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原風景は自然豊かな山陰

──今ちょうど24歳になったばかりぐらいですよね。今は東京にお住まいだそうですが、もともとは島根県出身とのことです。

「東京に移ったのは、1年ちょっと前ぐらいです。それより前はずっと島根でした。小学校の高学年からは松江市にいたんですけど、ずっと山陰地方にいたのが原体験として大きいと思っています。

島根……山陰地方ってあんまり近代的じゃないというか……(苦笑)、宍道湖が近くにあるようなところで、小学校の頃は家から山も近くて、ほとんど山の中で遊んでた子供時代でした。そういう感じだったから、山にちょっと深く入って行ってみたりとかも普通にしていました。そういうのって、東京の町中で生まれ育ってたりしたら体験できなかったことなので、その原体験が歌詞や音作りに現れているかなと思いますね。

歌詞にも〈水〉とか〈湖〉という言葉がよく登場するんです。湖といえば宍道湖なので、ポッと出る言葉に、そういう昔の体験みたいなのがたくさん影響を与えてたんだろうなとは思います」

──島根と言えば浜田真理子さんというシンガーソングライターがご出身で今も拠点にされていますが、ご存じですか。

「はい、知ってます。あまり詳しいわけではないですけど、地元では割と有名な、とても歌の上手いシンガーの方という印象です。テレビとかCMとかにもでてらっしゃいますし」

──その浜田さんの音楽を聴いたり、彼女と話をしたりすると、のびのびと音楽に向き合える姿勢に対して遮るものが何もない、自分とその音楽の間に遮られるものが何もない、というのはこういうことなんだろうなと実感するんです。それに近い感覚がRemayさんの作品にもありますね。

「今、その話を聞いて思ったことが2点あって。自分と音楽の間に遮るものは何もないっていう感覚は、家と家が離れてたりすることもあるのかなと。実家は一戸建てだったんですけど、隣の家は離れていましたし、ピアノが置いてある部屋から一番近いところは空き地だったので、夜11時くらいまでピアノを弾いても隣の人に怒られるわけじゃなかった。むしろ、家の中で親に〈もう寝るからやめて〉と言われたくらい(笑)。

つまり、みんなすごく優しいというか、柔らかい感じなんです。町自体にストレスがなくて、いい意味で外界と遮断されてるので、自分のことを考える時間があって、外からのイヤな影響を受けずに自分を見つめらる。それはすごくあると思います。

あともう一つは、これは実際の音作りに関連するかもしれないんですけど、島根ってすごい湿度が高いところで。大抵は曇ってる感じなんですよ。そういうところで育ったから、アメリカの西海岸側のカラッとしたサウンドよりはイギリスのちょっと湿度の高いところで作られた作品の方が好みだったのかもしれないです。サム・スミスが好きなのも、そういう理由もあるのかもしれないですね。東京に来てみると、アメリカの音楽もいいなと思い始めました(笑)。でも、やっぱり目指したい音の方向性としては、湿度の高いところで作られたようなものなのかなと思います」

 

ピアノ、合唱部、ギター……Remayのルーツ

──音楽に関わり出したのはいつのことなのですか。

「中学校の時に、仮入部みたいな感じで、〈男子が足りないから〉ってことで、運動部終わりの男子が半年間だけ合唱部に呼ばれる制度があって。その時に歌ったのが今に繋がることの一つかもしれないです。音楽の歌のテストの時に、先生が目をつけた男子を誘ってたんですけど、僕はその中の一人だったんですね。僕としては受験勉強が嫌で嫌で仕方なかったので、〈まだ部活をやってる〉って感じで逃げるように合唱部に入部しました(笑)。その時に、歌の響きを意識するようになったのかもしれないです。

月並みなんですけど、それより前から歌は好きで家で歌ったりはしていましたし、5歳か6歳の時にピアノも習い始めていて……。ギターは高校に入ってから始めました。町の楽器教室みたいなところに行って、半分遊び感覚で。そこで、〈曲を作ってみたら?〉って言われて、機材を揃えていって……。

そういう経験もあって、今はもう完全にパソコンのDTMで曲を作っているんですけど、自分で弾ける楽器は生で演奏して録音するようにしています」

──ギターを弾きたいと思ったきっかけは何だったんですか。

「中3のときにたまたま友達が弾いてるのを見て、〈かっこいいな〉と思ったとか、そんなとこだと思います(笑)。〈とりあえず高校に通い始めたらギターを始める〉っていう謎の決意をしたことだけ覚えてて(笑)。

その頃にちょうどミスチル(Mr.Children)を初めて聴いたんですね。それまではテレビで流れているようなものしか聴いてなかったんです。奥田民生さんや斉藤和義さんもまだ知らなかった。でも、近くのレンタルCD屋で、ジャケが一番前に置いてあるやつを手にして。それがミスチルでした。10年くらい前です。

島根にも結構ディープな、店主の趣味が出てる感じのレコードショップとかCDショップもあるんですけど、普通のレンタルCD屋で借りてましたね。今のようにSNSとかサブスクで共有するようなことはまだしていなかったので」

──その体験と合唱部での体験がほぼ同じ時期に合流したわけですね。