17. Firework Owl
18. Odd Lips
19. The Last Bicycle