Kenta Dedachiがついにリリースしたメジャーファーストアルバム『Midnight Sun』には、インディーズ時代のアルバム『Rocket Science』(2019年)以降の彼の歩みが凝縮されている。ルーツである賛美歌やゴスペルの要素、そしてポップミュージックに親しんだシンガーソングライターとしての素養を存分に活かしながら、コロナ禍に突入した世界での心の揺れ動き、そのなかから生まれた曲が総決算されているからだ。“Strawberry Psycho”や“Stay with me”、“Fire and Gold”といったシングルで垣間見せてきた、変化し成長した〈新しいKenta〉が、『Midnight Sun』にははっきりと刻み込まれている。

KOSEN(Colorful Mannings)と作り上げた『Rocket Science』から一転して、本作で迎えられたのは、KOSENに加えて、レナート・イワイ(Renato Iwai)、Rouno、Kibunyaという4人のプロデューサーだ。そのコラボレーションがもたらしたのは、現代的でポップなダンスミュージックがあれば、オーガニックなサウンドの心温まるバラードもある、という音楽性の振れ幅の広さ。

その一方で、自身の感情を切々と歌ったリリックから、ストーリーテラーとして人々の人生や恋愛模様を映し出したドラマティックな歌詞まで、各曲が描く物語もかなり多様になっている。だからといってバラバラな作品になっていないのは、やはりKenta Dedachiの歌が軸として、主人公として作品の中心にいるからだろう。『Midnight Sun』は、Kenta Dedachiの歌の力を噛みしめる作品でもある。

ここでは、『Midnight Sun』の収録された全曲について、Kenta Dedachiにじっくりと話を訊いた。ボーナスディスクなどの豪華特典が付いた完全生産限定盤CDのリリースも発表された本作を、かなり深く知ることができるインタビューになったと思う。

なお、ここで触れていない“Tattooed Hollywood”と“Strawberry Psycho”、“Stay with me”、“Fire and Gold”という既発のシングルについては、それぞれのインタビューを参照してもらえると幸いだ。

Kenta Dedachi 『Midnight Sun』 エピック(2022)

 

メジャーデビューの実感

――4月にリリースしたシングル“Fire and Gold”がメジャーデビュー曲でしたよね。『Midinight Sun』はメジャーファーストアルバムということになりますが、変化は感じていますか?

「実際に感じていることはそれほどないのですが、アーティストとしての僕をサポートしてプッシュしてくれるチームのメンバーが増えたので、以前よりブラッシュアップされた作品を作れていると感じています。それが楽しいですし、自分もより成長できているな!って思いますね」

――5月の「Kenta’s Journal」では、〈セルフケアデイ〉として海辺でギターを弾いたり、フィルムカメラで写真を撮ったりしていましたよね。

「Kenta’s Journal Vol.76 SELF CARE DAY 小さい頃から大好きだった歌」

「自然が好きなので、自分自身を休めて気を落ち着かせるセルフケアデイには、海に行こうかなと思って。LAにいる時も、疲れたときは友だちと海に行ったりしていました。

フィルムカメラはeBayみたいなアメリカのサイトで買ったものなんですが、やっぱり写真の質感が良いんですよね。友だちといる時間とかをパシャッと撮ると、そのモーメントをもっと生きられる感じがします」

――海辺にギターを持って行くって良いですよね。ヘッドホンで聴いていたら、波の音がいい感じにミックスされていました。

「波の音、ちょっとうるさすぎたかも(笑)。でも、癒やされますよね」

――あの動画では、“アイ・キャン・オンリー・イマジン”(2020年)で共演された小坂忠さんへの思いを語って、賛美歌“ハレルヤ神の聖所で”を歌っていましたよね。小坂さんが4月に亡くなったことは、本当に残念でした。

「そうですね……。実は、ご体調についてはお聞きしていたので、心の準備はしていたんです。亡くなる前、会ってお話しすることが難しかったので、手紙をお送りしました。でも、その3日後くらいに亡くなってしまったので、読んでいただけたかはわかりません。

忠先生のことはすごく尊敬していましたし、自分もクリスチャンでミュージシャンなので、繋がっている感じがしていたんですね。音楽はもちろん、牧師先生としてグッドニュース(福音)を伝えることに対するパッションも強くて、お人柄にもそれが表れていました。たくさんアドバイスも頂きましたし、〈この人みたいに生きてみたい〉と思った僕のロールモデルです。なので、亡くなったのは本当にショックでしたね」