登場人物の全員が呆れるほどに不器用だ。100歳の主人公の老人ホームからの遁走劇がそもそも危なっかしくて見ていられないし、それを助ける連中も何一つまともにことを運べないドン臭さだ。ひょんなことから大金を手にした彼らを追うギャングや警官も、揃いも揃って壊滅的なドジの連鎖を繰り広げる。そんな映画を、なぜ観客は苛立たしい思いも抱かずに見続けることができるのか。
主人公が老人ホームの窓から脱出する場面、サンダルで窓枠に乗っかるショットの心もとなさにはらはらするけれど、実はこの窓の場面に先立つ冒頭に、 もう一つ興味深い窓の場面がある。飼い猫を狐に殺された主人公が、あろうことか罠の餌にくくりつけたダイナマイトで狐を爆殺してしまう。窓越しに爆破の遠隔操作をする彼の手つきの覚つかなさもさることながら、愛猫の死への悲嘆と憤怒を爆薬で表現するという行為自体の究極の不器用さに唖然とする。唖然とすると同時に、見る者は、不器用であることが思いもよらぬアクションに結びつくことへのスリルとカタルシスを感じてもいるのだ。
上記のサンダルは窓の下の地面に着地するが、その主人公の足は(回想場面も含めて)、ロシア、アメリカ、スペイン、フランス、バリ島にまでさまよっていく。かくも広く遠くへと映画をいざなうのは、主人公らが重ねるひたすらお間抜けな振る舞いにほかならない。これは、ロードムービーを推進するエンジンとは何か、という問いに対する一つの答えだ。
この映画には、主人公の父親をはじめとして、機関銃のように言葉を吐き出しては周囲(や自ら)をアジる人間が何人も登場する。彼らがある瞬間、突然の死に見舞われるのは、彼らがかかる饒舌さで言葉を繰り出すが故であるかのように見えてくる。それとは対照的に、我が事すらままならない舌足らずな主人公たちが、どこまでもぬらぬらと生き延びてしまい、ラストでは拙劣な言葉こそが到達し得る愛の「告白」劇すら出現させる、という特権を獲得しているからだ。
ドジと間抜けこそが映画を活性化する。それを鮮やかに示したのが、『ファーゴ』をはじめとするコーエン兄弟の映画だが、『100歳の華麗なる冒険』はそれを継承しつつ、不器用の新たな王国を築いている。
MOVIE INFORMATION
映画「100歳の華麗なる冒険」
世界40カ国で翻訳! 800万部を超える大ベストセラーの映画化。
100歳の誕生日に老人ホームを逃げ出したアランの摩訶不思議な人生が格別の元気をくれる北欧エンターテインメント!
11/8(土)新宿ピカデリー他全国ロードショー
監督:フェリックス・ハーングレン
脚本:フェリックス・ハーングレン/ハンス・インゲマンソン
原作:ヨナス・ヨナソン 音楽:マティ・バイ
出演:ロバート・グスタフソン/イヴァル・ヴィクランデル/ダヴィド・ヴィバーグ/ミア・シュリンゲル/イエンス・フルテン/アラン・フォード/他
配給:ロングライド (2013年 スウェーデン 115分)
100sai-movie.jp
intoxicate presents
特別試写会
映画「100歳の華麗なる冒険」
特別試写会に35組70名様をご招待!
日時:10/17(金) 18:30開場 19:00開映
会場:シネマート六本木
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