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ポスト・クラシカル〉と〈インディー・クラシック〉 という2つのムーヴメントを柱とし、21世紀以降のクラシック音楽をフィーチャーする連載〈Next For Classic〉。久しぶりの更新となる第2回では、ポスト・クラシカルのシーンで圧倒的な個性を放つUSはポートランド出身で87年生まれの作曲家/シンガー・ソングライター、ピーター・ブロデリックを取り上げる。アンビエントにフォーク、インディー・ロックまで予測不能のキャリアを歩み続け、今年9月に待望の来日ツアーを行う才人に、この連載の監修を務める音楽ライターの八木皓平がインタヴューを行った。 *Mikiki編集部

 

ピーター・ブロデリックがそのキャリアを通して試みていることは、〈ポスト・クラシカルの拡張〉と解釈できるかもしれない。ポスト・クラシカルはクラシック/現代音楽におけるドローン/アンビエント的な部分を抽出し、再解釈したものであり、ピアノやストリングスを主体としたモノクロームな音楽だと捉えられがちだが、ピーター・ブロデリックはそこにフォーク・ミュージックやインディー・ロックの要素を接続させることで、同ジャンルに豊かな彩りをもたらしてきた。

共演作も含めると彼のディスコグラフィーは多岐に渡るが(一覧はこちら)、初期の作品『Home』(2008年)にはボン・イヴェールフリート・フォクシーズと並べて聴けるフォーク・サウンドが詰まっているし、近作の『Colours Of The Night』(2015年)ではニール・ヤングを思わせるようなバンド・アンサンブルを奏でている。その一方で、最新作の『Partners』(2016年)ではジョン・ケージが考案したチャンス・オペレーションを活用するなど、音楽家としての姿勢はチャレンジング極まりない。さらに、彼は音楽を巡るメディアの現状までを作品の題材としており、アートワークや歌詞のみならず、楽曲にまつわる情報を閲覧することができるURLがそのままアルバム・タイトルとなった『http://www.itstartshear.com』(2012年)や、写真やワードと共にネットへアップし、彼のファンと共有して楽しんでいた楽曲群を土台に制作した『These Walls Of Mine』(2012年)の2作が象徴的だ。

このように、今日の音楽シーンにおいてユニークな才能を発揮しているピーター・ブロデリックが、9月23日(金)~29日(木)にかけて全国5都市・6公演を回るジャパン・ツアーを行う。そこで今回は、日本ではまだ十分に紹介されているとは言い難いピーター・ブロデリックという音楽家の全体像を把握するために、彼のキャリアや音楽的な影響源、ライヴの見どころについて訊いてみた。

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2010年のスタジオ・パフォーマンス映像

 

僕のインスピレーションは絶えず変化している

――まずは、プロ・ミュージシャンとして活動を始めることになるまでの経緯について教えてください。

「僕のキャリアが本格的に始まったのは、2007年にデンマークのエフタークラングに誘われてバンドに参加したときだね。それ以前はオレゴン州ポートランドでたくさんのグループで演奏したり、パートタイムの学校に通ったり、ピザを焼く仕事をしていたんだよ。エフタークラングとはMySpaceで知り合ったんだけど、当時のMySpaceは音楽をシェアしたりアーティスト仲間と繋がったりするのに最適なプラットフォームだったんだ。デンマークに移住した僕はエフタークラングの一員としてツアーしたり、ソロ・アクトとして彼らのサポートも行ったよ」

――エフタークラングに参加した経験は、自分の音楽性にどのような影響を与えましたか?

「興味深い質問だね。なぜなら、エフタークラングは参加する前からお気に入りのバンドの一つだったし、彼らはいまだに僕にとってのヒーローだからさ。でも、それは自分がソロ・アーティストとして作っている音楽とはまったく別個の取り組みだとなんとなく感じている。僕自身は、彼らから直接的に影響を受けているかどうかは正直わからないな。でも、彼らと多くの時間を過ごしたことで、(ミュージシャンとして)たくさんのライヴを行うことがどんなものなのかを経験することができた。彼らと共にツアーを回ることで、本当に多くを学んだんだ」

ピーターが実姉ヘザー・ブロデリック、ニルス・フラームと共に参加したエフタークラング“Modern Drift”のパフォーマンス映像
 

――エフタークラングも大きく括ればインディー・ロックに属すると思うのですが、いわゆるインディー・ロックのサウンドやカルチャーから影響を受けている部分はありますか?

