アヴリル・ラヴィーンがいま再評価されている。世界中の多くのアーティストが彼女へのリスペクトを公言し、アヴリルが十八番にしてきたポップパンクサウンドも現在リバイバル中。つい先日、TOMORROW X TOGETHERのHUENINGKAIが彼女の人気曲“Sk8er Boi”(2002年)をカバーしたことも話題になった。ここ日本でも、先日「ミュージックステーション」でパフォーマンスを披露し、明日の2月22日(火)には朝の人気バラエティー番組「スッキリ」への登場が予定されているなど、にわかに彼女への注目が集まっている印象だ。今週2月25日(金)には待望の新作『Love Sux』のリリースを控えているアヴリル。この記事では、ライターのセメントTHINGが、彼女の再評価の背景を探った。 *Mikiki編集部
2000年代の新世代スターが困難に直面した2010年代
2021年6月21日、国際スケートボードの日〈Go Skateboarding Day〉。アヴリル・ラヴィーンがTikTokのアカウント開設と同時に投稿した一本の動画が、インターネットを揺るがした。動画の内容は大ヒット曲“Sk8er Boi”に合わせアヴリルが口パクで歌い、そして彼女とお揃いのネクタイをした伝説的なスケートボーダー・トニー・ホークがトリックを披露するというもの。この投稿は大反響を巻き起こし、3,000万回以上の再生回数を達成した。なぜいまこんなにもアヴリルは世界に熱狂的に迎えられているのだろう? 彼女のキャリアを概観しつつ、その理由に迫りたい。
2002年、アルバム『Let Go』で新世代のスターとして鮮烈にデビューしたアヴリル。弱冠17歳だった彼女の繊細な感性が活きた名曲の数々は、すぐに世界中のリスナーに愛された。その後よりヘヴィーさを増した2作目『Under My Skin』(2004年)、ポップパンク色を押し出しつつも明るく方向転換した3作目『The Best Damn Thing』(2007年)も大ヒット。日本でも洋楽史上初の3作連続ミリオンという前人未到の記録を達成している。
だが、アヴリルにとって次の2010年代は順風満帆とはいかなかった。世の中がEDMやヒップホップ全盛期に突入していく時代は、バンド主体のサウンドを志向していた彼女には逆風だった。〈ラジオではもうギターと生のドラムが入った曲はかからない〉と感じられたこともあり、さまざまな苦労を重ねたのだという。また、2014年には不幸にもライム病に罹患し、音楽活動を一時的に休止せざるをえなかった。その間も数々のヒットソングを送り出してはきたものの、さまざまな困難に直面した10年だったといえるだろう。