FUELED BY RAMEN
[特集]フュエルド・バイ・ラーメンの現在

フォール・アウト・ボーイやパラモアらを輩出したかつてのインディペンデントの雄は、影響力のあるブランドとしていまも別格の輝きを放っている。そして2023年……

 プロモーター志望だったフロリダ大学の学生ジョン・ジャニックがヴィニー・フィオレロ(レス・ザン・ジェイク)と組んで95年に設立したフュエルド・バイ・ラーメン(FBR)。安価なインスタントラーメンでしか腹は満たせなくてもレコード制作に資金を投入する……というDIY精神に溢れたレーベル名の由来もよく知られていますが、それから25年以上が経ってレーベルの在りようも大きく変化してきました。

 パンクを中心としたインディー・レーベルとしての躍進はジミー・イート・ワールドのEP『Jimmy Eat World』の成功によって初めてオフィスを購入した98年に始まり、やがてワーナーの流通部門と提携することで支持をジワジワと拡大。2003年にはフォール・アウト・ボーイ(FOB)を送り出し、その人脈を通じて契約したアカデミー・イズやジム・クラス・ヒーローズらのフレッシュな顔ぶれが徐々にFBRの看板となっていく。ジャニックはFOBを後見しつつピート・ウェンツとサブレーベルのディケイダンス(後に独立)を設立し、ダブルネームでパニック!アット・ザ・ディスコやコブラ・スターシップなど多彩なアーティストと契約。レーベルのカラーも徐々にパンクやエモの定型にこだわらないものに変貌していくのでした。

 そんななかでヴィニーが2006年にレーベルを去る一方、マンハッタンにオフィスを構えた2007年にはパラモアの『Riot!』がプラチナ・ヒットを記録。それらの数年にわたる絶大な実績を買われたジョンは2009年にエレクトラの重役に就任し、そのままFBRも正式にメジャーの傘下に加わることになります。業界の大物になったジョンは2012年にインタースコープに移りますが、その前に彼が契約していたファンの『Some Nights』(2012年)とトゥエンティ・ワン・パイロッツの『Vessel』(2013年)の大ヒットは、パラモアの『Paramore』(2013年)とトゥエンティ・ワン・パイロッツ『Blurryface』(2015年)、パニックの『Death Of A Bachelor』(2015年)といった全米No.1作品の連発もあってFBRというブランドの価値とイメージをさらにモダンに更新することになりました。

 以降もアーティストの出入りがありつつ、この2023年にはFOBのレーベル復帰が実現。2017年から在籍するオール・タイム・ロウといった大物たちはもちろん、フレッシュな顔ぶれの新作も相次いでいるFBRの現在をチェックしてみましょう!