米ラスベガス出身、現在はブレンドン・ユーリーのソロプロジェクトであるパニック!アット・ザ・ディスコが、2022年8月19日(金)にニューアルバム『Viva Las Vengeance』をリリースする。ここ日本でもヒットした“High Hopes”(2018年)から4年ぶりの新作として注目されている本作。今回も瑞々しいメロディーとブレンドンの魅力的な歌が伸びやかに響きつつ、新たなサウンドに挑んでいるはず。とはいえ、作品ごとに大きな変化を遂げてきたバンドだからこそ、その歩みをおさらいして新作に備えるのもいいだろう。そこで、音楽ライターの山口智男がパニック!アット・ザ・ディスコのデビューから現在までを綴った。 *Mikiki編集部
2作連続全米No.1のバンドを背負う男
2016年1月の『Death Of A Bachelor(ある独身男の死)』と2018年6月の『Pray For The Wicked』。2作連続で全米No.1だなんて、パニック!アット・ザ・ディスコ(以下P!ATD)の看板を、たった1人で背負いつづけるブレンドン・ユーリー(ボーカル)は、ホントによくがんばっている。
デビューした頃からP!ATDを知っていて、20歳の頃のブレンドンにインタビューしたことがある筆者は、ついついそんなふうに思ってしまうが、日本におけるP!ATDの知名度をぐっと上げ、ポップスターとしての人気を決定づけたヒットシングル“High Hopes”でP!ATDのことを知ったリスナーは、ひょっとしたらP!ATDが元々、4人組のバンドだったことなんてもう知らないのかもしれない。
P!ATDのデビューは、もはや17年前のことだ。そんな昔のことを知るわけがないという若いファンがいても全然不思議ではない。しかし、その17年前のことが、P!ATDが8月19日にリリースする4年ぶり、7作目のアルバム『Viva Las Vengeance』に少なからず関わってくるので、この機会にP!ATDのキャリアを改めて振り返ってみたい。
デビューフィーバーと波乱に満ちたキャリアの始まり
P!ATDの結成は2004年。スタートはネバダ州ラスベガスの高校に通うブレンドン、ライアン・ロス(ギター)、スペンサー・スミス(ドラムス)、ブレント・ウィルソン(ベース)の4人組がネットに曲をアップしたことだった。その曲がフォール・アウト・ボーイのベーシスト、ピート・ウェンツの耳に止まり、P!ATDはいきなり翌2005年9月、ウェンツがフュエルド・バイ・ラーメン傘下に始めたレーベル、ディケイダンスから『A Fever You Can’t Sweat Out(フィーバーは止まらない)』でデビューを飾ったのだった。因みにディケイダンスと契約したとき、P!ATDはまだ一度もライブをやったことがなかったという。それでもウェンツに契約したいと思わせたのだから、よっぽどネットにアップした曲にインパクトがあったのだろう。
PANIC! AT THE DISCO 『A Fever You Can’t Sweat Out』 Decaydance/Fueled By Ramen/ワーナー(2005)
そんなウェンツの読みは的中。フォール・アウト・ボーイの弟分を思わせるエモいポップパックサウンドにエレクトロニックな味つけを加え、差をつけた『A Fever You Can’t Sweat Out』はポップパンクからのエモブームの延長でフレッシュなバンドを求めるシーンに大歓迎され、全米13位に食い込むスマッシュヒットを記録。高校を卒業したばかりの4人はたちまち新進気鋭のバンドとして脚光を浴び始めた。
全米7位まで上がったシングル“I Write Sins Not Tragedies(いつわりのウェディング)”のゴシックでクラシックな装いのMVがバンドのビジュアルイメージを印象づけたと思うのだが、そのMVが〈MTVビデオ・ミュージック・アワード〉でレッド・ホット・チリ・ペッパーズの“Dani California”、マドンナの“Hung Up”を抑え、ベスト・ビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞したことが、彼らのデビューフィーバーを物語っていた。しかし、それは同時に常に変化しつづける波乱に満ちたキャリアの始まりでもあったのだった。