人間に傷つけられ、人間に救われた
Cuusheのこれまでの歩みを振り返るうえで、2017年の事件を素通りすることはできない。空き巣/ストーカー/オンライン・ハラスメント被害に遭ったCuusheはショックと恐怖に悩まされ、音楽活動の中断を余儀なくされた。理不尽な犯行に巻き込まれた彼女は、どんなことを思ったのか。当時の心境を打ち明けてくれた。
「『Night Lines』を発表したあと、韓国やアメリカ、ヨーロッパ、UAEなどさまざまな国でライブをさせてもらったり、いくつかの作品にゲスト参加したりしていたんですけど、そろそろ自分の生活を安定させなきゃいけない……というか、海外の音楽コミュニティーをたくさん見ていくにつれて、自分のアイデンティティーを見つめ直し、日本から発信することに魅力を感じはじめました。そこから日本で生活することを決めたのが、事件が起こる少し前ですね。
事件に遭ってから、犯人が捕まるまで2か月もかかったし、精神的に今もですけど……家に帰るのも怖いし、いるのも怖い。インターネットを見るのも嫌になりました。今まで誰かに敵意を持たれたことがなかったから、それにびっくりしたんです。
いちばんの影響はやっぱりツアー中を狙われたので、ライブができなくなったこと。今はコロナだからできないけど、コロナが過ぎてもライブは再開できないと思います。安全じゃないから。事件が起きて、本当にたくさんの人がサポートしてくれました。近くで助けてくれた人たち、ファンの皆さん、声をあげてくれた人たちに支えられたんです。人間に傷つけられ、人間に救われた感じです。一方で音楽さえ聴ければよい、みたいな態度……中立を装う加害者の知人・関係者、異様なファンダムとか音楽至上主義が気持ち悪くなったんですね。そもそもハラスメントにおける中立の立場なんて無自覚に加害者、マジョリティーに加担してるわけですから。だから〈TAICOCLUB〉みたいなこと※が起きてしまうんだと思いました。
事件に遭った当時、metooのタグをつけて英語でInstagramにポストしたのは、日本ではまだまだこういったことが問題になる前で、すごく怖かったからです。その後ジュリア・ホルターがダックテイルズからのハラスメントについてステイトメントを出していたのが大きくて。彼女でさえそんな大変な経験をして、それをシェアしていることにすごく勇気づけられたし、自分も事件の翌年にステイトメントを出しました。音楽的にも夢の中だけでなく、現実に目を向ける契機になったし、それが自分のクリエイティヴィティーにおいて表現したいことの一つになりました。
音楽活動を再開するきっかけは、久野(遥子)さんから〈東アジア文化都市2019豊島〉のプロモーション・ビデオの音楽について相談を受けたこと。彼女は事件のことをまったく知らなくて。大好きな人からそういうオファーをいただけたのが嬉しかったし、制作もすごく楽しかったんです」
暗闇の中にもダンスフロアがある
Cuusheは2020年、5年ぶりのアルバム『WAKEN』で復活した。ここまでの経緯を思うと、力強くエネルギッシュなサウンドに感動せずにはいられない。〈夢の中だけでなく、現実に目を向ける〉ようになった彼女が、苦難を乗り越えた先に見つけ出したものとは。
――長らくドリーム・ポップと形容されてきたCuusheさんが、『WAKEN』というタイトルを掲げているのが興味深いです。
「『Night Lines』が真夜中だったので、次は早朝をテーマにする、というのは当初から頭にありました。これまでのタイトルは夢と関連したもので、もう少し微睡んでる感じがあったけど、イギリスの友人が『WAKEN』というワードを付けてくれて。私が音楽を通して何を考えているのか、シンプルな言葉で効果的に表現しているように感じました。
もちろんリスタートという気持ちもないわけではないけど、あんな事件に影響を受けていたくない自分もいる。ポジティヴなことなんて何一つないわけですから。それに私自身、自分が元に戻ったとか、そういうわけではないんです。悲しみはずっと残っているし。だけど楔として、ただ言葉をそこに打った。そういう感覚です」
