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自分自身との対話こそが創作の根源

――いま、挙げてくださったアルバム『East Of The Aegean』をリリースした2008年、シュミートさんは自身のソロアルバム『Klavierraum』をリリースしていますね。

「その前、2001年に『Bilder Musik Zu Kurt Weill』というソロアルバムも出しているのですが、これはスクリーンに映写されたクルト・ヴァイルのドキュメンタリー映画を観ながら、即興で作ったものなのです。映画のサウンドトラックみたいなものなので、実質的には2004年に録音した『Klavierraum』こそが最初のソロアルバムといえます。そしてこのときに初めて、電気的な異化効果やループを試みました。もともとは妊娠中の妻のために作ったプライベートな瞑想曲で、公に発表するつもりはなかったんですよ。『Wolken』(2009年)がflauレーベルからの発売を前提にした、最初のアルバムです」

2008年作『Klavierraum』収録曲“Mit Dem Schneebesen!”
 

――『Klavierraum』から新作の『Piano Diary』(2021)に至る変遷を辿っていくと、シュミートさんの一貫した個性を感じると共に、音楽自体はとても多様であることに驚かされました。この十数年を振り返ってみて、シュミートさんご自身としては〈変わったこと〉と〈変わらないこと〉、どちらのほうが多いように感じられますか?

「コアは変わっていないと思います。変わったことといえば、20年前に比べて、今のほうがゆっくりしていてシンプルで、忙しくないものが好きになったことぐらいでしょうか。しかし、これは状況に大きく左右されます。大きくてダイナミックな都市にいると、ゆっくりとしたシンプルな構造にしたくなるのです。

すべてのソロアルバムにおいて、私の衝動となっているのは自分自身と対話し、自分のクリエイティビティーについて確信をもつことです。だからこそ、多くの作品がとても瞑想的な効果を持つのです。即興で作曲するという私の考えもずっと変わっていません。レコーディングの前に曲を書き留めておくことはほとんどありませんが、楽曲の構成、リズム、モチーフ、テンポの曲想といった観点から始める既成のアルゴリズムがあるんです」

――もうちょっと具体的にいうと、それはどのようなものなのでしょう?

[アルゴリズムとは、情報の抽象的なパターンのことで、ほとんどのものをアルゴリズムで表現することができます。作曲においては、例えば〈ポップソングの4コード進行(I–V–VI–IV)〉のようなパターンをアルゴリズムで表現するには、そのパターンを即興で作曲するための始まりとして、調性や配置(ヴォイシング)などの特徴を1つか2つ変えるんです。そうすると既知の構造とわずかの新しい情報が混ざり合うことで緊張感が生まれ、新たなインスピレーションへと導いてくれます。アルゴリズムの見事なお手本といえるのが、『ピタゴラスイッチ』のアルバムに収録されている“アルゴリズムこうしん”ですね。

緊張感が大事なので、私はファーストテイクが大好きなんです。サウンドを認識する瞬間、手つかずの雪景色にそっと足を踏み入れるような感覚は、私がいつも音楽に求める魔法のようなものです。その音楽のキャラクターが私の心に響けば、さほどではない技術的な不確かさやリズムのつまずきを許容することができます。

この手法を、長年かけて少しずつ完成させてきたからでしょう。今では非常に構造的で、巧みに構成されているように思われる楽曲でも、自然発生的に演奏できるようになりました。それに対して、自分の過去のアルバムを聴くときの感覚はいつも一緒で、初期作であっても、成熟しているという意味で、特定の時代に縛られない古典的なものに感じられます。〈現在の自分なら違った演奏をするだろう〉と思うことは、ほとんどないんです」

 

Photo by Thomas Keip
 

ポストクラシカルと呼ばれるのは快いことではない

――『Klavierraum』からポストプロダクションで、電気的な異化効果やループを取り入れるようになったということですが、それには何かきっかけがあったのでしょうか?

