ブリーチャーズが新作『Take The Sadness Out Of Saturday Night』をリリースした。テイラー・スウィフトやカーリー・レイ・ジェプセンらの作品を手掛け、いまや当代一の売れっ子ソングライター/プロデューサーになったジャック・アントノフ(Jack Antonoff)が率いるブリーチャーズ。これまではゴキゲンなエレクトロ・ポップを専売特許にしてきたが、通算3作目となる本作では、持ち前のエモーショナルなメロディーはそのままに、ロック色を強めている。アントノフの故郷ニュージャージーのヒーロー=ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)や、盟友と言うべきラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)もヴォーカリストとして参加。彼らのブルージーな歌声は、作品に陰影と深みをもたらした。
この記事では、音楽ライター/編集者の荒野政寿が本作の大きなテーマとなっている〈ニュージャージー〉という側面から『Take The Sadness Out Of Saturday Night』を解説。かつて栄華を極めた街がいま抱えている哀しみや空虚さが、このアルバムには映されているという。 *Mikiki編集部
BLEACHERS 『Take The Sadness Out Of Saturday Night』 RCA(2021)
再生/購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/Bleachers_TSOSNMK
荒れ果てた工業都市に暮らす労働者のブルース
いつか抜け出したい、しかしなかなか離れることができない郊外の都市――ブルース・スプリングスティーンが初期から何度もブルーカラーの葛藤と悲哀を描いてきた舞台が、彼の地元であるニュージャージーだった。二度の世界大戦の間、軍需産業によって飛躍的な繁栄を遂げたこの工業都市は、スプリングスティーンも『Nebraska』(82年)で歌ったカジノの街、アトランティック・シティの存在がよく知られている。ドナルド・トランプが旗振り役となって80年代前半から開発が進められたこの巨大リゾート地は、その後すっかり衰退して荒廃が進み、いまではほぼゴースト・タウンのような姿に変わり果てている。
そのスプリングスティーンを、自身が率いるブリーチャーズの“Chinatown”でゲスト・ヴォーカルに迎えたジャック・アントノフもニュージャージー出身。彼がキュレートして、2015年から同地で続けてきた音楽フェス〈Shadow Of The City〉は、今年もジャパニーズ・ブレックファストやビーチ・バニーなどを招いて9月11日に開催が予定されている。
失恋とコロナ禍を経て、ニュージャージーへと帰郷
ブリーチャーズのサード・アルバム『Take The Sadness Out Of Saturday Night』は、前2作と違い、ニュージャージー・サウンドの伝統をはっきりと意識して制作された作品だ(タイトルからしてスプリングスティーン的!)。彼がプロデューサーとして手掛けてきた、テイラー・スウィフトやラナ・デル・レイ、ロードの近作もそうだが、自身のバンドでもビートを強調した80年代風のビッグな音作りから次第に離れ、よりオーガニックなバンド・サウンドへと作品性をシフトさせてきた。
世間的には“We Are Young”(2011年)の特大ヒットを放ったファン(Fun.)のメンバー、と紹介されることが多いジャックだが、あのバンドの柱はフロントマンのネイト・ルイスで、ジャックは相談役的な立ち位置だった。ソングライターとしてのジャックの本質は、ファンがブレイクする遥か以前、自身がフロントマンを務めていたスティール・トレイン(Steel Train)の作品にある。ブリーチャーズの新作が持つ告白的な側面や、ニュージャージー・サウンドへの憧憬を隠さない姿勢は、その頃の作風を部分的に思い起こさせるものだ。無論、その頃よりも歌詞は格段に深みを増しているし、元カノであるスカーレット・ヨハンソンの名前をうっかり出してしまった“Better Love”(2005年)の青い明け透けさとは比べようもないのだが。
ジャックはローリング・ストーン誌のインタビューで、新作用に曲を書きはじめた頃、それまでつき合っていたレナ・ダナムと別れて精神的にどん底の状態にあったことを明かしている。その精神状態を、自分がニュージャージーから出て行った頃の感覚と似ている、と思ったというのがひとつ目のポイント。そしてもうひとつのポイントは、彼がコロナ禍の間、両親とニュージャージーで過ごす時間を多く持ったことだ。そうした経緯から、自ずとこれまで以上に内省的な曲が揃い、アルバムとしてのトータル性が生まれていったのだろう。