「もちろん。〈インディー・ロック〉はとても意味合いの広い言葉だと思う。それに、すべての音楽用語のように、とても主観的だよね。でも、10代の頃にいわゆる〈インディー・ミュージック〉を発掘して、すっかり魅了されたことをよく覚えているよ。(当時は)その言葉が持つ意味を完全には理解していなかったけど、僕が好んで聴いていたもののいくつかに当てはまっていたと思う。広義の〈インディー・ミュージック〉とは、お金を生み出すことを主な目的とするビッグなレコード・レーベルにコントロールされるのとは反対に、アーティストが持つ創造の自由性によって作られる音楽を意味しているよね。そういう意味では、僕は〈インディー・ミュージック〉をとても支持しているよ」

――10代の頃に魅了された音楽というのは、例えばどのあたりですか?

「小さい頃は、90年代にアメリカで人気があったオルタナティヴ・ロックを聴いていた。ニルヴァーナウィーザースマッシング・パンプキンズサウンドガーデンシルヴァーチェアーストーン・テンプル・パイロッツブッシュとかね。7歳のときからヴァイオリンを演奏していたんだけど、当時の僕はヘヴィーで過激な音楽や、よりパンキッシュでメタリックなサウンドにのめり込んでいたのさ。家の中にはたくさんのアコースティック楽器があったのに、16歳になるまでソフトな音楽を正しく理解することはなかった。その頃になって、映画『ドニー・ダーコ』のスコア(マイケル・アンドリュース※1が担当)やエリオット・スミスの音楽に恋に落ちて、それからシアトルのバンドであるカリッサズ・ウィアード※2のことも好きになったんだ」

※1 67年生まれのマルチ・ミュージシャン/コンポーザー/プロデューサー。自身のソロ作『Spilling A Rainbow』(2012年)ではピーターとも通じる、フォーキーでシネマティックな音世界を描いている

※2 90年代後半~2000年代前半に活躍したサッドコア・バンド。バンド・オブ・ホーセズベン・ブリッドウェルが在籍していたことで有名

2002年の映画「ドニー・ダーコ」サントラ収録曲“Time Travel”
カリッサズ・ウィアードの2002年作『Songs About Leaving』収録曲“So You Wanna Be A Superhero”
 

――ここからは、あなたのディスコグラフィーについて訊かせてください。ソロ・デビュー作『Docile』(2007年)こそソロ・ピアノ作品でしたが、次作の『Home』を聴けばわかるように、あなたの音楽には一貫してフォーク・ミュージックの影響が感じられます。

「僕のインスピレーションは絶えず変化している。『Home』をリリースしたとき、いろんなレヴューでサイモン&ガーファンクルと比較されていたけど……その頃は正直、彼らがどんな音楽をやっているのか知らなかったんだ。彼らを聴くようになったのはつい最近の話で、いまのところほとんどポール・サイモンのソロ作しか聴いていない。それで、僕にとってアコースティック音楽の影響を本当に及ぼしたきっかけはエリオット・スミスだね。『Home』を作る前はそんなに聴いてなかったんだけどさ。あと、当時はソングス・オブ・グリーン・フェザントにもインスパイアされていたことをよく覚えているよ。他にも多くの影響源があったと思う」

※UKシェフィールド出身のダンカン・スンプナーによる宅録ソロ・プロジェクト。サイケデリック・フォーク調のサウンドで知られ、2000年代中盤にはファット・キャットよりアルバムを発表していた

2008年作『Home』収録曲“Below It”
ソングス・オブ・グリーン・フェザントの2005年作『Songs Of Green Pheasant』収録曲“I Am Daylights”
 

――影響源というのは、例えば?

「たぶん、ここで名前を挙げるべきなのはブライアン・イーノだろうね。2006年にイーノの世界を発見したとき、僕は彼のカタログの多様さに圧倒されたんだ。イーノの音楽は自分が興味を持ったさまざまなタイプの音楽を追求することの励みになったよ。それから何年か経って、アーサー・ラッセルを発見したときにも同じように感じたね。彼ら2人は、本当に幅広い音楽性を試みてきたんだ」

ブライアン・イーノの77年作『Before and After Science』収録曲“By This River”
アーサー・ラッセルの94年作『Another Thought』収録曲“A Little Lost”