Photo by Özge Cöne

2017年以降、英国ロンドンへと拠点を移して活動しているボーカルパフォーマーのハチスノイトが、約7年ぶりとなるサードアルバム『Aura』を完成させた。これまでのアルバム、とりわけ大胆な電子加工を施すことでサウンドコラージュの側面が大きな特徴を成していた前作『Illogical Dance』(2015年)からは一転し、今作ではあたかもライブパフォーマンスを録音物というフォーマットで上演しているかのような作風へと変貌。一部フィールドレコーディングを取り入れつつ、深みを増したヴォイスのアコースティックなサウンドがサイトスペシフィックな空間の響きと共鳴する、有機的で一回的な魅力を湛えたアルバムに仕上がっている。

ジョアン・ラ・バーバラ『Voice Is The Original Instrument』(76年)やビョーク『Medúlla』(2004年)をはじめとしたヴォイスの多重録音アルバムの系譜に新たなページを刻む『Aura』はどのように誕生したのか。今回のインタビューでは、渡英後の活動からアルバム制作のプロセスやテーマ、さらに芸術と政治の関わりにいたるまで話を伺った。

ハチスノイト 『Aura』 Erased Tapes/インパートメント(2022)

 

Masayoshi Fujitaとの交流、プラットフォーム〈SHAPE〉への参加

――ハチスノイトさんは2017年に日本からロンドンへと移住されました。移住後はどのような流れでロンドンのシーンと関わりを持つようになったのでしょうか?

「ロンドンのシーンを知るきっかけになったのは、移住前にビブラフォン奏者・Masayoshi Fujitaさんのサポートを務めたことでした。彼がまだベルリンに住んでいた頃、日本に一時帰国して凱旋ツアーを行なったのですが、そのときに一緒に参加させていただいたんですね。その彼がロンドンのイレースト・テープスからアルバムを出していたので、その流れで私もレーベルとつながりができて、『Illogical Dance』の再発(2018年)、そして今回3枚目のアルバム『Aura』をリリースさせていただくことになったんです。

2018年のリイシュー『Illogical Dance』収録曲“Illogical Lullaby (Matmos Edit)”

それと2019年に〈SHAPE〉という、ヨーロッパ発のアーティストを支援するプラットフォームに参加させていただいたことも大きかったです。EUの〈クリエイティブ・ヨーロッパ〉プログラムが共同出資していて、毎年48人のアーティストを選出してフェスティバル出演やワークショップ参加などさまざまなサポートを行なっているのですが、そこに選んでいただいたことがきっかけで他の同じぐらいのキャリアのアーティストと知り合ったり、ライブの回数も増えていったりしました。私のときはライラ・プラムク(Lyra Pramuk)というベルリンを拠点に活動しているトランスジェンダーのアーティストが講師を務めていました」

 

ようやく〈自分の音楽〉に辿り着いた

――新作『Aura』はいつ頃から制作を始めましたか?

「アルバム作りはロンドン移住後から考えていました。というのも、まずは海外流通盤を出さないとブッキングも難しいと言われていて、名刺代わりになる作品を出さなければいけないなと思っていたんです。結果的にはアルバムを出す前からライブにお誘いいただけて、それは嬉しい誤算でした。

私自身はあくまでもパフォーマーで、プロデューサーではないと思っているんです。日本にいた頃はPURRE GOOHNの田中晴久さんが私の苦手な部分を助けてくださっていたんですが、ロンドンに来たばかりの頃は誰と一緒にやりたいのかもわからず、どうしようと戸惑う日々。しかも新しい環境に馴染まなければならなくて、いちから人脈を作っていったので、最初の2年間はロンドンでの生活に慣れるのに精一杯でした。

ただ、〈アルバムを作るぞ〉という大きな目標はずっと頭の中にありました。徐々にライブをやらせていただける機会が増えて、他のアーティストのライブも観ていくうちに、自分がやりたいことも固まっていきました。たとえば電子音や器楽音といった、声以外の音を使うかどうかということがアルバム作りの最初の選択肢としてありました。けれど他のアーティストのハイレベルなライブをたくさん観て、いろいろな刺激を受けるなかで、自分が次に作るアルバムは声だけにしようというビジョンがハッキリと見えてきたんです。

他のアーティストのライブからは音楽的影響というよりも、どういうふうに音楽と向き合っているのかという点で刺激を受けました。たとえばイレースト・テープスのレーベルメイトでもあるニルス・フラームやライバル・コンソールズ、ルボミール・メルニク、ピーター・ブロデリック等々、たくさんのライブを観る機会があって、その人たちがどういうふうに自分の音を探しているのか、どういうふうに自分のスタイルを作っているのかということを、直接の会話も交えて学びました。基本的なことではありますけど、ミュージシャンが誰かの真似ではなく自分の音楽を探すとはこういうことなのか、と。

私はいったい何者で、どういうことができて、自分のユニークな部分は何であるのか、ライブを重ねながらひたすら探していくなかで、ようやくアルバムという形に辿り着いた。その意味で『Aura』は一番自分に近い作品になったなと感じています」