自然との対話から生まれる豊かな音楽
初夏の記録を中心にした〈マージナリア〉最新作

 里山に暮らす音楽家、高木正勝。2016年から取り組んでいる〈マージナリア〉シリーズは、家の窓を開け放ち、そこから聞こえてくる鳥や虫の鳴き声とピアノで即興セッションをした記録。シリーズ最新作『マージナリアVI』は2023~2024年に録音された曲が集められていて、録音された日付が曲名になっているが、それを見ると初夏の録音が多いのが特徴だ。日々録音してきた素材から選曲したら偶然そうなったそうだが、思いがけず季節がアルバムのモチーフになったことが新鮮だったと高木は振り返る。

 「これまで季節でまとめたことがなかったので面白いと思いました。山に住んでいると、春には桜の花びらが風に乗って山頂に吹き上げられるんです。それを見ていると、春は次の生命にバトンタッチする時期のような気がして。そして、新しい生命の始まりを感じるのが、鮮やかな緑の新芽が出てきた初夏なんです」

高木正勝 『マージナリアVI』 ソニー(2024)

 自然が発する音に呼応して演奏するだけに、ここ数年の気候の変化が作品に影響を与えるのは当然のこと。〈マージナリア〉は自然環境に対する定点観測でもある。

 「7~8年やってきて気候の変化は感じますね。それによって鳥や虫の鳴き声が変化する。例えば今年は暑過ぎてセミがあまり鳴かなかったんです。そして、この辺りの風景が東南アジアっぽく感じるようにもなってきた。それで自分が好きな素朴なアジアの映画のサントラに、こんな音楽が流れていたらいいな、という曲を演奏することが増えてきたような気がします」

 〈マージナリア〉を始めた当初は、山が奏でる音にピアノで加わることに不安を感じていたという。そこに溶け込むにはどんなタッチで、どんなメロディを出せばいいのか。もしかしたら、人間が発する〈雑音〉に反応して山が黙り込んでしまうかもしれない。しかし、今では高木のピアノは山のシンフォニーに溶け込んでいる。本作を聴いていると虫や鳥の鳴き声は楽器のようだし、高木が弾くピアノや時折聞こえてくる歌声は新種の虫や鳥のようだ。

 「外の音は大音量なんですけど、いいバランスで録音するのはピアノは鳴るか鳴らないかくらいのタッチで弾いたほうがいい。それに合わせて歌っているので、自分の声はほとんど聞こえないんですよ。そこでちゃんと響かせるためには声帯をグッと閉めたほうがいい。そうすると、ああいう声になるんです」

 ただ、自然をフィールドレコーディングをするだけではなく、そこで暮らす人間との関わりを記録するのが〈マージナリア〉の面白さ。そんななか、本作でとりわけ印象的なのが“#138 July 21,2023 (18:40)”だ。ヒグラシの鳴き声とピアノ。そこに高木のハミングと幼い息子の声が加わり、やがて息子は父親と伴奏するように鍵盤を弾き始める。まるで一本の映画のように美しい情景が、豊かな時間が曲に記録されている。

 「1日のなかで大人も子供も楽しい時間というのがあるんです。そのひとつが夕方で、例えばみんなで海に遊びに行くと、昼間はそれぞれ好き勝手にやっているけど夕方になると一緒に夕陽を見ている。何かをみんなで分かち合っている豊かな気持ちになれるんです。この曲を録音したのも夕方で、夕焼けに染まった部屋でピアノを弾いていると、子供がそのピアノに合わせて弾こうとするんですよ。普段は好き勝手に弾いているのに。ヒグラシもいいタイミングで鳴いてくれる。いろんなものが自然に混ざる時間で、とにかく幸せなんですよね。この曲はそんな良い時間を記録できたと思います」

 もしかしたら、〈マージナリア〉は夕焼けのような音楽なのかもしれない。自然の音を記録するだけではなく、そこに人間の演奏が加わることで、自然に溢れる音を音楽として実感できる。そして、その豊かさを聴き手は高木と分かち合うのだ。

 「そう感じてもらえると嬉しいです。自分の作品もそうなんですけど、スタジオでレコーディングされた作品を聴いていると、作り手の〈こんな音が欲しい〉という憧れが見えるんです。無音のスタジオで作っているから当然なんですよね。でも、山はいろんな音に満ち溢れていて、そういう欲求を感じない。そんな山の豊かさを作品にしたいと思っていて。だから、憧れを無くす。自分を無くす、というのが、今の僕の目標かもしれませんね」