800年前から今なお語り継がれる「平家物語」の中の、あまりにも有名な〈諸行無常〉の4文字は、今のあなたにどう響くだろう。疫病、戦争、災害。人の弱さと愚かさを嘲笑うかのような終わりの見えない絶望を前にして、私たちに許される自由はなんだろう。

2024年9月7日(土)から東京・新宿K’s cinemaで上映される映画「平家物語 諸行無常セッション」は、そんな我々への微かな祈りのような作品だ。さまざまな形で〈諸行無常〉と向き合ってきた3人の表現者たちの〈今〉が記録されている。本作はただ観賞するのみで終わらず、毎日異なる〈生〉のセッションが企画され、その時足を運んだ人間しか味わえない体験を約束する。

本稿では、監督を務めた河合宏樹と、企画の共同キュレーターを担当した細井徳太郎の対談が実現した。朋友として、表現者として、本作と音楽に向き合った2人の対話だ。


 

河合宏樹

全員同じ解釈をしてほしくない。それぞれが感じたことを持ち帰ってほしい

――本作が製作された経緯について教えてください。

河合宏樹「この映画は、2017年5月28日に古川日出男さん主催のもと、高知県の竹林寺で行われた、古川さん、坂田明さん、向井秀徳さん(ZAZEN BOYS/元NUMBER GIRL)による朗読と音楽のライブセッションの模様を撮影したものです。

古川さんとは16年ぐらいの付き合いになるのですが、私は古川さんの朗読に魅了されて、初めてカメラを持ち、誰かのパフォーマンスというものを撮り続けてきました。題材となった『平家物語』現代語全訳(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集/河出書房新社)は、古川さんが現代語訳したものです。坂田さんは自身のインプロビゼーションの中ですでに『平家物語』をやっている。向井さんは〈諸行無常〉ということを20年以上にわたって連呼し続けている。その3人が集まった奇跡の一夜なんです。

私はセッション当日の1年前から古川さんに〈この日だけは空けておいて〉と頼まれていたのですが、その時はまさか映画になるとは思ってもいませんでした」

――それが約7年の時を経て、こうして日の目を見ることになった。

河合「データは5年間ぐらい私の家で保管していて、ずっと〈俺を出してくれ!〉と物の怪のように暴れていたのですが、2022年に山田尚子監督のアニメ『平家物語』、湯浅政明監督のアニメ映画『犬王』(古川原作の『平家』のスピンオフ作品)が立て続けに発表され、その流れに乗って〈映画化させてくれないか〉と古川さん、坂田さん、向井さんにお願いしました。お三方が映像を観て〈やりましょう〉と言ってくださったおかげで、こうして形になりました」

――私が素晴らしいと思ったのは、〈ライブにおけるリアル〉を捉えているところです。坂田さんや向井さんのソロが演奏されている時に、その方の姿だけを切り取るのではなく、古川さんがペットボトルの水を飲み、何気なく腕を上げる姿が同じ画角に収まってたり、シャーマンのような役割を担っている古川さんがライトで照らし出される一方で、坂田さんと向井さんの横顔に夜の影が刻まれてたり。そういった点は撮影される上で意識されましたか?

河合「私が撮る作品は、基本的には無意識の産物です。その現場で私もセッションしているような感覚でいたいので、誰かの身体的な動きに対して反応しているだけですね。

ただ、古川さんが水を手に取る場面は、意味のある時もない時もあるんです。例えば、『先帝御入水』という平家のご子息が海で自害する部分では、古川さんは〈水を手にする〉とは意識してなくて、たまたまその場にあったから取ったんだと思います。私の頭の中にそのシーンが浮かんだからそこをクローズして撮ったというだけです」

細井徳太郎「僕は一足先に映画を観ました。〈ライブを作品化する〉ということはいろんな方がやっているけれど、多くの場合がファンやYouTubeで見ている音楽好きの方々が満足する、記録的な側面が強いと感じています。

勿論、僕もそういった記録していただいた映像を元にした様々なコンテンツを楽しんでいますが、河合監督の今作はより演劇的だと思いました。〈このタイミングで、このシーンがある〉〈このタイミングで、こんな仕草がある〉というだけですごく印象が変わってて、ただのライブ映像というだけではない、とても強い作品になっていると感じました。そしてこの〈演劇的〉要素が、演奏者の即興演奏とそれに対する河合監督の即興によるカメラワーク、この2つで成り立っている点も特筆すべきです」

――映画の中で聴こえるのは、お三方の声と音楽と、竹林寺の方のお経と、男性から生み出された音で基本的に構成されていますが、アンコールの前とエンドロールが流れている時に女性のお客さんの声が挿入されていますよね。これはセッションと日常というハレとケの境界線の表れのようでした。

河合「この声はあえて入れました。たまたま録音に残っていたんですよ。これは男性女性関係なく、〈いいこと語ってくれてんじゃん〉と思って、残しているっていう(笑)。でも、確かにそうかもしれないですよね」

細井「そんな風にいろんな方が解釈してくれたらいいですよね」

河合「そうそう。現実的に私は〈たまたま残ったものです〉って言っちゃってるけれども、何かを感じてくれてもいいし、〈これ間違って流れちゃってるんじゃないの?〉って思ってくれてもいいと思ってます。全員が全員同じ解釈で帰ってほしくないんですよね。それぞれ違う心で感じたことを持ち帰ってほしい」

――正面から撮影された場面が少なく、両サイドから撮ったシーンでほぼ構成されているのは何故ですか?

河合「私が元々正面アングルを好きじゃないというのもあるんですけど……最近演劇の仕事とかもしていると、〈お客さんが正面で観ていることが全てだ〉と考える人が多い。だけど私は、音楽も演劇も、さらに言えば人生も、もっと色んな角度から考えられるべきだと思ってる。人間もそうで、真っ直ぐ正面を見るだけじゃなくて、もっと違う角度から考えられるきっかけになればいい。だから私は、当たり前だとされている画角から撮ることを避けています。

本作のカメラワークは特に作為的ではないのですが、自分の心の奥底にある意志がそうさせたんだと思います」