「『Klavierraum』は2004年に録音したのですが、その数年前からベルリンで活動している前衛的な音楽家/作曲家のヤネク・ジーゲレとコラボレーションするようになり、彼から影響や刺激を受けました。そのなかで機材を使ったノイズやエレクトロニクスの美しさについて多くを学んだのです。例を挙げると、私の持っていたLexicon PCM 80 FX(デジタルエフェクトプロセッサー)を、彼はレゾネーターとして使い、あらゆるアコースティックな音源から、調整ができる非常に素晴らしいドローン(持続音)を生み出せたんですよ。それをライブリミックスとして生のコンサートで使用しました。

その頃の私にとって、電子楽器を普通に演奏することは、あまりにも意外性がなくて退屈に感じていたので、ヤネクのアプローチはとても刺激的でした。ナチュラルなアコースティック音源をベースに電気的に作られたアンビエント的なドローンの放つ、崇高でありながらどこか冷めたところに私は惹かれたんです。当時はまだ、ポストクラシカルという言葉は生まれていなかったと思いますし、この方向性を試しているミュージシャンを他には知りませんでした]

――実際には、どのようにアンビエント的なドローンを加えていくのですか?

「私は普段、DAWのLogicを使用して作業を進めるのですが、最初の一歩として(これまで語ってきたようにアルゴリズムやムード、モチーフなどを出発点に)即興で作曲した楽曲を録音します。演奏中はポストプロダクションのことを考えず、その場に身をゆだねるようにすることで、私はいつも音楽が単独で存在でき、それだけで完結するように録音しています。ジャンルは意識しませんが、特定のジャンルに当てはまることも避けています。創造的な流れが重要なので、この段階では編集しません。

録音後の段階になってようやく編集のインスピレーションがやってきて、錬金術のような精製のプロセスが始まります。まずは録音したものを聴いて、選別。そして選ばれたテイクを例えば、ドラマ、形式、リズムの明確さ、空間デザイン、電子音のレベル、異化効果など、異なる観点から順々に編集していきます。気に入った構造を見つけたら、人工的な空間残響やディレイ、もしくは(編集中の)楽曲と同じ素材で作られていて同質に聴こえる電子音などを、追加するかどうか決めるのです」

――電子音響を用いるミュージシャンでは、どんな方がお好きですか?

「rei harakami、ライル・メイズ、ブライアン・イーノ、武満徹ですね」

――クラシック音楽的なアコースティックなサウンドと、エレクトロニカ的なサウンドを融合させた音楽は現在、ポストクラシカルと呼ばれて人気を博しています。

「音楽をカテゴリーごとに分類するため、レッテルを貼ることが業界として必要なことは理解できます。でも作曲家の多くは、この分類を快く思っていないことが多いのではないでしょうか。私も例外ではありません。何故なら、非常に多様な影響を受けたものが混ざっている私の音楽に、自分自身でさえ名付けることができないからです。

クラシック、合唱、フォーク、ジャズが子ども時代からのルーツです。ジャズ――何より自由な即興演奏――は、共産主義の東ドイツで非常に人気があって、私に自由を約束してくれました。それに対してクラシック音楽は、過去100年の間で偉大な作曲家や演奏家が自然なボキャブラリーとして持っていた即興演奏を放棄したために、自発性、新鮮さ、創造的なエネルギーを失ったと思っているのです。ヘルマン・ヘッセは小説『ガラス玉演戯』(1943年)において、この問題を見事に表現しています。

ポストクラシカルが成功しているのは、クラシック音楽や厳格な現代音楽が残したこのすき間に進出し、新鮮で真正なサウンドを求めるニーズを満たしているからかもしれません。ポストクラシカルというのは比較的新しい言葉ですが、クラシック音楽から生まれた多くの語法の宝庫であると同時に、現代音楽とは違って、現代のポップカルチャーに繋がっています。

私もたまにポストクラシカルと呼ばれる作曲家の音楽を聴くことはありますが、それよりもショスタコーヴィチ、ニルヴァーナ、レディオヘッド、チャールズ・ロイド、ジェルジュ・リゲティ、アルヴォ・ペルト、rei harakami……などの他者(自分と遠く離れたジャンルや作曲家)からインスピレーションを得ることは、とてもエキサイティングなことです。ポップミュージックの比較的シンプルな楽曲からディテールやアルゴリズムを抽出することは、とても楽しいですよ。シンプルであることは、私にとって必要不可欠な要素なのです」