――以前の作品と比べて、ダンサブルな音作りが際立っているように思います。
「事件があって家に閉じこもるような生活が続いて、体調も崩して入院もしたり。今はコロナもありますけど、ずっと満足に外出できない生活が続いて、そのことへの反動がダンサブルな方向を後押しした、というのはあるかもしれません。
社会の理不尽さや女性の権利、政治的な歪みに目を向けるようになり、それに伴って自分の作る音楽も変わってきた気がします。曖昧であることを良しと思っていた自分よりも、もっと意志を持った人間になりたいと思った。それが音楽に輪郭を与えたのかもしれません。機材についてはほとんど変わってない……というか、もっとコンパクトになったかも。入院中にも音楽を作っていたので、そのときはPCとMIDIキーボードだけでした」
――『WAKEN』について特に手応えを感じている点をいくつか教えてください。
「例えば“Not to Blame”では、ドラムンベース(的なビート)をそのまま使っていて、これまで自分の音楽では明確な参照点をもたないようにしてきたけど、今回は曲に合わせて引用ができるようになったというか、アレンジの一つとして考えられるようになった。そうやって作っても自分の音楽だと言えそうな気がしたので、あえてそういうことに挑戦しました。だから、これまでの作品よりも参照点が見えやすいかもしれません。
あと、いままでは自分の声だけを重ねていたので、他人の声を入れたのは初めてかもしれません。聴こえる声、聴きづらい声、サンプリングした声、ソフトに入っている声、重なる声、変調した声……自分のモチヴェーションを高めるためにもそれらを鳴らしたかった。こんなふうに楽器みたいな使い方をしたのは初めてですね。それに、今回はミックスを全部オンラインでやっていて、圓山満司さんにお願いしたことでポップかつダイナミックなサウンドに仕上がったかと思います」
――『WAKEN』に影響を与えたものについて教えてください。
「フラワー・デモ、入院。音楽だとモルモル(MorMor)、エースモー(AceMo)、インディア・ジョーダン(India Jordan)とか」
――コロナ禍で自宅にいる時間が増え、内省的にならざるをえなかった2020年に、ダンサブルなアルバムを出す意味というのはどのように考えていますか?
「制作はコロナより前から進めていたので後付けになりますが、自分にとって音楽はセラピーであり、逃避であり、特別な時間。何か生活に寄り添うようなものではなく、作ってる音楽そのものが内省的である必要もない、というか。だから(曲が)ダンサブルでもそうじゃなくても、踊ってもいいし、それこそ踊らなくてもいいですし。機能的な部分にフォーカスして音楽を作っているわけではない、ということにあらためて気づきました。
“Drip”という曲は、体調を崩して入院していたときの点滴がインスピレーションになっています。ある日の夜、点滴の機械の光が天井に反射して、私がいたのが大部屋だったので、他の人の点滴の光も交互に点滅して、ミラーボールみたいに見えたんですね。たったひとり、暗闇の中にもダンスフロアがある。そういう〈ひとりの想像力〉を肯定したいし、大切にしたかったんです」
――『WAKEN』を完成させたことで、どんなことを思いましたか?
「ほっとしています。不安もあったし、自信を失っている部分も多かったから。これから先もアルバムのようにまとまったものを作るのかわからないけど、こうしてリリースしたことで、私の音楽に救われたと言ってくれる人がいる。その言葉に私も救われています」
3月10日にリリースされた『WAKEN Remixes』では、過去にCuusheをフィーチャーしたブレインフィーダーのイグルーゴーストや、中国出身のユー・スー、モスクワのケイト・NV、東京のsubmerseといった先鋭的なアーティストが、それぞれの想像力を働かせながら『WAKEN』の収録曲に新たな解釈を添えている。どのリミックスも前向きなサウンドとなっているのは、Cuusheの音楽から希望めいたものを感じ取ったからだろう。夜明けを迎えた彼女に、明るい未来が待ち受けていることを信じて。