©︎ 2021 NEOPA / Fictive

日常に埋没しがちな明日を、まっさらな1日として生きるために。

 第71回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)に輝き、話題をさらった濱口竜介の「偶然と想像」は、〈濱口竜介短編集〉と銘打たれる。〈偶然〉をテーマとする、密度の濃い3本の作品群が次々と披露され、めくるめく映画的体験へと僕らを導くのだ。そもそも、長尺の映画を撮る監督との印象も強い濱口にとって、短編の制作は何を意味するのか?

 「私にとって短編は、チャレンジする場です。自分としてはやってみたいんだけど、長編でやるにはコストやリスクが高すぎるやってみたいアイデアを、トライ&エラーで試してみることができる場といえます。短編は日本の興行形態に乗せることが難しい点が課題ですが、今回のようにまとめることで長編尺にでき、公開の可能性も広がる。長編の合間に短編を作るリズムを今後も継続させていきたいですね」

 こうして、世界的に注目を浴びる濱口が挑む実験の場でもある本作からは、彼の才能の新たな側面が浮かび上がるように感じられ、それが軽やかさやユーモアの感触である。

 「当初から短編の制作体制そのものの身軽さは意識していましたが、ご指摘のような軽やかさは、物語のテーマとして偶然を設定したことに由来する部分が大きいと思います。その点は編集の段階で気づかされました。今まで撮れていなかったものが今回は撮ることができたな、と感じることができました」

濱口竜介監督

 偶然をいかに映画にするのか。自分の人生は自身の意志で切り開かれた必然の結果だと自負する人もいるだろうが、僕らの世界や人生は偶然に満ちている(と僕は思う)。いま僕が京都でこの原稿を書くまでの過程にも幾つもの偶然が介在し、人間は偶然に翻弄される存在なのではないか。自分でも不思議なのだが、「偶然と想像」の全編を通して僕が終始気になったのは映画に登場する〈通行人〉の存在だ。物語の本筋や主要登場人物とほとんど関わりなく画面を横切る人々が、しかしひどく重要な存在に思えてくる。もちろん、彼らのなかの何人かは、物語と決定的な交わりを果たすことになるのだが……。

 「偶然を描くうえで、通り過ぎるか、通り過ぎないか、が大事なことだと思います。世の中いろんなことが起きるわけですが、だいたいのことは自分に関係ないこととして通り過ぎる。ただ、ある種の出来事を前に、おや、と立ち止まることもある。それが偶然を摑まえるということなのかもしれません。本来ならただ通り過ぎるだけだったろうポイントで立ち止まることで、それまでとは違うルートが開ける。日常だといつもの通り道で、ただ通り過ぎるだけですが、そこで何かに気づき、立ち止まる。今回の映画では、解決に偶然を使うというよりは、発端に偶然があります。この映画の登場人物らは皆かなり普通の人たちなのですが、その偶然があること、偶然が介入することで彼らの日常が歪んでゆく。それを描こうとしたのです」

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 第1話のタイトル、「魔法(よりもっと不確か)」が本作を考えるうえで重要である。僕らは、いつも偶然の不思議に翻弄されつつ、それを〈魔法〉や〈奇跡〉に置き換えてしまうことで安易に物語化し、偶然の魅惑や苛酷さから目を背けているのではないか? たとえば、僕とあなたが出会い、恋に落ちることができたのは〈奇跡〉であり〈魔法〉であるといった具合に……。この映画で濱口が見事に掴まえるのは、〈魔法〉や〈奇跡〉に還元されることなく、それらよりもずっと〈不確か〉な偶然である。微細でさり気なく、しかし、だからこそ驚嘆すべき偶然。いつもは通り過ぎるだけの道なのに、ふとした偶然で何かに気づき、立ち止まることで僕らの人生に生じるささやかな歪み。この映画を見ることで僕らは、偶然に開かれた人生を送るうえで、単なる〈通行人〉なんてどこにもいないことに気づかされ、日常に埋没しがちな明日をまっさらな一日として生きることができるようになる。

 


CINEMA INFORMATION
映画「偶然と想像」

監督・脚本:濱口竜介
出演:(第一話)古川琴音 中島歩 玄理/(第二話)渋川清彦 森郁月 甲斐翔真/(第三話)占部房子 河井青葉
配給:Incline LLP(2021年|日本|121分|PG12)
2021年12月17日(金)Bunkamuraル・シネマ他全国公開!
https://guzen-sozo.incline.life/
Twitter:@FilmWFF