タワーレコードのフリーマガジン「bounce」から、〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに、音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴っていただきます。今回のライターも渡辺祐さんです。 *Mikiki編集部
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歴史をうがつレキシをうがってみました。
歴史は圧縮されるのであります。「昭和だねえ」というフレーズもざっくり使われていますが、「昭和」ったって62年と14日あったわけで、最初と最後じゃだいぶ違う(ましてや凄惨な戦争あるし)。「江戸時代」は約260年間。「戦国時代」が約120年間。えー、そんなにどこかで戦争してたの? ましてや「縄文時代」に至っては約1万年間で、「白亜紀」たるや7千950万年間。ひゃー。
コロナ禍も、ロシアのウクライナ侵攻が始まってからの時間も、いまこの瞬間には長いと感じられるわけですが、数年後、数十年後には「令和コロナ禍」「ロシア軍ウクライナ侵攻」のワンフレーズに圧縮されるに違いなく。しかも、歴史は都合のいい話が書かれる傾向にあるわけで、この刹那に起きている不都合な事実はそのワンフレーズの彼方へと。きっと記述が短いぞ、菅政権。
いかん、思いのほかカタいことを書いてしまった。レキシさんの話だった。縄文以来の長ーい日本ヒストリーの中に記されてきた逸話、伝説、おもろい文化芸能、みんな大好きあの偉人、といった気になるアイテムのあれやこれやをポップ&ロック&ソウル&ファンクに仕立て上げる21世紀の読み売り師。音盤はもちろん、その辻売り=ライブの猛烈な面白さは当代傑出。誕生からは20余年、正式デビューから数えても15年、すでに知らない人は知らないけど知っている人はよく知っている(笑)、という希有な存在感。
何ごともワンフレーズに集約されていくという理屈で言えば「日本史を歌にする」というひとことで記されがちなレキシですが、いやお待ちください。レキシが歌っているのは「史実そのもの」ではありませぬな。かと言って歌舞伎講談浪曲的な「盛った話」とも違う。お館様ご本人もおっしゃるように、「その時、歴史が動いた」的なできごとにも「一瞬一瞬の積み重ねがあったはず」という、優しくて純な想像力を働かせる。その刹那刹那にあったアフェアやウォーリーやジレンマやラヴに思いを馳せるのがレキシの歌。だから戦(いくさ)も政変もラヴソングになったりする。圧縮を解く想像力。もっと言えば妄想力。
思えば、今般のウクライナ侵攻をしているロシア兵が、いったいどんな心持ちなのか。昭和後期以来のぬるま湯育ちの弊アタマには過積載な話ですが、想像してみると「違い」が少しわかる気もする。あっちをわかりかけて、結局こっちがわかる。毎日、戦況がテレビに映る、まさに戦争タイムラインな時代ですが、当然、ロシア側もウクライナ側も兵站の様子なんかぜんぜん映らないですからね。みんな、どんな寝床で寝て、何食って、どこに雲古してるんだ? いや、もっとアレなことがアレなのだけど。
いかん、思いのほかカタそうでカタくないことを書いてしまった。「事実」が(誰かに)都合良く積み重ねられ、結果、圧縮されてしまうのだとすれば、純情愛情想像で「うがつ」のは、こちとら陋巷の身のささやかなお慰み。「穿つ(うがつ)」の意味には「うまいことを言う」というのがありまして、川柳の三要素(穿ち・おかしみ・軽み)のひとつだそうです。そう思うと、レキシの歌は川柳や狂歌の了簡に近しいのでござろうか。
ちなみに冒頭の歴史圧縮現象&歴史ご都合化現象をリアルに感じたい方は、元カレ元カノとの記憶が、付き合った年数にかかわらず、もの凄く圧縮され、都合良く書き換えられているということを思い起こしていただきたきたい。個人の感想ですが。
著者プロフィール
渡辺祐(わたなべたすく)
1959年神奈川県出身。編集プロダクション、ドゥ・ザ・モンキーの代表も務めるエディター。自称「街の陽気な編集者」。1980年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。以来、音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続けている。現在はFM局J-WAVEの土曜午前の番組「Radio DONUTS」でナヴィゲーターも担当中。
〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉は「bounce」にて連載中。次回は2022年6月25日(土)より全国のタワーレコードで配布開始される「bounce vol.463」に掲載。